予想外の残業に草臥れ、ふらふらと帰宅した瞬間、ドンーーーと家の外から破裂音が聞こえる。
これは爆弾ではなくて、夏の風物詩でもある打ち上げ花火。部屋に入ってすぐに冷房を入れてソファに座りこんだ。
部屋は閉め切っているがそれでも音はドンドンと鳴って、時折リズムよく花火が発射されている音を聞くのは心地良い。
ソファに凭れながら携帯の画面を見る。…なんの通知も入っていないのはわかっていたことだった。画面を落とし、目を閉じて耳を澄ませる。
あ、すごい……外からバチバチバチって聞こえる。
今日は東都で一番大きな花火大会だ。駅にでかでかとポスターが貼られているのを見たのは今朝だったか。花火を観る人が一斉にその大会に居たので、帰りの電車は若干空いていたのも頷けた。
今年は打上数も過去最大と聞いた。花火を見て粋だな、なんてこの国を愛している彼が言いそうだ。
ベランダに出て花火を見ればいいのに、と思うけど生憎私の住むところの周りは高層マンションが多いので、それに阻まれてちゃんと見ることができないと思う。
何より暑いし、仕事から帰ってきたところだしで端的に言えば疲れている。明日は休みだけど、誰かを誘ったところでこの年になれば友達より恋人優先になる。つまるところ、一人なんだ。
…言い訳くらいはさせてほしい。私にだって恋人はいる。ただ一般のカップルよりも会う頻度も多くなく、最近なんて2ヶ月くらい前に電話を一度しただけ。1分も喋ってない。
彼は警察官だし、何をしているかは教えてくれたこともなければ、私はそれを聞き出そうともしなかった。
それでもこの国をこよなく愛する彼だから、今日もこの国を守ってくれてありがとうと毎晩呟いてから寝るのだ。
不満といえば不満。物分りのいい子のフリはとっくに辞めたから喧嘩もしょっちゅうする。それでも別れないのは惚れた弱みだ。
彼の信念を語る横顔に惚れたんだよなあ。
にやにやと口角を上がるのを感じながらキッチンに向かう。冷蔵庫から缶ビールを取り出して、プルタブを指に引っ掛ければ気持ちのいい音が鳴った。仕事から帰ってきた後のビールは美味しいなあ、なんて一口飲んでシャツのボタンを開ける。ああそうだ、部屋の電気を消してみよう。
手元のリモコンで消灯のボタンを押せば、ゆっくりと部屋の光が落ちていく。ふわっとした感覚に鳴りながらぱちぱちと瞬きを繰り返して、暗い部屋に目を馴染ませる。
ビールを煽りながら、カーテンを閉めたベランダの向こうから赤と緑の光が部屋を照らす。
「ああ、見えるんだ」
ようやく発した言葉が思ったよりも自分でも切なそうに聞こえてしまったのは勘違いではないだろう。
花火大会に行けなくても、このベランダからろくにそれが見えなくても、彼と一緒に過ごしたかったんだなあと理解すれば残り半分だったビールを一気に流し込んだ。あー、なんて乙女チックだ。
もう何年もずっと一緒に居たのに未だにそんなセンチメンタルなことを考えるなんて。
ため息を付きながら、シャワーに入ろうかそれともこのまま床で寝ようかなと思考を飛ばしていると着信音が勢い良く私の意識を醒ました。
「……はい」
「久しぶり、名前」
「れーくん…?」
しまった、画面を見ずに着信を取ってしまった。電話の向こうから聞こえる声は久しぶりの恋人の声。はは、と笑い声はまた相手を確認せずに電話に出ただろう、と言いたげな呆れたそれだった。
「タイミングがいつも悪いんだから」
そう。普段ならそんなことしない。れーくんが電話を掛けてくるタイミングはさっきのように寝落ちそうだったり、朝の支度に忙しい時間だったりと、ふとしたときに掛けてくるのが悪い。
「ごめん」
れーくんの素直な謝罪に、なんだか罪悪感を覚える。いやいや、そう思うならもう少しタイミングをね、と内心思いつつ、私もまた「私こそ確認しなくてごめんね」と謝る。
電話の向こう側で花火の音が微かに聞こえた。
「れーくん、今どこにいるの?」
「仕事立て込んでて、まだ職場。少し落ち着いたから休憩」
「そう」
仕事、は本当のことだろう。花火の音が時折聞こえてくるだけで、静かな空間にいるのがなんとなくわかった。
ドン───と、また花火の音。
「花火、見てる?」
「見てないよ」
「見て?」
うん、と、れーくんのひどく優しい声にすんなりと私はベランダに出る。高層マンションの間からきれいに花火は見えた。
「れーくんも見てる?」
「見てる。綺麗だな」
うん、綺麗。浴衣着て、一緒に屋台回って、肩並べて、手を繋いで花火を見る、そんなことは叶わなかったけど、電話の向こうの彼も今、私と同じ空を見てる。
ああ、嫌じゃない。
「来年は、一緒に見たいな」
「ふふ…そうだね」
あくまで願望。約束はできない。
それでもよかった。
来年も再来年も一緒に見ることが叶わなくても、今日みたいに連絡を取っていなくても、きっと私と彼はこの夜を彩る花を見るために空を見上げているはずだ。
「名前」
「、ん?」
「お疲れ」
「…ん。れーくんも頑張ってね」
じゃあ、と通話が切れても、私は携帯を握りしめたまま、花火を見ていた。きっと今、れーくんも同じことしてるね。
ドン───と音のあと、また花火に照らされた。