それはスローモーションのように、彼女が何発もの銃弾を撃ちこまれ、倒れていく姿を僕はどこか遠い意識のなか見ていた。
「苗字、?」
絞りだすように声を出して彼女に走り寄る。ふとこちらに向かれた顔で、零くんと安心するように僕の名前を呼んで、笑った彼女の顔は血まみれなのに綺麗だった。
「今、助けを呼ぶから……だから、諦めるな…!」
「ご…めんね、」
彼女は助からないと悟ったその目にふざけるなと叫んでやりたかった。もう感覚のなさそうなその手で必死に僕の袖を掴むそれを包み込むように握った。
「おい…」
「っ、あ……やくそ…く…守れなくて…さきに…いく、ね……は、」
だんだんと光が失われていくその目に必死に呼びかけた。まだ逝くんじゃない、先に旅立った友たちに連れて行くなと懇願するように。
名前に顔を近付ける。
「す、きだよ……れ、ぃ……」
「やめ、てくれ…」
1秒でも零くんより長生きするよ、昔そう紡いだ唇を塞いだ。
結果として、嘘みたいだと思うが本当にギリギリのところで彼女は助かった。生きてくれて、よかった。同時期に長年戦っていた組織もなんとか壊滅させても彼女は目覚めることはなかった。
植物状態、まではいかないがこのままだと本当に旅立ってしまうと医者に濁されながら言われたとき、絶望した。
ともに国を護ってきた仲間であり、恋人だった。僕を庇ったが故の今の状態に自分が情けなく感じた。しかしあの戦いがなければ、組織の壊滅は成し遂げられなかっただろう。日本の安寧はまた保たれた。
だけど素直に喜べないのは君と束の間の平穏を一緒に分かち合えないからだというのに気付くのはそう時間がかからなかった。
それは穏やかな日だった。
晴れ晴れとした気持ちで今日も彼女の病室を訪れた。点滴と酸素マスク、生命維持装置という、彼女に繋がれた管も大分減ったな、と笑って備え付けの椅子に座って眠る名前に喋りかけた。
今日は、何の話をしようか。ああ、そうだ、前に君は言ったね。
『生まれ変わりを信じる?』と。僕は迷信だと一蹴した。でも今、思うんだ。
生まれ変わりというやつを信じたい。
「生まれ変わっても、あなたを思い出すから…」
小さく呟いた言葉は空いていた窓から吹く風にかき消された。
生まれ変わって、いつか出会えるときを想像してみるだけで、涙が溢れそうになる。
「…諦めるな、って言ったのにな、」
愛しているよ、愛しているよ、さびしいけれどずっと愛しているよ。
「苦しいよな、ずっと、この状態は」
それでも生きてほしいのは僕のエゴだ。僕は、まだ死ねないから。僕が死ぬまで君には生きていてほしい。
「生まれ変わっても、あなたを忘れないから…」
安心していっておいで。きっと探し出すよ。
「だから、何も心配しないで」
彼女の白く細い手を取り、両手で握りしめた。元々細いのに、あの日倒れた時よりも儚かった。
もう、終わりにしよう。
僕のエゴはここまでだ。
「ごめん、ごめん……名前……好きだ」
涙がぼろぼろと溢れた。こんな情けない僕を見たら笑うだろうか。ごめんねって謝られるだろうか。
ーーー彼女を生かす装置に目をやる。あれを止めれば彼女はこの世からいなくなる。息を飲んだ。あんなちっぽけな機械を壊せば。僕の拳を一回振り下ろすだけであれはすぐに壊れるだろう。
ごめん。心の中か口に出して言ったのか僕にはもう、判別がつかなかった。手を解放しないと。そう思ったとき、ぴくりと両手の中にある彼女のそれが動いた。
「……!」
視線を彼女の顔に向ければ。もう二度と開かないと思っていた彼女の目が薄く、開いた。
僕の、姿を捉えた。
そしてゆっくり、彼女の唇が動いた。
