たとえば僕が、 | ナノ

"今夜行く"



たった4文字のメッセージを今まで何度受け取っただろうか。このメッセージに対する返信は今までしたことがない。
仕事道具を机に並べ、白衣を羽織って彼がこの家に来るのを待つ。


あれから数年経ってしまった。月日が経ってもあの人が死んだ事実をいまだに受け止めることができないのだなぁとしみじみと思う。


私はあの日に降谷さんに保護されたまま、当時通っていた医大を卒業し、アルバイトとして医療の道に進んだ。
とは言っても、その本業をのんびりとこなして過ごていた。

副業といっていいのかはわからないが裏では公安の降谷さんの協力者になっている。無茶して怪我をした降谷さんの手当がメインである。

他にも非常勤アルバイトとして警察病院をはじめいろんな病院に入っている私は病院内部での情報には事欠かない。その情報を降谷さんに流すこともあるが、




ーーードアのチャイムが鳴った。この部屋を訪問するのは一人しか居ないけど、ドアスコープから覗き込んで降谷さんの姿を確認してから扉を開いた。



「こんばんは」

「突然悪いな」

「いつものことでしょう?鍵、持ってるんだからお好きに入ったらいいのに」


見るからにひどい怪我をしている降谷さを部屋に招き入れる。脇腹からは止血しているといえど出血が生々しくジャケットに主張しているし、足は挫いたのか引きずっている。


ここはセキュリティ万全の部屋。医者とはいえ、アルバイトの身としての私には到底払えきれない家賃のマンションの一室は私名義ではなく、降谷さんに与えられた部屋。もちろん、この家の鍵は降谷さんも持っているのだけど、それを使用したのを見たことがない。



「流石に悪いだろ」

「でも此処は…」

「いいから手当をしてくれないか」

「…座ってください」


 
部屋の奥に突き進み、ソファに腰を据えた降谷さんはジャケットとシャツを脱いで、そばのカゴに放り込んだ。
私は用意していた道具を広げ、消毒薬の瓶を開ける。
脇腹にこびりついた血の塊を丁寧に取り、傷口を見る。

爆発に巻き込まれたかのような火傷だった。痛みはあるはずなのに、呻き声一つ上げない降谷さん。


「どうしたらこんな怪我するんですか……」

「ちょっとな」


背中にも火傷が拡がっていたので薬を塗り、ガーゼを挟んでから包帯を巻く。次は肩や頬の擦り傷も消毒薬を付けて、テキパキと処置をする。


「足はどうしたんですか?」

「着地に失敗した」

「…どこから落ちたのか知りませんけど、折れてないのがすごいですね」


足首に触れると折れていないのはすぐにわかったけど、痛かったのか引っ込まれてしまった。


「っ…」

「すみません」

「いや……」


こちらも湿布やテープで固定して私の仕事はこれで終わりだ。


「助かった」

「怪我は見た目よりは酷くないですけど、足は暫く走ったりとかしないでくださいね」

「ああ」

「それと、」


ぺたりと額に手を当てる。先程よりも体温が上がっているようだ。


「今晩は熱が出ると思うので、此処で休んでいってくださいね」

「だが」

「せめて万全な体調で無茶してください」

「……わかったよ」


眉を下げて、ようやく私の話を聞いてくれた降谷さんはソファに倒れ込む。
小さく長いため息が聞こえてきて、私は白衣を脱いだ。


「どこにいく」

「軽いものでも作ってこようかと」


部屋を出ようとした私を降谷さんは腕で顔を覆っているのにも関わらずすぐに呼び止めた。


「いらない」

「空っぽの胃で薬を飲むつもりですか?まさかとは思いますが一応医者の私の前でそんなことが許されるとでも?」

「……悪かった。頼む」



ふ、と昔のような幼馴染の会話の流れ。そういえばこの人と会うのも久しぶりだな。





冷蔵庫を開けると、なにもなかった。辛うじてある梅干しを取り、冷凍庫も見てみると冷凍しておいたご飯が置かれていた。


そうだな……お茶漬けぐらいならすぐに作れる。そう決めたら行動は早い。



即席の出汁茶漬けという本当に軽いものを持っていくと、降谷さんはぺろりと平らげた。



「買い物行ってなくて…ほんとにすみませんこんな簡素なものを降谷さんに振る舞ってしまって」

「いや、おいしいよ。名前こそちゃんと食ってるのか」

「…適度に食べてますよ」




私と彼は同い年で、幼馴染だ。彼の協力者となってから彼には敬語を使い、零-ゼロ-と呼ぶこともなく、降谷さんと呼ぶようになった。
始めて敬語を使ったとき、訝しげに彼は眉を顰めたけど、何も言わずに受け入れた。私達はもう幼馴染という枠ではない。


