たとえば僕が、 | ナノ

警察官になった彼は顎髭を生やし始めた。なんとなく、なんとなくだけど置いて行かれた気分になって寂しかったのを覚えている。
そんな彼とはずっと昔から一緒にいた。

私と彼ともう一人の幼馴染の男の子は、言葉通り、ずっと一緒にいた。
それがいつの間にか警察官になったと思えば、何をしているのかも勿論のことだけど教えてくれなかった。
だけど警察官の中でも更に危険なことをしているのは薄々わかっていたし、すれ違いの生活の中一度だけ喧嘩をした。
私もまた学生の身で多忙だったのもあり、人のことを言える立場ではなかったのだけど思わずいろいろと八つ当たりした結果、お互いが爆発した。

その喧嘩は後にも先にもそれが最後だ。結局、私や彼からそれぞれ愚痴を聞かされ困り果てた幼馴染の介入によって仲直りした。忙しくても私のところが帰るところだから、とその言葉が決め手だった。
時間差で照れたのか真っ赤な顔になった彼に私もつられて頬が熱くなるのを感じた。
紆余曲折あったもののその出来事があったからこそどんな時でも笑っておかえりと彼を迎えてあげようって決めた。

会える時間は警察官になる前と格段に減ってしまったけどそれでも充実していた日々を過ごしていた。




もう随分と彼から連絡が来ない。
仕事中は連絡はしないでほしいと申し訳無さそうに彼は言っていた。
仕事なら仕方ないよね、頑張ってね、と約束をしたのはどれほど前のことだったのか。

嫌な勘だった。ただの杞憂だと思えないそれが突如、不安に襲われて、私は遂に約束を破って電話を掛けてしまった。あの人の声をほんの少しだけ聞けばこの不安は解消できるんじゃないかと思っていた。





『お掛けになった電話番号は現在お繋ぎできません』





そのアナウンスは不穏の始まりにしかすぎなかった。


毎日何度も掛けた。同じことの繰り返しで、気が狂いそうになって部屋中のものをひっくり返した。いや、もう狂っていたのだと思う。あの人になにかが起こったのだと確信していた。


おかしい、おかしい、おかしい。

嫌なことの不安は的中するものだ。涙がポタポタと頬を伝って床に溜まる。
荒れた部屋を片付ける気力もないまま床に伏せ続けた。


それからまた数日経った雨の日。
土砂降りの雨はさらに私の心に影を落とす。ところどころ光る稲妻の恐怖よりも嫌な予感はずっと拭えないまま。



「    」


その名前を口にしたけど、声は出なかった。代わりにドアのチャイムが鳴る。
何度も鳴らされ、ぼんやりと聞いていたがふと我に返った私は立ち上がる。あ、これは彼だ。彼が帰ってきたんだ。

電話掛けちゃってごめんね。約束したのに、携帯はどうしたの?ううんそんなことより、お腹空いてる?お風呂入る?言いたいことはたくさんあった。
勢い良く扉を開けばそこにいたのは彼ではなかった。



「……」

「久しぶり」



褐色の肌に金髪。この天気の中、傘も差さずに歩いたのか全身びしょ濡れ状態にいる目の前にいる人は幼馴染。



「ぜ、ろ…?」



降谷零。私と彼は、この人のことを"ゼロ"と呼んでいた。最後に見たのは数年前のはずなのに全く変わっていない。先に挙げたように特徴的な外見ということもあり、零だとすぐにわかった。



「久しぶり」



と、また零は言った。待ち人ではないものの、久しぶり、と私も返した。ふ、と笑うそれは今にも消えてしまいそうだった。どうしたの、というよりも扉を大きく開いた。



「中に入って」

「いやここまででいい。話があって」

「いいから入って。その状態で話なんか聞けない」



袖からもボタボタと水滴が垂れるのを気にせず、零を引っ張って中に入れる。靴と靴下を脱いで待っててと言う。
すぐに脱衣所に向かい、バスルームを温めて、浴槽に湯を張る。そしてバスタオルを持って慌てて戻る。


