カランカランと聞き慣れたベルが鳴り、店内に入る。即座に店内からこれまた、聞き慣れた声が飛んでくる。ニコニコと笑顔で現れる上司にげんなりした。
突然の呼び出しメールになにかあったのかと思って急いで来たのに当の本人はこれだ。
というかもし降谷さんの身になにかあったなら、私より風見さんに連絡が先だろう、と気付いたのはこの笑顔を見たあとだ。
「いらっしゃいませ、苗字さん。来てくださったんですね」
「……」
じろりと睨む。貴方のせいで溜まった仕事を片付けていたというのに、この上司は素知らぬフリをしてるのに腹が立ってくる。ここが潜入先じゃなければすぐに文句が飛んでいるだろう。
ふ、と一瞬、安室透から降谷零の顔になって笑った。
"文句は言わせない"そんな不敵な笑みにくらくら。"そうは言っても…"と返す。
「苗字さん!」
「蘭ちゃん、園子ちゃん?」
無言の攻防をしていると、いつもの窓際の席に座る女子高生二人に呼ばれ、ぽかんと疑問符が並んだ。
けど、彼女たちはポアロの常連なのだから、ここにいてもおかしくないし、私も来店したときはコナンくんとこの二人と出くわすことも少なくない。
こうやって改めて呼ばれたのは初めてだった。
「苗字さーん!」
園子ちゃんにおいでおいでと手招きされ呼ばれるように二人のもとに向かうと蘭ちゃんが申し訳なさそうに頭を下げた。
「ごめんなさい、突然呼び出してしまって。苗字さんの連絡先知らないので安室さんにお願いしたんです」
「え、そうなの?」
再び視線を降谷さ……安室さんに戻すと、いつのまにかキッチンに戻っていたけれど、はいと返事が聞こえた。私を呼び出すメールには大至急来いとか横暴な内容を送ってきたくせに。真相はそういうことか。
「なにか用があったのかな」
「ええ、どうぞ」
安室さんの声が近くなってテーブルに置かれるケーキたち。
「これは…」
「店で出すケーキの試作を蘭さんと園子さんにお願いしたんですが、是非苗字さんも一緒にとご所望がありまして」
一人では食べきれない量のケーキたちに、思わず胸焼けがした。決して甘いものは嫌いではない。年齢を重ねるごとに一度で食べられる量は減っているが。
というよりこの人、ほんとにそつなくなんでもこなすな、と感心する。
潜入しているからといって、どの顔でも手を抜くことはない。
彼は家でも食事を作ってくれるけど私が作るより美味しい。むかつくくらい。あ、さっきの怒りが蘇ってきた。
「苗字さん?もしかして甘いもの、お嫌いですか?」
こめかみがぴくぴくと青筋が立ちそうなのを抑えながら怒りを耐えていると、蘭ちゃんがすみせんと謝った。
「あ、ごめんなさい。そういうことじゃないの。ちょっと仕事のこと思い出しちゃった。でも蘭ちゃんたちに呼んでもらったし、ご一緒していい?」
「勿論!今日は逃さないんだから」
「そ、園子……はぁ」
がしっと右手を掴まれキラキラした目で私を見つめる園子ちゃんと、それを見て呆れたように溜息をつく蘭ちゃん。
たじろぎながら安室さんに助けを求めると、彼もやれやれと言った感じなのに嬉しそうに微笑んでいた。あ、助ける気はないのね。
そっちがその気なら仕方ない。
****
次の新作のケーキをどれにしようかと悩んでいて色々と作ってみたのだが、梓さんの意見で常連の蘭さんと園子さんにも試食してもらおうということになり話を持ち掛けた。
二人とも快諾してくれたが、蘭さんがポツリと「折角だし苗字さんとも一緒に食べたかったね」と園子さんに漏らした。
僕はそれをスルーせず、「ああ、じゃあ呼びましょうか?」
彼女は今日も警察庁。僕がいろいろと散らかした案件の後始末を任せている。
彼女のことを考えるとふいに悪寒。今頃僕に対して怒っているのだろうかと予感がした。
蘭さんたちが苗字の連絡先を知らないので、代わりにメールを送った。
件名だけの大至急来い、の内容はすぐさま飛んでくるだろうと予想をつけて。
