ふわり、と鼻孔を掠めたのはこの間、出会った人間と同じ煙草の匂いだった。


沖矢昴は、赤井秀一だ。


先日はまんまと出し抜かれてしまったけども、降谷さんの言ったとおりだった。










謹慎を受けてから4日。謹慎の言葉通り、大人しく自宅に居たけれど、正直飽きている。たまの非番に惰眠を貪っているのとは訳が違う。
それに普段からも寝に帰るだけという多忙っぷりのなか、こうやってなにもすることがないのは困ってしまった。夜には風見さんからの連絡もあり報告書や私の案件に関するものを回してもらっている。…謹慎とは、だけど、私がいないと回らない業務もあることに、私は私自身の居場所があることに安堵した。


もちろん、あれから降谷さんとは一度も連絡をしていない。唯一私と彼の仲を知る人物である風見さんは彼の様子も事細かく教えてくれる。



『普段はみょうじさんが片付けてくださっていることが多いので、ほぼほぼ徹夜しています』


いつもありがとうございます、と電話の向こうでは苦笑いしているのだろう、つられて私も笑った昨晩を思い返して、家を出る。
そろそろ降谷さんの業務にも差し支えが出てきているだろう。そろそろこの生活も終わりを迎えそうだ。


これ以上悩むのも馬鹿らしくなってきたなあと、息を吐く。結局のところ自分が今、警備企画課で役に立っているのなら、今後も降谷さんのサポートに回るだけだ。

食料品を買いに街を歩いていると、小さな影が私に近付いた。



「みょうじのお姉さん!」

「……コナンくん」



上司が潜入している喫茶店の常連客である、江戸川コナンという少年がそこにいた。喫茶店の入るビルの持ち主のところで居候をしているという。
定期報告で上司に会いに店に立寄ることがあり、保護者代わりの毛利蘭さんと仲良くなってしまいたまに会話をする仲になっている。

…前々からこの少年には気をつけろと釘を刺されている。先の工藤邸突入の件はこの子が糸を引いているのは間違いない。小学生という見た目に騙されちゃいけないのだ。




「久しぶり、コナンくん。今日は学校はお休み?」


目線を彼に合わせてしゃがみこめば、彼は大きく頷いた。眼鏡の向こう側の青い瞳は年相応の笑顔のように見えた。


「創立記念日なんだ!そういえばお姉さん、ポアロで見ないね」

「んーと、仕事が忙しいんだ」


今は謹慎中だけど、と言葉を飲み込み笑う。小学生なのに胡散臭そうな笑顔を返される。


「お姉さんって、お仕事なにしてるの?」

「…なんだと思う?」

「えっと、公務員、とか」

「公務員、なんて難しいこと知ってるのねコナンくんは」


即座に当てられてしまったので、きっとこの少年も私が降谷さんと同じ公安だということを知っているのだろう。


「あ、あの最近、安室さんもいないんだよ」

「へぇ、そうなんだ。どうしたんだろうね」


降谷零の仕事が終わらないのだから、まあそうなるだろう。立ち上がった私は風上から流れてきた微かに覚えのある匂いを感じた。


「あ、昴さん!」


コナンくんのその声と私が振り返るタイミングは同時だった。

振り返った先には長身の細い目をした男が立っている。コナンくんと話をしていて注意力が散漫していたのか、気配に全く気付かなかった。
でも確かにこの匂いは────あの時隣で吸っていた煙草と同じだった。
特徴的なココナッツのような甘ったるい香りは忘れられない。

仕事柄なのか周りに喫煙者が多く、いろんな煙草の匂いを嗅いだことがある。
偶然といえば偶然なのだけど、コナンくんが「昴さん」と言ったことでピンときた。
そう、工藤邸に突入したときに上司が追求した相手だ。赤井秀一が変装していると思ったが実は本物だった、という。だけど本当に本当は────