ずっと眠っていた所為か声が出にくいものの、その唇ははっきりと"零"と動いた。
「…っ」
ガシャンと点滴台が倒れて、彼女から針が抜けていくのにも構わず抱きしめた。消毒液の匂いが染み付いた彼女の身体を力強く抱きしめ首筋に顔を埋める。彼女は抵抗する力もなく、小さく掠れた声でただいま、と言った。
涙が止まらず嗚咽混じりで僕も言う。
「お、かえり…っ」
その後に医者と看護師に点滴の件やすぐにナースコールで呼ばなかったことを咎められたが、長く寝たきりだった恋人が目覚めたことに喜んでくれて有耶無耶になった。あれから奇跡的にも回復し、リハビリも上手く進み、退院の前日になった。
ひっそりと消灯時刻が過ぎてから病室に忍ぶのもこれが最後の夜だ。後から、病院側はとっくに知っていたよと彼女から笑いながら言われた。
「零くん」
「うん」
「好き…」
死の縁を彷徨ったからか、名前は以前に比べて僕に好きと言う回数が増えた。僕も負けず劣らず増えた。ベッドに腰掛け、名前を抱きしめる。その暖かな温もりが愛しく、髪を撫でて存在を確かめるように愛でた。
「置いていかずに済んだ。約束破らずに済んだね」
「…うん」
「あの時ね、走馬灯っていうんだろうねあれ。今までのことぶわーって思い出して、そのどれもが零くんばっかりで。ああ、置いて行きたくないなって。…前に生まれ変わりって信じる?って言った私に迷信だって言ったでしょ?私も馬鹿らしいなって。消えたら終わりだって思ってた」
腕の中にいる彼女はぽつりぽつりと呟いた。その声は穏やかで、髪を撫でられるのが、気持ちいいのか目を閉じてされるがままだ。
「でも、零くんに抱きしめられながら、絶対に生まれ変わってやるって思ったの。この国で生まれて絶対に零くんと会うって今までできなかったこと見れなかったものを今度見に行こうって。零くんが私以外の誰かと結婚したり子どもを作ったり、孫や曾孫や玄孫とかいろんな人に看取られてからこっちにおいでっていろんなこと思ったの」
瞼をゆっくり開いて彼女は笑う。指先で僕の輪郭をなぞられれば擽ったいが、僕も彼女の髪を好きなようにさせてもらっているので、我慢する。
「来世では私と結婚してね、なんてね。でも生きてた」
「ありがとう…生きてくれてありがとう……僕は……っ」
ごめん、僕は君を殺そうとしたのに。僕の我侭で。唇に人差し指が当てられる。
「その時の零くんの気持ちもわかるから」
これ以上、そのこと言ったら怒るからね。と眉を下げて言うから髪を撫でる手を止め、彼女の後頭部に手を移動させ胸の中に閉じ込めた。
僕があの時、移そうとした行動に関しては既に白状して謝罪した。間に合ってよかったと彼女は許してくれたが、その罪はこれからも苛まれ続けるだろう。
彼女は僕を置いて行きそうになり、僕は彼女を殺そうとした。
罪としては僕の方が大きいんだけど、僕らは改めて約束した。
ずっと一緒にいると。
僕らはこの国が好きだからその生涯をこの国に投じながらも、一緒に生きていこうと。
「零くん、苦しい」
「うん、でももう少しだけ」
肩に置かれた左手の薬指につけられている指輪が月夜に照らされ光っている。
「零くん」
「ん?」
「愛してるからね」
「俺も、」
彼女を解放して向き合う僕と彼女。その唇に優しく己のそれと触れ合わせた。今度は鉄の味は、しなかった。
「愛してる」
消えたら終わり?それじゃあなんで悲しくなる?
終わりで終われない忘れたくても消えない。
人間という証だ。
生まれ変わっても君を、思い出して、見つけて、愛したい。
─────────
ーー降谷さん。
ーーん?
ーー生まれ変わりって信じます?
