09






爽やかな朝。夜の内に降った雨で空気が澄み、空もよく晴れていた。訓練場へと繋がる廊下の窓からは草花についた露の輝きが眩しい程に目に飛び込んでくる。
リーナがリヴァイに訓練を監督されるようになってから今日で二週間が経っていた。リヴァイはその為に会議や書類の仕事の合間を縫って毎回時間を作っていて、リーナ自身それを知り心苦しく感じていたが、それを言うと不機嫌そうに眉を顰めた顔で、謝る前に成果を出せ、と言われてしまうのだった。
二人の訓練では主に立体機動装置を使い、どちらが多く、どちらが早く、といった内容の実戦形式で常に競争をしていた。当然の事ながら、リーナは未だに一度もリヴァイに勝てていない。それどころか、ガスの蒸かし具合とタイミング、アンカーを刺す位置、刃の無駄の無い使い方等、指摘ばかり増えていった。常に飄々と物凄い速さで勝ちを攫っていくというのに一体いつ見ているんだろう、と彼女が疑問に思う程に。
勿論リーナは初めからリヴァイに勝てるとは露ほども考えておらず、改善の余地が沢山あるとの自覚もあり、また毎日立体機動装置で飛べる事もあって、訓練を全く苦としていなかった。




「リーナ」

「はい!」


それに加えて、リーナは連日の訓練のお陰か、リヴァイから名を呼ばれれば耳が拾う限りの距離からであれば意識が何処に向いていようと瞬時に返事が出来るという特技ーーーもとい癖を見に付けていて。リヴァイが訓練場へ続く廊下の先に彼女を見つけ声をかけると、案の定距離を感じさせない速さで返事が返ってきた。



「おはようございます」

「ああ。今日はこれからエルヴィンのとこだ」

「そうでしたか。では今日は私一人で」

「いや、お前もだ」

「私も、ですか」

「行くぞ」



エルヴィンに呼び出される原因が見当たらないリーナは首を傾げながらも、少し遅れてリヴァイについて歩く。この間の休暇に貯金でお菓子を買い込んで未だに暇さえあればちまちまと食べてるのがいけなかったのか、はたまたここのところ毎日自主訓練で訓練場の一画を占領する形になっていたからか、と変な心当たりばかり思い付いていた。しかし途中、今後の班の話である可能性もあると気付き、むしろそれであって欲しいと願う。
他にも叱られるような事は無かったかとここ数日の行動を必死に思い返している内に、二人はエルヴィンの執務室の前に辿り着いく。リヴァイがノックをすると殆ど返事を待たずに入って行き、リーナも恐る恐るその後に続く。



「し、失礼します・・・」

「リーナ。いきなり呼び出してすまなかった。取り敢えず座ってくれ」

「いえ。ありがとうございます」


既にどっかりとソファーで寛いでいるリヴァイの隣にリーナが静かに座る。何の話なのだろう、と緊張し固まる彼女を見て、執務机に肘をつき硬い表情のままのエルヴィンが口を開いた。


「今日ここに呼んだのは折り入って話があるからなんだが」

「はい」

「リーナはもう所属三年目だ。壁外調査にも幾度も参加し、今回は大きな功績も残した。
それに、今年もそろそろ新兵が入団してくる時期・・・
君は立派な調査兵団の戦力だ。兵団内でもこの間の壁外調査でのリーナの活躍が未だに話題になっている」

「あ、ありがとうございます・・・」

「エルヴィン、何が言いてえ。話が見えないんだが」


リヴァイが苛ついた表情でエルヴィンを見上げる。リーナも、いつもとは違うエルヴィンの勢いのない口調に驚き、同時に不自然さを感じていた。



「・・・リーナとリヴァイには今回、資金調整の任に就いてもらいたい」


ごっ、とくぐもった大きな音がする。その音と同時に目の前のローテーブルが二人の向かいのソファーに乗り上げた。座っていたリヴァイが目の前のテーブルを派手に蹴り飛ばして立ち上がったのだ。そのままエルヴィンに詰め寄り机に手をついた音も部屋に大きく響く。
リーナの思考は突然の出来事に着いていけず、ただリヴァイから発せられる痛いほどの殺気と資金調整という単語への疑問のみが浮かんでいた。


「おいエルヴィン・・・何故リーナを遣る?ふざけてるのか?
他に適役がいると前にてめえが言ったんだぞ、まさかボケちまったのか?」

「今回はリーナを指名して招待してきた」

「何故リーナを知ってる」

「サラの娘も調査兵に、というのは内地では有名な話らしい」

「ちっ・・・腐った豚共が」

「今回は一対一じゃない。一貴族の開く夜会だ。同伴者をつけられる分危険度は低い」

「そりゃあ危険はねえだろうな・・・
だがより多くの豚の目に晒され狙われ、言い包められ食われる」

「リーナにそこまでしてもらうつもりはない」


母の名前が出てますます意味が分からなくなるも、張り詰める空気に口を開く勇気すら出ないリーナは黙り込むしかない。そしてリヴァイとの睨み合いを一方的に中断させたエルヴィンが溜息をついてリーナを見遣る。