「コナンくん、博士たちが探していたよ」

「えっ、ほんとに?戻らないと。あ、みょうじのお姉さん、この人は新一兄ちゃんの家に住んでる沖矢昴さんだよ」

「……」



じっと、細い目の隙間から見つめられているような感覚だった。沖矢昴の顔を見るのは初めてだった。
彼は、足音も立てずに私に近付いた。



「はじめまして、沖矢といいます」

「……みょうじです。コナンくんのお友達です。貴方も?」

「ええ、コナンくんといるといろいろと気付かされることもあって楽しいお友達です」



……間違いない。この人は赤井秀一だ。





「よろしくお願いします、みょうじさん」


差し出された手におずおずと自分のそれを伸ばし、握手をする。ひやりとした手が降谷さんと同じで、悲しくなった。
ああ、降谷さんに会いたくなってしまった。



「お姉さん?」

「顔色が悪いようですが…」



俯いた私にコナンくんと赤井秀一…沖矢昴は心配の声をあげた。
とてつもなく泣きそうな気分だ。深呼吸して自分を落ち着かせる。


なんでもないです、そう言おうとしたら、私のお腹の虫が鳴った。


「あ。…実は忙しくてずっと食事を摂ってなくて…」


買い出しに行く途中だったんです、と続けた。


「え、それ大丈夫なの?」

「もー、お腹ペコペコ!じゃあねコナンくん。沖矢さんも失礼します」



二人に見送られ、足早にこの場を去る。このときばかりは恥ずかしいとかそういうのではなく、逃げられたと安心した。

同時に、上司が自力で辿り着いた答えは正解だったんだと嬉しかった。















頭を撫でられる感覚がした。
私の好きな優しい掌はいつも冷たい。
その冷たさは彼の優しさを隠していると思っている。


────ああ、これは夢だ。



降谷さんが私のところに来てくれるわけがない。未だに彼からの直接の連絡はないのだ。

夢にまで見るくらいに降谷さんに会いたかったのか。仕事なら会えないことはしょっちゅうで、寂しいなんて思わないことはなかったけど耐えられた。

こんなに恋しくなったのは、昨日、赤井秀一こと沖矢昴と握手をしたからだ。

降谷さんと違って骨張った細い指。射撃の名手と聞いているがあんなに細い指をしてトリガーを引くのか。

あの冷たさに、はっとさせられて思い浮かべたのは降谷さんだった。
自分がこんなにも降谷さんでいっぱいだったなんて。



「くやしいなぁ…」



夢か現実かわからない台詞のあとぴたり、と撫でられていた手が止まった。まるで夢の時間は終わりというように。




朝日が眩しくて目を覚ませば、やっぱり夢だったのかと認識して寂しくなった。ごろりと、寝返りを打って布団に潜る。

風見さんからは降谷さんも今日からポアロへと出勤すると報告があった。


ようやく缶詰状態から抜け出せたようで安心した。昨夜、今回の報告書を送ってもらったので、それを読んでいたのだけど………だけど、




「あれ…」



そこで私は起きてからの違和感に気が付いて。慌てて起き上がる。
昨夜はそう、報告書を読みながらパソコンの前で寝落ちをしたような、と傍らに置かれたマグカップを見てハッとした。



「夢じゃない?」




─────



天気予報では午後から雨が降ると言っていた。私はパソコンの前から動かず、報告書と今回の顛末についても脳にインプットさせる。



「……よし」



報告書を添削し、今回はお疲れ様でした、と文末に添えて、風見さんにメールで送信する。一先ずはこの案件は終わり。
次に何かあったときの備えをしておこう。

両頬を叩いて気合を入れる。謹慎中でも警察庁内部や降谷さん周辺の情報には事欠かさないように見てきた。いつ復帰してもいい。


ため息を吐きながら、雨が降る前に買い物に出た。









────



「あー……」




間にあわなかった。何度目かのため息は雨音に掻き消された。すぐ帰るからと傘も持たずに出てきたのが馬鹿だった。
一気に土砂降りになってしまい、雨に濡れた私は大通りまで戻って軒下で雨宿り。しばらく落ち着きそうにもなかった。


既に濡れてしまったので開き直ってこのまま濡れて家に戻ろうか、と軒下から一歩出て家までの道を歩く。

数メートル歩いて、ぼとぼとになってしまった。急いで帰る気もなかった。



「みょうじさん!」



視界の端で赤い車が私の横についた。助手席の扉が開いて、足を止めてみると、そこにいたのは沖矢昴。


「こんな雨の中、傘を持たずに…。送ります、乗ってください」


ざぁざぁと雨が叩きつける。扉が開いたままだとシートが濡れてしまうじゃないか。昨日に引き続き、どうしてまたこの人と出会さなければならないのだろうかと嫌気が差す。


「お気遣い無く。家まですぐそこですから」


元より、家の場所まで知られるのは気分がいいものではない。いや、もしかしたら知ってるのかもしれないけど、それでも嫌なものは嫌だ。
その考えが顔に表れていたのか、沖矢さんは黙った。
話は終わりだ。扉を閉めようと手を伸ばすと、強い力で引っ張られ、助手席へと乗ってしまう形になった。


「っ…!!」

「ドアを閉めてください」

「いや、だから」


降りますーーーその言葉を言う前に沖矢さんは喉元でなにか操作をして…


「……風邪を引く」

「!!」


囁くような声は確かに赤井秀一の声。





「……貴方、隠そうとする気はないんですか」























                                             







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