08






気持ちの良い朝日で目覚め、約束通り部屋まで出向いてくれた医師には通常業務に差し支え無しと診断され、リーナの気分は上々であった。部屋を出る前に軽く掃除をして、シャツとチノと、支給品である汚れ一つない真新しいジャケットを着用し気合い十分に部屋を出た、その矢先。
扉の向かいの壁に背中を預けて腕を組み佇む上官に出くわした。彼がまさか自分を出迎えに来たとは夢にも思わないリーナは反射的に扉を閉めかけたが、途端に向かいからきらりと鋭い眼光が飛ぶ。


「え、り、リヴァイさん・・・?」

「行くぞ」


右腕を取られ、歩き出す彼に連れられ兵舎内を行く。こうなった理由も分からなければ、どこへ向かっているのかも皆目見当がつかない。
足をもつらせそうになりながら歩く自分を引っ張って行く彼は足が長いのか、歩幅が大きく歩く速度が速い。小柄なのもあってか顔も小さく細身で、それで足も長いなど羨ましい限りである。それなのに人類最強だという。細身なのでその体のほとんどが筋肉なのではないかと思う他ない。
それに加えて思い出したのは、兵団へ入団した後ハンジから伝え聞いている、我らが人類最強の兵士長は以前王都の地下街の有名なゴロツキだった、という話。筋骨隆々というわけでもない彼の予想だにしなかった過去に当初は驚いて言葉も出なかったが、彼のたまに見せる対人格闘技術の秘訣はそこにあったかと後々少し納得したものだ。しかしその話が真実であっても、今の彼は殺人を犯すなんてことは無く、盗みを働くことも無い。前科の証拠だって無いのだ。本当は優しいひとだと、リーナはもう十分身を以て知っていた。その上人類最強、すなわち人類の希望。この世界に必要不可欠な人材である。




「おい、着いたぞ」

「は、はいっ」

「何か考え事か?いい度胸じゃねえか」

「いえ、あの・・・何故部屋の前にいらっしゃったのかと」

「ああ・・・とにかく入れ」



リヴァイが立ち止まり扉を引いて振り向くと、リーナに先に入るよう促した。訪れた覚えのない未知の部屋に恐る恐る入室すると、目の前には大きくて座り心地の良さそうなソファーが二つ向かい合っていて、間にはローテーブル。それらの奥には重厚な雰囲気の存在感溢れる大きな執務用の机。壁には本棚が備え付けられ、空いている棚と本で一杯の棚とがあった。窓は開け放たれていて、ドアが開かれた瞬間からカーテンを靡かせ絶えず爽やかな風を運んでいる。



「ここはーーー」


扉を閉めたリヴァイがリーナの横を通り過ぎると、そのまま執務用の机に浅く腰掛け、部屋に入ったきり立ち尽くすリーナに向かい合った。


「俺の執務室だ。お前も今日からここを使え」

「兵士長執務室!?ここをですか!?」

「あ?何だ」

「そんな・・・恐れ多いです」

「班が正式に組織されるまでだ。
班員はまだお前一人、訓練以外業務があれば会議室を一つ使うよりこの方が効率が良い」

「でもお邪魔では・・・」

「許可してなきゃ言わねえよ。使いたい時に自由に使え。その為にわざわざ迎えに行ってやったんだ」

「あ、ありがとうございます」

「で、茶が飲みたいんだが」

「はっはい!ただいま!」


どたばたと備え付けの簡素な給湯室へ駆け込むと、すぐに目に付いた薬缶を火にかけた。両開きの小さな戸棚を開き、茶葉を取り出す。沢山缶が並んでおり同じ製品のストックも多く、悩んだ末一番手前の中身の減っている日常的に使用されていそうなものを手に取ると、綺麗に仕舞われていたポット取り出し計り注いだ。
彼のお茶汲みを担当した経験がなく、蒸らし時間はどのくらいが好みか分からないため、リーナは戸惑っていた。渋めが好きなのではないかという勝手な想像はつくが、万が一苦いものが苦手だったりした日にはどうしたら良いか分からない。謝り倒して済めば良い方だろう。
しかし彼の雰囲気で渋い紅茶は苦いから嫌い、なんて、まさか。


「ふふ。それはないかな」


「何が無いんだ」

「ひっ」


突然近くで響く低い声にリーナが反射的に振り返ると、そこにはやはり今の今まで頭に思い描いていた人物が眉間に皺を寄せて立っていて。ああ聞かれていたなんて、と先ほどまで部屋にいた彼を全く意識していなかった事を猛省した。加えて段々と歩み寄って来るので、少しずつ距離を詰められることに慌てた頭が更に空回り、意味もなく茶葉の缶を手に取ったり薬缶の火加減を覗いたりする。