「リーナ、説明させてもらうよ」

「は、はい!」


するとエルヴィンは椅子から立ち上がりテーブルを元の位置に戻してソファーに腰掛け、その様子を黙って鋭い目で追っていたリヴァイも少し遅れてソファーへと戻る。かなり機嫌が悪く、どかっと粗野に座る振動が隣のリーナにも伝わってきた。腕を背もたれに預け、テーブルに組んだ足を乗せて苛立ちを露わにしている。


「あ、あの」

「いいからこいつの話を聞け。それからお前が自分で決めろ」


リーナが恐る恐るリヴァイに声をかけると、鋭く睨まれ低い声で無愛想に突っぱねられる。今までにないほどの不機嫌さにリーナは竦み上がり、同時にエルヴィンの話の内容が悪い事であると予測させられた。


「リーナ。私が言った"資金調整"とは、簡単に言えば、内地からの招待に応じて舞踏会などに参上し、調査兵団の方針に賛同して資金を提供して頂ける貴族の方を探すことだ」

「内地の、貴族」

「調査兵団が常に資金不足に悩まされているのは周知の事実かと思う。それは調査兵団が、王政から支給される資金だけでは足りず常に内地の貴族方からの支援で成り立っていて、壁外調査などの結果によってはその数や額が減ってしまうから、なんだ」

「そう、でしたか・・・」

「だからこのような資金調整、もとい資金調達の役割を請け負う、外部との架け橋となる兵士も必要になる。舞踏会や晩餐会の招待があれば赴き、話を通して、調査兵団に興味を持ってもらう。個人の誘いにも、応じることもある。
今回君が名指しで招待されているのは、バルト公が主催する夜会だ」

「公爵家の夜会・・・」


単語として知っていても考える機会の無かった言葉ばかりで混乱するリーナ。それに気付きながらもエルヴィンは言葉を続ける。


「バルト公はサラを酷く気に入っていたんだ。昔も何度招待が来たかわからない。結婚して君が生まれてからもだ。
だがサラがそれに一応じた事はほとんど無かったと聞いているし、あちらもサラが亡くなってからはここに招待状を出すことすら無かったらしい。
しかし最近になって、再び彼が動き出した」

「母も・・・」

「参加となればダンスもある程度の会話も必要になる。
無理は重々承知しているが、お願い出来ないだろうか」


サラの名を口にすることで必死に追いやっていた罪悪感が再び脳裏を過り、表情を曇らせたエルヴィン。
サラが昔、資金の為に内地に行くのをとても嫌っていた事はお互いが分隊長であった頃に聞かされた数々の愚痴からも痛いほど分かっていた。ましてや今回お願いしているのはそのサラの大事な一人娘であり、彼女が生きていたなら間違いなく黙ってはいない上、恐らく殴りかかっていただろう。しかしそうと分かっていても、リーナにお願いする他に無い状況であるのも確かだった。

そして対するリーナも、その資金不足が深刻なことを理解し、懸念していた。そのせいで壁外調査の計画が延び延びになっている、ということをハンジからいつかの折に聞いていた為だ。壁外に出れなければ調査兵団の重要な存在意義が欠けてしまい、兵団の存続が危ぶまれる。多少の延期は止むを得ずとも、何としてでも壁外に挑む他に道は無い。そんな状況でも今日まで何とか持ち堪えることが出来たのはこの役目を請け負う者がいたからこそなのだと、今回の話で理解してしまった。
自分はもうとっくに調査兵団の一兵士であり、いつまでも頼らせてもらう立場ではいられない事も。


「マナーもダンスも、なにも出来ませんが・・・」

「オイオイ本気か?」


「協力、感謝する」

「こちらこそ、不束者ですがよろしくお願いします」


「ちっ」


「夜会に参加出来る程度の必要最低限のダンスとマナーはリヴァイが教えてくれるだろう。会場にも同行してもらう予定だ。
リヴァイ、よろしく頼む」


「え、リヴァイさんが?
あ、ちょっ、リヴァイさんっ」




自分の発言を無視して進んでいく会話に痺れを切らしたリヴァイが勢い良く立ち上がり、リーナの腕を引いて部屋から連れ出す。
それに驚き急いで振り返るリーナだが、その肩越しに見えるエルヴィンは膝に肘をついて僅かに俯いていて、彼女がその表情を伺い知ることは出来なかった。


不機嫌さを隠そうともせず、リーナを引きずる様にして廊下を進んでいくリヴァイ。そして唐突にある部屋の前で立ち止まった。


「ん゛っ!す、すみませんっ」


すぐ後ろを必死に着いて行くリーナがどん、と鈍い音を立てて思い切り顔から硬い背中にぶつかる。
連れられたのは日々二人が執務する部屋だった。戻って来ただけかと胸を撫で下ろしている目の前でリヴァイがそのドアを壊れんばかりに乱暴に開け、リーナの背を押し自分も続いて部屋に入るなり再び荒々しく音を立てて閉める。