ーーーー公安とその協力者なのだ。
それが、私を生かすものともいう。



食器を片付けようと、立ち上がる私の視界に褐色の手が伸びてきて、手首を掴まれた。優しい体温だ。




「前に会ったのは……何ヶ月前だった?それよりも細くなっていると思うが」

「そう、ですか?」


さわさわと触れられる手首。擽ったいとは思いつつも、それを離すことはできなかった。降谷さんはぐっと親指で私の脈を押して下に指を滑らせる。


「っ…」

「傷もだいぶ薄くなったな」

「その節はご迷惑をお掛けしました…」



手首の傷は私が自殺しようとしたときの傷だった。あの人のいない世界に耐えられない、今思えば酷い錯乱状態に陥っていたのだろう。
あの人の後を追おうと、睡眠薬を多量に服用した挙句、手首を切った。
今、こうして生きているということは間一髪で降谷さんに助けられたということ。


意識を取り戻したとき、側にいた降谷さんに怒られると思った。でも彼は怒らなかった。瞳に涙を溜めて、死なないでくれとぽつりと呟いた言葉に、私は降谷さんを一人にしてしまうのは嫌だと気付いた。


何度もごめんなさいを言って抱き合った。彼のいない世界で生きるのは辛い。それでも忙しい合間を縫って降谷さんは私を支え続けてくれた。
それは今も、この関係となってからもだ。

なんとか傷を舐めあって生きてきた。降谷さんの提案で協力者となったのも、私がまた馬鹿なことをしないように、の意味も含めてのことだとわかっていて、了承した。
それに、降谷さんも突然居なくなってしまうんじゃないかとの不安感もあったのだ。
前みたいに連絡はしょっちゅうじゃなくなったけれど、生きているのがわかってるぶん、"協力者"という繋がりを安心材料としている私もいた。







「っ……は…」



彼をベッドに寝かせて、私はサイドに置いてある椅子に座って様子を見ていた。
熱はやっぱり上がってきたようで、寝苦しそうに息を上げている。
鎮痛剤と睡眠導入剤を飲んでもらい寝てもらったもののやはり苦しそう。

額に乗せた熱冷まし用のシートを張り替えようとベッドに手を付く。ギシ、とスプリングが跳ねる。


「ご、めん…」


額にそろそろと指を伸ばすと降谷さんはそう言って目を空ける。起こしてしまったのか起きてしまったのかわからないけど、アイスブルーの瞳はしっかりと私を捉えて私の名前を呼んだ。


「名前」

「大丈夫、ですか、!」


ぐっと手を引っ張られ、ベッドに身体を預けてしまう形になる。それでも狭いスペースで不安定の中、落ちそうな背中を力強い手で支えられた。
あんなに怪我をしていてもこんなに力が残っているのか、なんてことを考えた。


「一緒に寝てくれないか」

「は、」

「最近よく眠れないんだ」


患者にゆっくり眠りについてもらうのも、医者の役目ではないか?そんなニュアンスを含んだ目が私を離さない。
この人は頑固だ。数年の空白はあれど、長く付き合ってきたからこそわかる勘。



「少しだけ、ですよ」



そう言うなり私の視界は暗転し、鼻孔に消毒液の匂いがツンときた。ドクドクと感じる心臓の音は私のものじゃなく、彼のもの。抱きしめられている、ということに気付くのも時間は掛からなかった。
私達は辛いときに抱きしめるのも抱きしめられるのも数え切れないくらいやってきた。
今更、恥ずかしいものでもない。
ただ、言えるのは一線はおろか、キスすら発展していない。

だって私も彼の中にはお互い、好きという感情はないから。




「よくみんなで寝てたよな」

「子どもの頃の話でしょ?貴方と、景光と明美とね」

「そうだった」


口から出るのは昔の思い出。つい昔のような口調で彼の会話に合わせてしまった。
懐かしい子ども時代に思い馳せる。明美とももうずっと顔を会わせていないけど元気なのかしら、そんな疑念を掻き消すように降谷さんは私を抱きしめる腕の力を強めた。


「眠れるんですか」

「少なくとも悪夢は見ずに済みそうだ」


お前の身体はひんやりとして気持ちがいい、眠そうな声で降谷さんは呟いた。何度も聞いた台詞だ。

なんの因果か、私の身体があの日から体温機能が狂ってしまったようだ。それまで子どものように高い体温だったのに低体温症のように、手先や身体の体温が下がってしまった。健康には害はないのが驚きだった。