案の定慌てたようにポアロに来た彼女は僕の笑顔に対し、背後からメラメラと炎が沸き立って見えた。ああ、これは怒っている。場所が場所だけに文句もつけられないのか歯痒そうでいじめたくなって笑ってしまった。
これ以上の文句は許さないよ、との目で合図すれば、しぶしぶといった感じで肩を落とす。安室透として生きるのも悪くないと思った。彼女が表で言えないのをいいことにからかうのは楽しい。
そんな攻防を知らずに常連である女子高生は彼女を呼んだので、僕も一度キッチンに戻り、用意していたケーキたちをトレーに乗せて彼女達のもとに運ぶ。
そうこうして、彼女が園子さんの横に座ったがために、いつものように恋愛トークになったので耳を済ませつつ、キッチンで紅茶を淹れる。
ミルクティーが好物な彼女だが、今日はケーキもあるので、ストレートにしておこう。自分が作ったものだが、流石にあの量は胸焼けを起こしてしまうだろう。
女子高生たちは若いだけあって大丈夫そうだが。
****
「で、で、最近どうなんですか安室さんとは」
「ん、っと………ねぇこれ美味しいよ」
オレンジピールが入ったシフォンケーキを一口ぱくり。柑橘特有の爽やかさが口内いっぱいに広がる。あ、ホイップクリームなしでも美味しいなぁともぐもぐしていると園子ちゃんから早速の質問攻め。
交わしたつもりはないけど、美味しいとの言葉に頭をがっくりさせる園子ちゃんに、安室さんが淹れてくれた紅茶でシフォンケーキを流しこんだ。
「どうって……どう?」
「えええ!喧嘩とかしないんですか?」
「んー、しないかな」
「仲が良いんですね」
んんん、と唸る。二人はきょとんとして私を見るのでポソポソと呟いた。耳をすましてるであろう安室さんに聞こえないように。
「喧嘩の一歩手前までするんだけど、いつも向こうが先に折れちゃうか、言いくるめられちゃうんだよねー」
嘘ではなかった。彼の口の上手さには敵うわけはない。まあそうでなきゃ潜入捜査なんてできないんだけど。
彼の身をしつこいほど案じるときもあって舌打ちはされたことあるけど、怒鳴られることとかもない。
仕事のミス……で怒られたことはあるけどそれには私も反論してさすがに喧嘩しそうなこともあったなあ。
……プライベートでは全く無い。逆に怒る私を宥めはじめるので、喧嘩にならないといったほうが正しいか。
そもそも私は彼女たちに仕事を偽っているので仕事の話はできないから、ないと言うしかない。
「喧嘩するほど仲がいいって言葉もあるけど、これはこれで平和でいいんだけどね」
これは本当。ただでさえお互い忙しい身。二人きりの時間は貴重なのにギスギスした空気でいるのは勿体無い。
「お、大人…」
「すごい…」
「んーん。安室さんが私をいっぱい甘やかしてくれるんだよ」
子どもっぽいよね私は、と笑いながら次はクリームがたっぷり乗ったケーキにフォークをいれる。中身は柔らかく、半熟のようだった。
ナイフで切り分けてから一口。スポンジ部分がとろっとした食感。これどうなってるの…?クリームもケーキの甘さに丁度良い。飾りのように添えられたベリーのソースを付けても美味しいんだろう。
さて、私の逆襲だ。
「安室さんは本当に優しいのよ?この間もねーー」
****
褒め殺しさせる気か、と彼女に内心毒づいた。
女子高生二人と苗字はウマが合うらしい。はじめは苗字のほうがぎこちなかったのに、今じゃよく会話をしている。
「初めてデートしたときなんだけど、ヒールが折れちゃって膝を擦りむいたことがあったんだけど…」
さっきから聞こえてくる彼女の言葉は所謂、惚気話。僕が今まで彼女にしてきたことをずっと話し続けている。女子高生は興味津々で苗字の話を聞きつつ僕をちらちらと見る。
これは恥ずかしい……。買い出しから帰ってきた梓さんまで聞き耳を立て笑いながら洗い物をしている。
「安室さんって釣った魚に餌を挙げないタイプなのかなーって思ってたんですけどそうじゃないんですね」
「ま、待ってください。梓さんには僕がそんな人間に見えたんですか」
