青空から始まる恋 | ナノ


30




直太がいなくなって今日までの日々の中でいつだって彼女は俺の存在を否定して俺を記憶の中から消そうとしていた。その度に俺は胸に焼けた鉄を押し付けられるような痛みに教われた。

「あなたが!あなたが直太を殺したようなものよ!あなたが直太をあんな場所に連れて行ったから!」
「…あんたのせいよ…あんたの…!」
「あんたが…いなければ、よかったのに」

彼女が俺への拒絶の言葉を紡ぐ度に俺は必死に耳を塞いで固く目を閉じてきた。何も聞かないように、何も見ないように。この時から「要らない」と言う言葉が嫌いになった。いや、怖くなった。怖い。要らない、と言われる事がとてつもなく怖い。今までずっと記憶に蓋をしてきたのに鍵が外れてしまったように脳内に彼女の言葉が蘇る。だけど彼女が悪いんじゃない。全部俺が悪いんだ。




「…やっと…見つけた、ぜよ」

聞こえた声にゆっくりと顔を上げると、息を切らして汗を流している雅治が目の前にいた。雅治の顔を見た途端に何かが弾けて視界が滲み出した。俺を見つけてくれた。

「っ、…雅治…!」

雅治が俺を見つけてくれた。それだけで今までの不安が何処かに消え去ってしまった。それだけで俺の不安で占められた心は満たされた。

「…涼汰、どしたん?」

優しい声色で雅治が俺に尋ねつつも、俺の右頬に雅治の左手が触れる。俺はたどたどしくも先程まで抱えていた不安を言葉に変えて口から発した。

「っ…俺、は…立海に…必要?」

もし雅治の口から「必要じゃない」と紡がれたらどうしよう。そればかりを考えて心臓が高鳴って怖くなった。直太との約束は果たせないけれど、テニスは俺にとってかけがえのないモノだ。直太との記憶の一部だから、それを失う事が怖い。

「涼汰…ちょっと来んしゃい」

ぐい、と雅治に腕を引かれて半ば強制的に立たされた。そのまま雅治は掴んだ腕を離す事なく俺の一歩前を先々に歩いて行く。行き先は聞かなくても解る。今雅治が歩いているのは俺がいつも通学する道だから。

「雅治っ…い、やだ…」

怖い。学校に行きたくない。テニスコートに行きたくない。今の時間帯なら当然のようにテニス部は部活中で。雅治の行き先が部室なら俺は間違いなく幸村達と会う事になる。幸村の口から発せられる言葉を想像して再び怖くなった。

「離せ、よ…雅治…!」
「涼汰が立海に必要がどうかは自分の目で確かめんしゃい」

俺の制止の声には答えず、雅治はそれだけ言葉を紡ぐと再び足を立海へと進めた。ユニフォーム姿の雅治に引き摺られるようにして制服姿の俺は来た道を戻って行く。




「あ、仁王と…涼汰?」

テニスコートに来た雅治と彼に連れて来られた俺を一番に発見したのはジャッカルで。その声が聞こえたらしい幸村達が俺と雅治に視線を移し変えた。テニスコートが一瞬で静まり返る。雅治が掴んでいた俺の腕を漸く離した。一歩一歩と幸村と真田が俺に近づいて来る。怖い。幸村の口から発せられる言葉を聞きたくない。逃げたいのに足が動かない。

スッと俺の目の前に影が出来て、乾いた音がテニスコートに響き渡った。左頬が焼けるように痛い。やっとの事で、真田に殴られたのだと認識した。

「な、に…すんだ、よ…!」
「たわけが!無断で部活を二日間も休むなんぞ、たるんどる!」

目の前にいる真田は俺の声に言葉を返すわけでもなく、俺にそう怒鳴った。あぁ、やっぱりコイツは王者立海の副部長なんだ、と改めて理解した。規律を守らない者には制裁を、なんて立海らしい。