リヴァイは目の前の自らに背を向けて立つ彼女の肩を掴んだ。力が込められたその手にリーナが僅かに顔を歪める。俯くリヴァイの表情は前髪で隠れて影が差し、振り返ったリーナがその表情を伺い知る事は出来ない。
すると不意に掴んでいた肩が思い切り、容赦無く突き飛ばされる。


「わ、わ、っ」


突然の事に反応が遅れまた勢いも強く、受け身を取ることしか出来ないリーナは硬い床の激しい衝撃を覚悟した。
しかし膝裏に障害物が当たり、膝下がそこで止まる。そのまま上半身だけが倒れていき、背中に感じたのは予想していたよりもずっと優しい感触だった。どうやら上手い具合にソファーの上に突き飛ばされたようである。
リーナの視界に肘掛け部分に乗った自分の膝が映り、その先に見たこともないくらい恐ろしい顔をしたリヴァイが見える。


「オイ・・・」

「は、い」


その声のあまりの威圧感に、倒れたままの身体が強張り声も上ずる。目を合わせたまま近付いて来るその鋭い視線から逃れる術をリーナは持ち合わせていない。
ソファーに乗った膝に布越しの温もりを感じる。それは目の前の彼の筋肉質な太腿の感触で、それだけで追い詰められたと理解するには十分だった。
そしてぼすっと耳元で響いた音と共にリーナの体が沈む。リヴァイが彼女の顔の両側に手をつき、それぞれの掌で肩に体重をかけてソファーに押し付け縫い止めていた。始めに掴まれた時のこともあり、リーナの肩が悲鳴を上げ始める。
ついさっき膝にのみ感じていた温もりも、今は足全体から感じ取れる。肘掛けに乗った両足の間に片足が割って入った様で、ぐっと右足が両側から挟まれる感覚がした。
何より、距離が未だかつて無いほどに近い。しかし不機嫌そうに細められた瞳の、依然として緩まないその鋭さに貫かれ身動きが取れなかった。
実際のところ全て彼なりに手加減されているのだが、それでもリーナの本能が絶対に敵わないと警鐘を鳴らしていた。



「本当に分かってんのか」

「っ・・・夜会の、こと、ですか・・・?」

「お伽話にあるようなくるくる踊って華やかな雰囲気でお喋りしてりゃ良いってもんじゃねえ。
媚び売って金を引き出す、そのためなら汚れることをも厭わない。てめえはそれをやりたいと思うのか」

「そ、それはーーーーー」

「今もびびってんだろ。動けねえみたいだしな。
だがお前がやろうとしてるのはこういうことだ。こうやって強引に押し倒されても文句は言えず、その時そこには薄汚ねえ豚とてめえだけ・・・意味が分からない、ってことはねえよな?
本当にその覚悟があるのか?
良く知りもしない、こちらの足下を見て欲を隠しもせずぶつけてくる様な、下品で腐った奴らに抱かれる覚悟が」

「・・・嫌、です」

「なら今からでもーーーー」

「でも、嫌なんです」


初めて感じる類の威圧感や身を以て感じた力強さに改めて恐怖を感じた。しかし話を進めるにつれ真剣さを増して苦しそうに歪められていく彼の表情を見ていると、心配して言ってくれているのだろう、と。都合の良い勘違いの可能性もありながら、そんな気もしていて。怖いと感じていながらも少し胸が温かくなるのだった。
しかしだからといって、自分にできる事が目の前にあるというのに、保身に走り他の適任者とやらに任せて甘えるわけにはいかない。壁外に出て、夢を叶えるために。いつかのリヴァイの言葉のように、自分は自分のためにと決意を固めていた。


「私は先輩方からしたら、頼りなくて役に立たない後輩です。でも私は外へ行きたい。巨人のいない世界をつくるための力になりたいんです。
その為なら、自分に出来ることは何でもします。
私自身が外へ出るために」


静かながらも力強い言葉に、刺す様な鋭さで見つめていた目が見開かれた。相変わらずじっとリーナを見つめる目元には先ほどまでのきつさは無い。黒色にも見える暗く深い灰色のような不思議な色をした瞳が、心の奥の真意を確かめるようにライトグレーの瞳を見つめる。


「嫌なことがあれば、自分の身は自分で守ってみせます。絶対に」

「・・・そうか」


そう静かに言うとリヴァイはゆっくりと身体を起こして彼女を解放し、その手を引いて彼女の上体を起こしてやる。


「なら今日は訓練も返上でダンスとマナーを叩き込んでやる。
踊れるようにならなかったら・・・わかってるな」

「は、はい!」

「夜も寝れると思うな。本番は明日の夜だ」

「へ!?そんな・・!聞いてないですよ!」

「エルヴィンに詰め寄った時に招待状を見た。間違いなく明日の夜だ」

「そんな・・・」

「そもそも俺はダンスもマナーも奴らのもんは大嫌いだ。同じ事を何度も言わせてみろ・・・削ぎ落とすぞ」

「は、はいぃ」



訓練時より厳しい指導になる予感に、早くもちょっぴり決断を後悔するリーナであった。







190527 修正


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