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姿見の前でリーナは言葉を失った。
細やかな刺繍の施された華やかな紺色のドレスは縦のラインを活かしたデザインで全体をすっきりと細く見せていて、裾から僅かに覗くヒールのある銀のパンプスと相まって背の低さを補っている。また普段飾ることのない顔には人形の様な華やかな化粧が丁寧に施され、年齢を一つ二つ上に見せている。
毎朝櫛で梳かすだけの髪も、両耳の上の細く編まれた毛束を後ろで一つにし、分け目を作っていなかった前髪を片方に流し耳の辺りに大きな花飾りで留めることで、煌びやかな雰囲気を一層確かなものにしていて。
胸元で全体の情調に埋もれることの無い輝きを放ちその存在を示すネックレスも、露出した腕や肩や背中から立ち上る薔薇の甘く爽やかな香りも、全てがリーナを非日常へと誘う。
そして彼女自身もそれに言いようのない不安と胸騒ぎを感じていた。鏡の中の自分は、生涯纏うことはないと思っていた、寧ろそう考えることすら無かった様な雰囲気で隙間なく包まれ、自分でもまるで誰か分からなくなってしまっているのだ。
こんな煌々したものはお伽話の中だけだと思っていた。

昼前まで寝ずに続いたリヴァイによるダンスやプロトコール・マナーの指導の後、リーナは自室で昼夜逆転した睡眠を取った。ダンスと言っても『誘われたら初めてだと言っておけ』と基本的なことだけをとことん教え込まれ、プロトコールやマナーも覚えることに苦労はしなかったが、リヴァイに及第点を貰えた頃には寝不足と慣れないステップとで身体が鉛のように重く、風呂から上がるなり泥の様に眠った。そして日も沈みかけた頃訪ねて来た彼に悪態をつかれながら叩き起こされエルヴィンの執務室まで連れて来られると、見知らぬ一般の女性四人と一緒に隣の応接室へと放り込まれて支度が始まり、息をつく暇もなく今に至る。
小さめの、溜め息とは言えないほどのそれを零し、リーナは団長執務室へと続くドアを開けた。




「リーナ・・・やはり、私の目に狂いは無かったな」


沢山の貸衣装の中からリーナの着るものを選んだのはエルヴィンであり、彼女に似合うだろうとその色にもデザインにも自信を持っていたのだが、応接室から姿を現した彼女を見るなりそれが決して過信ではなかったと実感でき満足げに微笑んだ。



「あの・・・こんなに派手でいいんでしょうか・・・?」


「仕方ねえだろ」


リーナより少し早く執務室に戻りソファーに腰掛けているリヴァイはタキシードに身を包んでおり、いつもより険しい顔で珍しく背凭れに寄りかからずに座っている。


「こんな格好したくはねえがドレスコードだ」

「リヴァイは初めてじゃないだろう。もう十分様になっているじゃないか」

「黙れ」


ふ、と笑うエルヴィンを不機嫌そうに睨み付けるリヴァイ。リーナもその日常と同じ雰囲気に少し安心するが、緊張は依然として解けない。


「馬車はもう呼んである。気を付けるんだぞリヴァイ」

「わざわざ言うな」

「リーナ、こんな事に巻き込んでしまって申し訳ない。無理だけはしないでくれ」

「はい、ありがとうございます。お任せください!」

「・・・いつかサラに殺されそうだ」

「ああ、間違いねえ」





日もすっかり落ちて空に浮かぶ少し欠けた月が明るく柔らかな光を地に注いでいる。
兵団本部の通用門付近に停められたいかにも高級そうな箱馬車に乗り込む礼装の男女。客室は完全な箱型で、外観もさる事ながら中の真紅のベロアのシートも金に塗装された窓枠も、全てが本来ならば上流階級向けのものだ。
兵団の廊下からそれを目にした者たちは皆ほとんどが目を見張りじっと眺めたり側にいる仲間と騒ぎ立てたりと落ち着かない様子だが、その中には冷静にちらりと目を遣るだけであったり冷ややかに睨み付けるだけの者もいた。
そして、異常に興奮する者も。


「うそ!ねえ本当にリーナ!?天使じゃなくて!?え、待ってよもう行っちゃうのかよ!ちょっとお茶してからでもいいじゃないか!ねえねえどう!?私の研究室で、っぶふぁっ」

「黙れクソメガネ・・・気持ち悪りい」

「リヴァイ、服が破けるだろう」

「奇行種は駆逐しねぇとだろ」


どこからか噂を聞き付けたハンジが、何やら大声で捲し立てながら本部を飛び出し走り寄って来てリーナに抱き着く寸前のところを、リヴァイが正面から蹴り飛ばしたのだった。これにはエルヴィンも同情することなく、派手に蹴りを繰り出したリヴァイの服の心配をしている。
地面に突っ伏したままの彼女を気にかける様子もなく客室に乗り込んだリヴァイ。戸惑いながらもそれにリーナも続き、扉が閉められた。

開いた窓から顔を出してみると、早くもエルヴィンの横に立ちこちらを見上げてにこにこと笑うハンジの姿がある。先ほどのリヴァイの蹴りはそこまで効かなかったらしかった。そしてよく見たところハンジの指先がエルヴィンの手の甲を抓っていた。何事も無いようにこちらに向けて微笑むにこやかな表情がたちまち影のあるものに見えてくる。リーナが察するに、自分の今回の任務に反対していたのだろうとおおよそあたりをつけた。エルヴィンはそれを全く意に介さない様子でリーナと目が合うとしっかりと一度頷く。
リヴァイの指示を受けた御者が鞭を振るう音が聞こえた。エルヴィンが手に提げているランプがゆっくりと離れて行く彼ら自身を照らす。薄闇の中浮かび上がる二人をぼーっと見ているリーナの視界がゆらゆらと歪んだ。訳も分からずじんわりと熱くなった目頭を控えめに押さえ、敬礼をしかけた後それをすぐに止め小さく手を振ると、元気良く手を振り返すハンジと、丁寧に肩の高さで返すエルヴィン。開いていく距離に二人の姿も小さく、そして見えなくなっていった。








「怖いのか」


ガラガラという車輪の音だけが響く客室の中でリヴァイは何を話すべきかと気を揉むリーナに先に声をかけた。掻き消されそうな小さい声で少し、と答えたその表情は硬い。


「ずっと踊る訳でもねえ。美味いもの飲み食いして喋ってりゃいいんだろ」


スラックスのポケットから懐中時計を取り出し、時間を確認しながら目を合わせず俯きがちに言う。それでもやはりリーナの拳は膝の上で硬く握り締められたままだった。


「・・・しかしまあ、その格好ならそれなりに見えるな」


その言葉にリーナが顔を上げると、平生の刺すような鋭さは見られない切れ長の真っ直ぐな瞳と視線がぶつかった。


「それは、」


きょとんとした瞳が素直にリヴァイを見つめ返す。それは化粧で強調された所為でいつにも増して大きく華やかな印象を与えており、向かい合って着席し近いからか、月明かりも手伝って普段ならば気付かない様な薄墨色の深く澄んだ清らかさまでもが露わになる。


「褒め言葉として、受け取ってもいいんですか・・・?」



予想外の賛辞に驚きを隠さずぱちぱちと瞬きを繰り返すその輝きから目を逸らしたリヴァイは段々とと壮麗さを増していく街並みに意識を移して、勝手にしろ、と呟いた。









190531修正


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