そんな私に降谷さんは自分の体温を分け与えてくれるようにこうやって温もりもくれる。この人には与えられてばかりだな、とそのまま目を瞑った。






久しぶりに、夢を見た。

光溢れる場所から離れたところに私は立っていた。視線を一点に絞って前を見据えていると二人の人間がぼんやりと浮かんでいた。

目を凝らせばそこにいたのは景光と私。
景光と一緒に過ごす時間の夢か、と夢の中で私は納得した。

久しぶりに見る景光の顔は夢の中の私も同じだったようで、嬉しそうな私の表情がそこにあった。景光と肩を寄せあって会話をしているのを私は遠くから茫、と見ていた。
本を読んだり携帯とにらめっこしたり、後ろから抱きしめられ、鼻先を擽るようなキスをしたり、一緒に食事を作ったり。


昔、さんざんやってきた光景をこうやって目の当たりにするのは恥ずかしいものもあった。でも、懐かしくて、目に涙が溢れそう。


あぁ、彼の声が聞きたい。あの私達は今何を話しているのか聞きたい。
どんなにくだらない話でも、私達は笑っていたよね。

景光は顎髭を私の頬に擦り寄せ、私は嫌そうな素振りをしながらも嬉しそうに応えている。


手を伸ばす。届かないのはわかっていた。
私もそこに行きたい、ただ一言だけでよかった、私の名前を呼んで。走っても走っても、そこにはたどり着けなくてもどかしくて、景光!!そう叫べば意識は覚醒して、起き上がる。目の前には降谷さんが私の肩を揺さぶっていた。



「大丈夫か?魘されてい…!!」



降谷さんの背中に腕を巻き付けて距離を縮めた。心臓はバクバクと動いて、荒い呼吸をなんとか落ち着かせようとしても息が苦しくて、窒息しそう。

降谷さんも私を抱きしめてくれて、背中をトントンと優しく叩いてくれて落ち着くまで私のしたいようにさせてくれた。



「は、っ……はあ」

「……」



私の呼吸が落ち着いた頃、彼はようやく私の名前を呼んだ。私が欲しかった声じゃないのが辛かった。



「声……?」

「名前?」


夢の中でも私は彼の声を聞くことができなかった。彼の声を聞きたくて聞けなくて。……あの人の声はどんな声だった?




『なぁ、知ってた?』

『なにが?』

『人がひとを一番最初に忘れるのは声なんだって』

『…やだ、やめてよ。怖い顔して』

『俺にもしものことがあったら早く忘れてくれな』

『これ以上言うと怒るからね、景光…!』




不意に脳裏に過ぎる記憶に頭がパニックになる。忘れ、る?




「いや、いや……忘れる……?できない」

「名前」

「早く忘れてって……景光が…いや、よ……いやぁぁぁぁぁ!!!忘れたくない……忘れたい……!!」



落ち着け、という声に降谷さんの服をぎゅっと握りしめる。ぐしゃぐしゃな自分の顔は見せたくない、前が涙で歪んで見えて、泣き叫んだ。


忘れたくない忘れたくない忘れたくない。



なのに、なんでもう顔すら朧気な記憶なの。



忘れたい忘れたい忘れたい。



忘れるなら出会う前から記憶が失くなればいいのに。




「名前」



宥めるように何度も何度も降谷さんは私を呼ぶ。その度苦しくて、生きるのが辛い。もう何度呼ばれたのかわからない。涙でひどい顔を上げれば、かち合うアイスブルーの視線。



「忘れないでくれ」



その言葉は安心するようなしないような。しゃくりあげながら何かを発しようとする私の顔に突如落とされる影。


「っんふ…!!」


背中に柔らかい衝撃。目の端に映るのは天井。ベッドに押し倒された自分が唇を奪われていることに気付いたのはこじ開けられた唇に舌が侵入したときだった。

力強い手で塞がれる私の手首。呼吸する暇も与えられなくて、二度目の窒息しそうな気分。私には抵抗する力なんて残ってない、いや、抵抗したいと思っなかった。

貪られて、求められるのが嫌じゃなかったのは、景光を忘れたかったから?




「…ごめん」

「ぜ、ろ…」



キスの名残が、銀の糸で私達を繋いだ。それはすぐにぷつりと切れ、零はまたごめんと呟いて私の肩に顔を寄せた。耳元にダイレクトに聞こえるごめんに許すように零の背中に手を回した。








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