「にやにや独り言とは随分と余裕だな・・・
忘れちゃいねえだろうな?お前にはまだ報告書もーーーーー」

「はははいっ!今すぐお茶ご用意します!」


慌てた手つきで音を立てる直前の薬缶の火を止め作業を再開する。形相が恐ろしいのに加え見られている距離が近かったためか心臓はどきどきと早鐘のように煩く鳴り手元が覚束ない。


「・・・普通に淹れてくれりゃいい」

「えっ、あ、はい!」


まさかそれを言いに来てくれたのだろうか。
蒸らしている間ちらりと横目で窺えば、本人は既に離れて部屋に続く出入り口の扉を開いたまま背を預けて腕を組み俯いている。表情は前髪で隠れ確認できない。
急ぎ二つのカップにそれぞれ紅茶を注ぎ入れるとソーサーと共にトレーへ乗せドアに近付く。


「すみません、待っていて下さったんですね」


リヴァイが声をかけられ顔を上げてリーナが作業を終えた事を認めると、一歩更に下がり背中で扉を押さえ両手が塞がっている彼女が出るまで待った。
執務机かソファーなのか、どちらに出すべきか考えあぐねるリーナがテーブル横で立ち尽くしていると、リヴァイがトレーから一組のカップとソーサーを攫いソファーに座った。それならとリーナも遅れてその向かいに腰を下ろし、ゆっくりと温かい紅茶を啜る。
二人が紅茶を啜る音のみが小さく響き、始めのうち泳いでいたリーナの目が無意識のうちにリヴァイの口元をじっと見つめる。表情に変化は見られず飲むのを止める気配もない。
不意にテーブルの上辺りを見つめていた三白眼がリーナを射抜くと、驚きにカップを持つその手が宙で止まる。


「悪くない」

「本当ですか!?それはよかったです」


ぎし、とソファーを軋ませリヴァイが立ち上がると、ローテーブルを回りこみリーナの隣に腰掛けた。カップを持った手で腕を組み頭を背凭れに預け天を仰いで、暫しの間沈黙したのち口を開く。


「なあリーナよ」

「は、はい」

「お前はこの班、どうしたい」

「どうしたいか・・・ですか?」

「お前はどんな班にしたいと思う」


力なく天井を仰いでいた頭がこて、とリーナを向く。穴が空くほどに見つめる瞳は角度故か、平生の鋭さはなく穏やかにも見えた。


「皆で生きて帰ってくる班・・・でありたいです。そんな保証は無いと分かってはいるんですがーーーそれだけ強い班でありたい。
人類最強の、兵士長の名に恥じないような」


真っ直ぐに答え、見つめ合う視線が絡む。リヴァイが先に僅かに逸らすと一度ゆっくり瞬きし、頭を起こし姿勢を正すと手に持ったままの中身の少ないカップに口をつけた。


「ほう・・・」


リーナがびくびくしながら彼の返答に構えていると、感心したような呆れたような声色の小さな相槌を耳が拾う。続く言葉に構える様に、自信無くたじろいだ様子で落ち着きなくカップを手に取った。


「強くなれ、リーナ」


毅然として囁かれたその言葉に、緊張に乾く喉を潤そうとカップを持ち上げた右手がはたと止まる。


「何も気にするな。自由に飛べ」


空になったらしいカップをソーサーに戻しリヴァイが立ち上がった。執務机の書類を手に取りローテーブルへ広げる。


「報告書だ。この前の調査の事、全て詳しく書いておけ。俺はエルヴィンの所へ行く」

「は、はいっ」


目の前を通り過ぎようとする上司を見送るべくリーナは慌てて立ち上がり拳を握って左胸を叩こうとするも、隣に立ち止まった彼によってすぐにその手は取られ止められた。再び歩き出すその背中を静かに見送っていると、ドアノブに手を掛けたところで立ち止まり振り返る。


「それが終わったら」


ローテーブル上の報告書を一瞥し、流した視線がリーナのそれと一瞬かち合った後、一歩踏み出した扉の先へと逸れた。


「訓練を見てやる」



扉が閉じられるまでその背中を見送りながら、リヴァイに訓練を監督されるという好機に気分が高揚するのをありありと感じていた。彼の部下になるという実感に今一度震えるその胸に、リーナは改めて一層の努力を誓うのだった。








190526修正


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