07
「んーーーー
ん?ここは・・・」
目を覚ましたリーナの視界には彼女自身見慣れた天井が広がっていた。いつも眠りに落ちる前に目に付く木目の染みと全く変わらない。随分と重く感じる体を起こしてみると、やはりここは自室らしかった。少し赤みの差した日差しが注ぎ込む窓は開け放たれていて、そこにかかるカーテンが時折ふわりと踊る。どうやら眠っていたらしく、陽の傾き具合から現在は午後らしいとあたりをつけた。
「あのあと、どうなったんだっけ・・・」
リヴァイの馬に一緒に乗った記憶が薄ぼんやりと残っているものの、その前後の記憶が朧げになっており、すんなりと思い出せないでいた。
遠くを見たまま呆けたように壁外での出来事を振り返っていると、班員が巨人に捕らえられる場面が閃くように脳裏に浮かぶ。
ぐっと胃が収縮するような感覚に思わず両手で口元を押さえた。突然の吐き気に全身が震えるのをきつく目を閉じてやり過ごすが、はじめは断片的な場面であったものが脳裏で映像として一つ一つ繋がり鮮明になっていく。
コンコン
突然のノックにリーナがえずく合間でなんとか返事を返したところで、ドアが勢いよく開いた。
「リーナっ!よかったー起きたんだね!?」
それと同時にどどどっと雪崩れるように入って来たハンジが一直線にリーナへと抱き付いた。勢いを殺さないそれに起こしていた上体は再びベッドに戻される。優しく包み込まれるような抱擁であった。
「大袈裟なんだよ。離れろ」
リヴァイに引き剥がされ温かい体温が離れて行った事に安堵しながら上体を起こした。身体中が震えていたのでまずいと思っていたのだが、いつの間にかその震えは収まっていたようだ。
「すまないね、起きたばかりだろう?
今は昼過ぎだから、壁外調査から帰ってきて丁度丸一日経ったよ」
「エルヴィンさん・・・」
近くの壁に寄り掛かっていたリヴァイが靴を鳴らしてベッドの真横まで寄る。エルヴィンの隣に並び、平生通りの鋭い瞳で再び上体を起こそうとするリーナを見下ろした。
「さっさと本題に入らせてもらうぞ。クソメガネと違って暇じゃねぇんだ」
「はい・・・お願いします」
「単刀直入に言う。昨日の事、全て報告しろ」
淡々としたその言葉に再び身体が強張る。ぶわりと次々浮かぶ光景に再び震えが沸き起こった。あの時、本当に助けられなかったのか。はなから諦めてはいなかったか。
助けたいと本気で思っていたはずなのに、あの時の自分は全力だっただろうか。どうにかして死に物狂いで救出していれば、皆にあんな無惨な死を迎えさせなくて済んだのではないか。
「私達は決してリーナを責めたいわけじゃないんだ。
ただ、報告書を書いてもらう前にリーナの口から説明してもらいたくてね・・・ゆっくりでいい、話せるかい?」
リヴァイとは目を合わせられない様子のリーナに近づき、俯いて黙っているところにハンジがベッドサイドにしゃがみこんで覗き込み問う。
ゆらゆらと揺れる瞳を隠す様に固く目を閉じたリーナはしばらくの間沈黙した後、ゆっくりと顔を上げそれを破る。
「陣形が展開してからしばらくは、通常種の発見だけで順調でした。
ですが気付くと遠方に奇行種が三体、6m級と10m級と12m級です。班長の指示で、マークスさんと私が12m級、班長とユリアさんが10m級を討伐することになりました。6m級の方は初列八班が向かっていました。
それから、マークスさんから討伐補佐にまわるように指示を受け12m級の膝裏を削ぎにかかりました。ですが、項にアンカーが刺さっているのがわかったのか、その巨人が突然立ち止まって上半身をっ・・・激しく、振ったんです・・・
私はなんとかアンカーを外して地面に転がることができたのですが、マークスさんはそのまま・・・振り回されてしまって、そのまま恐ろしいスピードで手の中に収まって・・・」
「そう・・・身じろぎする巨人か、興味深いなぁ」
「はい・・・明らかに振り落とそうとする動きでした。本能的に、なんでしょうか。
急いで項を削ぎ落としたんですが・・・噛み切られた後、でした。
遺体を巨人の掌から引きずり出して、班長とユリアさんの方へ向かいました。
ですがその途中で腕や足が一本すつ落ちているのを見かけて・・・その奇行種も、それからすぐに殺したと思います・・・
残りの6m級を見ると初列八班の先輩が応戦していて、近付いていったのですが間に合わず・・・その巨人も、殺しました。
その時に私の馬も死んでしまったので、どうしたらいいか迷っていると、遠くに巨人の群れを見つけました。
