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先程まで耳に響く音は自分の不規則な心拍数だけだったのに今は周りの音がクリアに聞こえる。早く逃げ出したかったのにそんな考えが何処かに行ってしまう程俺は目の前の男が許せなかった。 「まだ、だって…?お前に…何が解るんだよ!?」 秀一郎は俺に何を言った?まだだって?気にしているのかだって?秀一郎に何が解るんだよ。いや、秀一郎には絶対に解らない。 「違う!…俺はただ…!」 何が違うんだよ。意味が解らない。秀一郎は何が言いたい?何で俺に話しかけるんだ?俺を恨んでいるんだろう?秀一郎は直太と仲がよかったから。 「っ、涼汰は涼汰だろう?」 「黙れ!!」 もう黙ってよ。これ以上俺の記憶に触れないで。これ以上俺の記憶からアイツを連れて行かないで。俺とアイツはいつでも一緒なんだから。俺から記憶の中のアイツを奪わないで。 「俺は俺だって!?俺は厘財涼汰だけど厘財涼汰でいたらいけないんだよ!!だって、俺は、直太から何もかも奪ったんだから!!」 直太のテニスがしたいって夢も、直太のこれからの道も、直太が欲しがっていた玩具だって、何もかも奪ったのは俺なんだから。そんな俺に俺が俺でいる資格なんてない。俺と直太はいつでも一緒なんだ。 「涼汰…!!」 もう何も考えたくない。何も見たくない。何も聞きたくない。もう嫌だ。逃げ出すようにコートから走り去る。俺の名を呼ぶ秀一郎の声も俺を見るみんなの視線も全て嫌だ。 荒々しく玄関を開いて家に入り込んだ。自分の呼吸する音も走った為に速い心拍数も何もかも邪魔で仕方ない。 《直太君、可哀想にね》 《あんなにいい子だったのに》 《どうして…あんな可哀想な事に…》 「止めろ…!嫌だ!嫌だ!」 耳に響いて消える事のない声が邪魔で仕方ない。脳裏に蘇るあの光景が邪魔で仕方ない。俺を咎めるように見る視線が嫌だ。声が怖い。呼吸が苦しい。何故か無性に寂しい。 「嫌だ…!」 玄関から廊下を通ってリビングに入った。何もかも嫌で、目の前の物を全て手で払えば派手な音を立てて床に沢山の物が落ちる。ペン、はさみ、ティッシュ、電話、朝飲みかけだったコーヒーカップ、緑の葉が茂る観葉植物。 《涼汰、やくそくだよ》 《ぜったいにやぶっちゃダメだからね》 《涼汰、涼汰、あのね、だいすきだよ》 あの柔らかく微笑みかける表情も、あの澄んだ声も、沢山の人に愛された笑顔も、奪い去ったのは全て俺だ。ごめん、俺、約束を破ってしまった。ガチャガチャと音を立てて筆記用具類が落ちる。ガチャンと音を立てて陶器類が落ちて割れる。パリンと音を立てて観葉植物の植木鉢が砕けた。声をかき消すように別の音で誤魔化す。なのに声は俺の耳に残って消える事はない。秀一郎の声だって同じだ。俺を責め立てて許さない。いや、いっそのこと俺を許さないで。 《…あんたのせいよ…あんたの…!》 「っ…!!」 あの人の憎悪の瞳に写る幼い俺の姿。泣いたって許される事はなく、彼女は俺を責める。俺がいなかったよかったのに、と俺に手を上げた。 「いや、だ…!」 どんなに泣いたって、どんなに自分を責めたって、どんなに苦しんだって解放される事なんてない。だって悪いのは俺なんだから。俺が悪いんだ、何もかも。 (苦しみだらけのこの世界で)(記憶の中から直太の声だけを引っ張り出す)(それだけが俺の唯一の)(穢れなき救いだ) |
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