「というかーーお店も急な遅刻と欠勤するのでそんな感じでデートとかすっぽかしてそうだなぁって」
ニコニコと笑う看板娘にまでそんなことを言われてしまった。デート……まあそんなときもあったので反論はできなかった。
「「きゃーー!」」
女子高生のその悲鳴は嬉々としたものだった。
「それでそれで?」
「すごい…シンデレラみたい」
端々から聞こえてくる単語で理解した。初デートのときの話だ。
慣れない高さの靴を履いてきた彼女はヒールを折ってしまい膝を擦りむいた。恥ずかしいのか顔を上げない彼女の頭を撫でてから抱き上げて、すぐに愛車へと運んだ。
ちょっと待っててと言ってから彼女を車に置いて、近くの靴屋で彼女に合うパンプスを見繕いコンビニで消毒液とガーゼを買って戻り手当をしたことがある。
その際に新しい靴を履かせた、という出来事だ。
彼女は靴の代金を払うと言ってきたが拒否をした。そういえばその時以来彼女がその靴を履いてるのを見かけたことがないことに気付く。
しかしあれから随分経った。振られる覚悟で押し迫り、年甲斐もなくデートに誘うのも緊張したな、と懐かしくなる。
「それからその靴もったいなくて履いてないなあ」
「えーそれこそ勿体無いじゃない!」
「始めてもらったプレゼントだし、大事なときに履きたいの」
ドキリ、とした。この惚気みたいな話は僕への当てつけだとはわかっていたものの、まさかこういう話だとは思わなかった。嬉しいやら恥ずかしいやらで頭がパニックになる。
****
懐かしい思い出までつい口を滑らせてしまった。横暴な彼への逆襲は割と効いたようだけど、私まで恥ずかしくなったので五分五分というとこかな。
しかし、あのパンプスはサイズがピッタリすぎて、本当にシンデレラにでもなったのかと思った。
確かに車に乗せてもらったときに、靴を脱がされサイズを確認するように踵も爪先も触れられてくすぐったいし、恥ずかしいしで泣きそうになった。
今ではそれすらも甘い思い出。
「大事なときって……それってプロポ「園子さん、そこまでで勘弁してくれませんか…」
手を取り距離を縮めてくる園子ちゃんと私の間にトレーが遮られる。
その犯人は安室さん。褐色な肌でも頬が若干赤いのがわかる。ふふっと笑いが零れた。
「名前も、それ以上は駄目ですよ」
「!」
「安室さんが苗字さんのこと名前で呼んだの初めて聞きました…」
後ろからひょっこり現れた梓さんの驚きの声に本人も無意識に出たのか、ソレに気付いてトレーを落とした。
「いや、その…」
こんなに慌てている安室さんを見るのは初めてかもしれない…。覚えてろよ、と睨みつけられ、背筋をシャンとする。
ポケットに入れていたスマートフォンが震える。どうやらお喋りの時間は終わりのようだ。蘭ちゃんたちに断ってから着信を取る。風見さんからだ。
「はい」
「苗字さん、すみません……」
「すぐに戻ります…」
風見さんの弱気な声で内容を察し、謝ってから着信を切る。
「蘭ちゃん、園子ちゃん今日はありがとう。そろそろ仕事に戻るね」
「たくさん話しちゃいましたね、苗字さんありがとうございます!ほら園子も」
「うう……今度はポアロ以外で話しましょ」
「そうね、せめて安室さんが居ない日にでもまた誘ってね。あ、ごめん私の連絡先、安室さんから教えてもらっておいてくれる?」
くるりと踵を返して安室さんに向き直る。
「わかりました。今日はお忙しいのに呼び立ててしまったので、お茶代は僕が」
「…ありがとうございます。じゃあお言葉に甘えて」
「お仕事、頑張ってくださいね」
そうペコリと頭を下げた彼から小声で「今夜、家に来い」とまた横暴なことを言われたのではい、と了承して、店を出た。
「というか今日帰れるのかな……」
夕焼けに向かって呟いたその言葉に彼との約束を破るほうが怖いなと考え直して慌てて警察庁へ戻ったのだった。
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