そのあとは、もう・・・無我夢中だったので・・・
どうやって動いたか、覚えていません。でも全部、殺したんだと思います・・・」
「そうだったのか・・・辛い経験だったね」
「調査兵団に入団した時から、覚悟はしていました・・・
でも、私に力が、無かったから」
「リーナは無力ではない。今回居合わせたのが君ではなかったとしても、彼等を助けられたかどうかは例え私にも、誰にも分からないんだ。
しかし我々は彼等の死を無駄にはしない。無駄にすることは許されない。その為に、リーナも更に力をつけるんだ。彼等が命を賭して目指した、人類の勝利の為に。そして犠牲となる命を一つでも減らす為に。
そこでだ。次の班の再編成にあたって、リーナにはリヴァイの班に異動してもらおうと思っている」
アイスブルーの瞳を逸らさずに低い声で真っ直ぐな熱意を静かに語り掛けるエルヴィンの目に惹き込まれていたリーナは、最後の予想だにしなかった言葉に思考が止まる。少しの間を置いてから漸く咀嚼してすとんと落ちてきた衝撃の言葉に、彼女が驚愕を隠す事もせず口をついて出た間抜けな声で聞き返すと、気迫に溢れていた表情を緩ませたエルヴィンが言い聞かせる様にして一言一言丁寧に紡いでいく。
「実はかねてからリヴァイ直属の班を結成しようと考えていてね・・・少しずつ班員の選抜をリヴァイと進めていたところだ。リーナは実績こそ昨日まではなかったものの、今回の状況下での生存は十分評価に値する」
「リヴァイさんの・・・班、ですか・・・?」
「ああそうだ。それともリヴァイの班は嫌か?」
突然のことに目も逸らさずただ呆気にとられているリーナの肩を、意地の悪い問い掛けと共にとんとんと優しく叩き彼女の意識を呼び戻す。
弾かれるように音が出そうな勢いで首を横に振るリーナの様子を見たリヴァイは小馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「お前が嫌がろうが断ろうが無駄だ。決定事項だからな」
「決まりだね。良かったねリヴァイ、断られなくってさ」
「当然だ。万一断ったとしても、躾が必要になるだけだ」
「リヴァイ・・・あまりリーナを虐めてくれるな」
リヴァイの言う躾というものがどんな類のものかリーナには想像も付かない。たまにある冗談なのだろう、と片付け詳しくは聞かないことにした。目の前の三人は始めよりも比較的穏やかな雰囲気でああでもないこうでもないと班について話し合っている。
リヴァイの下につくということはリーナ自身、身に余る名誉であると自覚すると同時に、喜びを感じていた。しかし手放しで喜べるような軽い話ではない。
力をつける為にリヴァイの班に入るーーーエルヴィンが語った今後の展望であったが、現状何の力も無い自分が所属して、また班があんな目に遭ったなら、自分には何が出来るだろう。前途ある人の未来がまた奪われてしまう。もし自分が足を引っ張り、周りの命を危険に晒したら。それがもしリヴァイであったら。
そんなことはあってはならないと、巡り巡る最悪の想定がリーナの体を震わせる。
「ん、リーナ?大丈夫か?
すまなかったね、目が覚めたばかりなのに話し込んでしまって。今日とにかくゆっくり休んでくれ」
「あのっ」
「どうかしたか?」
「私に・・・務まるでしょうか」
あからさまな弱音と共に溢れた涙がぽろぽろと頬を伝ったのが分かる。こんな聞き分けのない子供みたいなところは目の前の彼らに見せてはいけないと思っていたはずであった。しかしもう自分で自分が分からない。心の中はぐちゃぐちゃに荒れていた。
「もしかしたらっ、またわたしはーーーーー」
「なら聞くが」
ドアに向かって歩き出そうと背を向けていたリヴァイが彼女の言葉を遮り振り返ると、足早にベッドサイドまで詰め寄る。
「お前の今の報告は、少しでも脚色したり誇張して話したものか?」
「いえ・・・覚えている全てを、ありのままに」
「ならその上でエルヴィンと俺が配属を決めた。お前にはその判断が信じられねえと?」
鋭い視線と威圧感が全身を刺す。上官の命令に背くのか、という叱責にも聞こえるが言葉の裏にあるのはそれだけではないようだった。それを裏付けるように、リヴァイとリーナが見つめ合っている間にもハンジの手が布団越しの膝辺りを優しく撫で、静かに励ますような微笑みも湛えている。
「・・・いえ、仰せのままに」
「ふん」
「リーナ・・・リーナの心配な気持ちは私も多少分かるつもりだ。でもね、エルヴィンとしては調査兵団としての最善を考慮した結果の采配なんだ。信じてあげてくれないかな?