「はい、とりあえず拭いて」

「ありがとう」


もう一つのタオルで零の頭を拭く。ぐっしょりと水分を含んでいて、すぐにタオルが使いものにならなくなってしまう。


「お風呂用意したから、シャワー浴びて」

「いや、」

「話はそれから。早く、風邪引くよ」

「う、」



遠慮する彼に怒るような宥めるようなそんな気持ちで言えば、流石に諦めたのか素直になってわかったよと一言。
緊張がちなアイスブルーの瞳がようやく柔らかくなったのを見て、あ、と懐かしくなる。


バスルームに零を放り込み、私は寝室のチェストから着替えを取り出す。よく寝泊まりしていた恋人の服なら、零でも着れるだろう。彼にとっても幼馴染なのだから抵抗なく着れるはず。


シャワーの音がしているのを確認してそーっと脱衣所に入る。バスルームの扉から見える影はちゃんとシャワーを浴びているようだ。


「着替えとタオル置いておくから。ちゃんとお湯浸かってね」


大声でそういうと、シャワーが止められ数秒の間。


「ありがとう…名前」

「どういたしまして」


久しぶりに名前を呼ばれた。と嬉しくなる。しばらく振りの幼馴染はあの人が寄越したのだろうか。

リビングに戻って部屋の惨状を見る。自分で荒らしたものだけどこの部屋を零がお風呂から上がるまでに片付けてしまわないと。何もやる気がわかなかったさっきと違う。キビキビ動き、粗方片付けたタイミングで息を吐いた。


零の話とは一体どんなものだろう。
ずっと………それこそ私とあの人の喧嘩のあとから私の前に姿を表さなかったのに、彼がいないこのタイミングで、と考えると腹を括らないといけないのかもしれない。抑えていた不安が湧き上がって震える身体を両腕を抱えこんだ。








「これは…」

「あ、あはは…ちょっと忙しかったから…つい片付けられなくて」



シャワーから帰ってきた零にまだ片付けきれていない部屋を見られる。ぐちゃぐちゃな部屋だけど、座るところは確保したので座ってもらう。


「……」

「……」



話を促したいわけでもなく、無言に耐えられず落ち着かない。そわそわ、する。心臓の鼓動が彼にも聞こえていそうで、口を開く。



「お茶入れてくる」

「いや、いい」

「いいから、待ってて」

「名前」

「きゃ、!」


立ち上がる私の手首を掴む零の力が思ったより強くて、後ろから転びそうになると恐怖で目を閉じる。背中に来るはずの衝撃はふわりと受け止められて、恐る恐る目を開けば、隈だらけの零の顔が至近距離にあった。


「悪い、急に引っ張ったから」

「…こっちこそごめんね…重かったでしょ?」


向かい合わせに座り直し、俯く零を下から覗いて見る。絞り出すような声に私はいよいよ覚悟を決めた。


「いや……ちゃんと飯食ってるのか?久しぶりに見たとはいえ、窶れてるように……あ…」



しまった、という一瞬だけの表情を私は見逃さなかった。それはあの人が帰ってこない───と理解した顔だった。たったそれだけで、察してしまった。
ごめん、と顔を上げた彼にできた隈に指を這わせる。



「私なんかより、零こそ寝てないでしょ?」

「……」




息を呑む声がして零は私の胸に顔を埋めた。




「あいつ……しば…らく忙しいから…って…連絡取れない……」

「零。もう言わなくていいから」


わかる嘘はつかないで、膝立ちになった私は零を包み込むように抱きしめた。

言わなくていい、よりも聞きたくなかった。
あんなにどこにいるのか、知りたかったのに。


私の好きな人はもうこの世にいない。
なんて、そんな答えは聞きたくないじゃない。

零の頭を抱え込み、泣いていいよというように腕の力を込めた。ざぁざぁ降りしきる雨が、すべて隠してくれる。背中に回された彼の腕が強くて痛くて生きていることを実感した。

不思議と涙が出なかった。
自分のことよりも零が心配になってしまった。
壊れてしまいそうだったのだ。













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