「涼汰」

目の前にいた無駄に体格のいい真田のせいで隠れていて見えなかった幸村が姿を現した。その途端に真田に殴られた左頬の痛みが何処かに消え去ってしまった。それほど俺には今の幸村の存在が怖かった。

「…」

続く沈黙。周りにいる雅治も真田も赤也も何も口出し出来ずに幸村の言葉を待っている。勿論俺もその中の一人だ。真っ直ぐに俺を見つめる幸村の視線に耐えきれなくて俺は視線を地面に落とした。

「俺に無断で部活を休むなんて、いい度胸だね」

余裕と嫌味たっぷりに幸村が俺に言葉を投げつけたけれど、俺は未だに顔を上げる事が出来ずにいる。次に幸村の口から発せられる言葉は何だろう。考えるだけで怖い。

「グランド80周」
「は…?」
「聞こえなかった?80周だよ」

いや、ばっちりと聞こえてましたけども。早く着替えて走りなよ、と言い残して幸村は俺に背を向けて練習を再開するように部員に指示した。未だに俺の思考回路は停止中で。

「ちょ、ちょっと、幸村!」

慌てて幸村の名前を呼べば、ゆっくりと幸村は振り返える。その瞳に先程のような俺に対する嫌味ったらしさはなくて、真剣でしっかりとした部長の瞳だった。久しぶりに見るその瞳に緊張してしまう。

「お、俺っ…ここにいても…いいの?」

言ってしまった、と少しだけ後悔したのは俺が一番気がかりだった言葉を紡いだ後で。一番聞きたくなかった言葉を自分から聞き出そうとするなんて最悪だ。

「全く…馬鹿だね、涼汰は」

俺よりも身長が低いはずの幸村にぐしゃぐしゃと乱暴に、でも何処か優しく頭を撫でられて俺は一人唖然とする。気が済んだのか幸村は満足そうに微笑むと再びコートに戻って行った。

「要らない奴に優しく接するなんて、俺はそんな優しい事は出来ないよ」

と、俺の耳元で言い残して。心中で幸村の残した言葉を復唱する。要らない奴に優しくなんて出来ない?幸村は微笑んでくれた。先程の行動は優しかったと思っていいのか?必要だと解釈していいのか?俺は発作持ちだよ?幸村だって見ただろ?普通なら運動に打ち込むなんて止めておいた方がいい体なんだよ?それでも俺を必要と言ってくれるの?聞きたい事が頭の中で氾濫するのにそれを口に出す勇気がない。

「涼汰先輩!」
「っ、赤也…」

俺の背中に抱き着いたのは恋人の赤也で。その瞳は何故か嬉しそうにキラキラと輝いていた。俺と目が合うと赤也はにっこりと笑う。

「早く行きましょーよ!」

差し出されたのは赤也の右手で。意味が解らなくて赤也を見れば、赤也は目で俺の後ろを見るようにと促した。促されて振り返れば、そこにいたのはブン太達で。

「早く来いよぃ」

にっこりと笑いながら俺に声をかけるのはブン太で、その隣には雅治とジャッカル。少し離れた場所に柳生がいて、コートの手前では幸村と真田と蓮二が足を止めて俺を見ていた。

「涼汰先輩!早く、早く!」

赤也が既に差し出されていた右手を更に強調して俺に早く手を取れ、と言っている。戸惑いながらも赤也の右手に自分の左手で触れた。

「う、わ…!」

その途端、勢いよく赤也に手を引かれて体勢を崩しつつも赤也に連れられて足を進めた。半ば強制的なのに何故か嫌な感じはしなくて。何故だか泣きそうなくらいに嬉しかった。




(俺の手を笑顔で引く赤也)(その先で俺に微笑んでくれているブン太とジャッカル、雅治)(更にその先には幸村と真田、蓮二が俺を待ってくれている)(本当に幸せだと思えた)





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