大丈夫。その心配な気持ちがあるうちはリーナは強くなれる。願わくばその気持ちを忘れないでほしい。リヴァイもそんな感じのことを言いたいんだと思うよ」
控えめに微笑んで見せたハンジがするりとリヴァイとリーナの間に滑り込むように分け入ると、リーナの細い肩に腕を回し抱き締める。上背のある分リーナの顔が胸に押し付けられる形になり、ぎゅうぎゅうと段々力が篭るそれにリーナの手が弱々しく限界を告げる。
「そろそろ離してやれ・・・折角生きてたのに死にそうだぞ」
ハンジの襟首を掴んだリヴァイが再びその体を引き剥がす。そんなことは意にも介さない様子でこやかに手を振るハンジに目もくれず、医務室の入り口まで引き摺ったまま連れて行くと荒々しく廊下に放り出した。報告書が、掃除がとリヴァイの小言がリーナの耳にも届く。
「目が覚めたばかりで色々と悪かったねリーナ。我々はもう行くよ」
廊下で尻餅をついたままだったハンジも、爽やかに微笑んで颯爽と部屋を去るエルヴィンの後ろについて手を振りながら歩き出した。しかしそれはリヴァイが後ろ手に閉じた扉ですぐに遮られる。
彼は二人が退出しても依然部屋に残り、再びベッドサイドに寄ると枕元近くのスツールに腰掛け足を組む。リーナの目線よりも少し高いところにある双眸は何かを訴えるように真摯な眼差しでリーナを見つめていた。
「お前があの班でどんな目に遭っていたかは、俺達も分かっている」
「班で、ですか?」
「奴らが帰って来たら取り調べて然るべき罰を与える予定だったんだが・・・皮肉なことに、それは叶わなくなっちまった」
言い切ると細めた目を逸らし、俯き気味に目線を下げるリヴァイ。今しがた語られたその話題にリーナの心臓が一度大きく音を立てていたのだが、リーナの中であの班は、例え詳しく話せと言われてたところで上手く言い表せられるような存在ではなかった。
配属された初めての班ということもあり、本人に自覚こそないもののその小さな班がリーナの調査兵団団員としての行動原理の全てであった。どんな目にと言われても、あの班の中ではあれらがリーナ自身に出来ることの全てで、人間関係に関しても自分が上手い付き合い方が出来ない所為で、あの環境が正常だと感じていたのだ。そこに疑問は感じていなかったし、むしろ班の事を思えば自分を省みて一層の努力を重ねることが出来た。未熟な自分以外の先輩の様子が、独特の団結力をもつ班の雰囲気が、リーナに憧憬の念を抱かせ奮い立たせていた。
「私はずっと、班の皆さんが羨ましかったんです。何度叱られても、いつか認めてもらえたらどんな話をして、どんな連携が取れるだろう、ってそればかり考えていました。
いつか、ってずっと、考えていたのに・・・」
「・・・そうか。
お前がそう言うのなら、あの班はお前の大切なものだったんだろうな。だがあいつらのやり方は褒められたもんじゃなかった。
まあ要は、もっと早く気付いていればお前にとっても奴らにとっても一番良かったんだがな・・・悪かった」
「え、?」
上官も上官であるリヴァイに謝罪されたという衝撃がリーナの脳内をぐるぐると回っていた。聞き違いでなければ悪かったと聞き取れたのだが、何故なのか、理由は何か、と疑問ばかりが浮かんで思考がパンクしてしまいそうになる。目の前の彼がいつもより口数が多い事を指摘しようとしていたのももう記憶の彼方へと追いやられてしまう程に、意図が不明で恐れ多い出来事であった。
「新しい班の人選は着々と進んでいる。俺が信頼出来る人間の集まりになるはずだ。お前もそこで、どっか遠くから見てるあいつらが認めざるを得ないくらいにまた力をつけていけばいい」
そう優しく諭されると、それが今の自分にできることなのだとすんなり腑に落ちた。
自分の班を大切にしていた気持ちも、守れなかった後悔も忘れない。その大事にしまった気持ちの分だけ、また強くなることができるのかもしれない。
「・・・なんだ。まだ何か言い足りねえことでもあんのか」
「いえ、何も」
胸の内にふと湧いた素朴な感想を述べるべきか一瞬思案したリーナであったが、怪訝な顔をする彼の気迫に押され目を逸らし口を噤んだ。そんな優しくしていただいたらばちが当たりそう、などといらない独り言を漏らしても得はない。自分の中で大事に噛み締めておくことにした。
「話は終わりだ、もう寝ろ。明日もまだ疲れが取れない様なら削ぐからな」
その言葉と同時にばさりとリーナの視界が布団で遮られ暗くなる。つられて横になりもそもそと顔を出すと、彼はスツールを動かしたのかヘッドボード側の壁に背中を預け腕を組み向かいの窓を眺めていた。リーナがそれを斜め上に見上げる形で見つめていると、そよぐ風に煽られた前髪の間から覗く眉間に皺が寄った。
「さっさと寝ろ。それとも本当に削がれたいか?」
「すみません」
実行に移しかねないと本能に訴えかける鋭い視線が後頭部に刺さり布団に潜り込む。眠る時に誰かが隣にいる。そんなことは酷く久しぶりだった。
心の底から温まるような安心感からか、十分眠ったにも関わらず段々と瞼も下りてくる。
ぶっきらぼうな優しさが、こんなにも嬉しい。
「リヴァイさん・・・リヴァイさんが謝るような、こと、なにもないです・・・だからーーーー」
微睡みの淵で、いつもよりも優しい舌打ちを聞いた気がした。
190716 修正
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