ーー迷信だろう。そんなもの。
ーーですよね。でもあったら素敵だと思いませんか?たとえば、前世からの運命の人とか。
ーー……今世にいるからこそ、全力で人を愛さないとなと思うよ。今を一番大事にしていきたい。
ーー…降谷さんらしい。
たしかに、死後の世界とか輪廻転生だとかそれはただの迷信。私も思っていた。
でも今は違う。
死後の世界、なんてあるものなんだ。たしかに私は死んだはず。驚くよりも冷静に辺りを見回した。
「白い」
私一人、佇む世界は真っ白な空間。
どれだけの時間ここにいたのかな。
まあ死んでしまったんだから、もうどうでもいいか。
しかし、真っ白。
賽の河原とか三途の川とか、あるものじゃないんだ。そもそもここは本当に死後の世界?
「ううん、死んだ」
何発も急所を撃たれた。痛かった?と言われれば痛かった。それは傷ではなく、心が張り裂けそうだった。
だって大事な人を置いて行ってしまったから。
約束したの。たくさん仲間を亡くした彼のそばにいるって。1秒でも私が長生きするんだって。
「守れなかったなあ」
でも、私たちの愛する国は護れたのかな。
命に代えても守らなければいけないものがある。
昔、彼はそう言った。言わずもがなこの国だ。私も同じ。この国が好き。愛おしい。守りたい、一緒に守りたかった。
「ごめんなさい……ごめんなさいっ…」
膝をついて、泣きじゃくる。涙出るんだ、泣いてるのに冷静な頭に今度は泣き笑い。
そんな私の前に影が揺らめいた。
『泣かないで』
「っ?!」
差し出された手の主を見れば、同期の姿。ヒロ、とよく彼は呼んでいた。よく見ればその人の後ろにも人がいて。
声を失った。
「伊達さん……萩原さんに松田さん……?」
ああ、やっぱりここは死後の世界で間違いない。だって彼らは先に逝ってしまったんだから。
「諦めるな」
私の手を引っ張り立たせた彼はクリクリの猫目でとてもじゃないが同い年には見えない。…いやもう私のほうが先に年を取ってしまった。ヒロ、と名前を呼べばふわりと彼は笑うだけで。頭をぽんと撫でられた。
『ゼロの傍にまだ居て。ゼロと一緒にいて、なんなら子どもや孫、玄孫にも囲まれて二人で仲良く看取られてから来てくれな』
私が死ぬ間際、彼に対して思ったことだ。まさか、うそ。
『まだ死ぬのは早いよ』
あなたが一番先に死んだんじゃない萩原。
『今度来るときは一緒に酒飲もうぜ』
私、いつもあなたと飲み比べ勝てなかったね松田。
『降谷もお前もほんとに連絡寄越さないんだからなぁ』
ごめんね、私もほんとはあなたにメールの返信したかったよ伊達。
『まだ、間に合うから。いってらっしゃい』
ありがとう、またね。景光。
笑って彼らに見送られて、いつの間にやら差し込まれた光へと身体が、ふよふよと浮いて吸い寄せられる。
耳元で機械音が一定のリズムで鳴っているのが聞こえる。手に温もりを感じて少しだけ指を動かした。
「名前…?」
ゆっくりと、重い瞼を開ければ、くしゃくしゃの金髪が目に入る。声がうまく出ないけど、なんとか零と呼べたのか口が動かせたのか、はっきりと意識が覚醒したのは彼の力強い抱擁を受けたとき。その衝撃で点滴が無理に引き抜かれたらしく腕に痛みが走るけど零くんのところに、帰って来られたのが嬉しくて、為されるがままだった。
景光にいってらっしゃいと言われた。だから、私は今度は零くんに「ただいま」と言うの。
「お、かえり…っ」
ああ、帰ってこれた。
それは夢か幻か。死の縁から帰ってきた私にはわからないけど、この話をすれば、迷信だと一蹴した零くんもきっと信じてくれる。でも、まだこれは私とみんなの秘密にさせてね。
それは嘘みたいな奇跡のお話。
180808
藍坊主/嘘みたいな奇跡を