青空から始まる恋 | ナノ


09




今日は朝練には出なかった。只単に面倒だったから。興味が湧かなければ行動しない、が俺のモットー。学校に着いても暇で、鞄を机を置くと屋上に上がった。錆びて古臭くて重い扉を開けば広がる快晴の空。ふと、グランドを見下ろせば見えたテニスコートと練習をしているテニス部員達。ブン太はボレーの練習してるし、ジャカルはひたすらラリーを、蓮二はデータを取っていた。どの部員も自分の得意分野を伸ばして、苦手分野を克服している。

偶然、雅治の視線と俺の左目の視線が交わった。屋上は四階の上に位置するし、テニスコートからでは俺だと認識出来ないと思っていたのに、違った。雅治はニヤリ、と口元を上げると練習に戻って行った。

「フツーなら解んないよな…?」

朝練の前に幸村に"親が風邪だから朝練は出れない"と嘘を付いて朝練に出なかったのに、こんな時間に学校にいるのがバレたら恐ろしい事になるだろう。現在7時15分、集合は7時。頼むから幸村に言わないでくれ、と心の中で雅治に祈った。面倒事に捲き込まれたくないから。




空は快晴。日光が眩しくて暑い。こんな天気の中でサボろうとは思えずに貯水タンクの裏に移動する。其処は日陰で丁度よい涼しさだった。腰を下ろして背中を地面に付ければ、眼帯を付いていない左目に綺麗な空が写る。死んだ人は空にある天国にいる、と幼い頃に絵本で呼んだ記憶がある。ならば、其処にアイツもいるのだろうか。少しでもアイツに近付きたくて空に左手を伸ばしたけれど、当然のように差し出した手は何も掴めない。

「…当たり前…か…」

諦めて左手を下ろす。思い出す、あの日の曇り空、落ちる感触、広がる赤色、隣にはアイツ。


「………、…」


アイツの名前を呟こうとして、止めた。呼びたくなかったんじゃない。呼べなかった。喉に込み上げる嗚咽感。心臓がドクドクと不規則に鳴り出す。聞こえる音が自分の心音だけになる。視界に写る空がやけに近く感じる。息が、出来ない。

「…、…ぁ…っ」

声を振り絞っても声は出なくて只の音が口から漏れるだけ。誰か、誰か、誰か!

「涼汰先輩!?」
「涼汰!!」

左目の視界を掠めた癖のある黒髪と銀色。

「…ぅ……っぁ………」

ぼやける左の瞳に写ったのは赤也と雅治だった。

「どうしたんスか!?涼汰先輩!」
「待ちんしゃい、赤也!下手に動かすな!」
「…、か…っば…っぁ…く…す、っ」

鞄に薬が入っていると伝えたいのに途切れ途切れの言葉しか出ない。

「鞄スか!?」

何とか俺の言葉を理解してくれた赤也の声に必死に頷いた。

「俺、取って来ます!」

瞬く間に屋上から出て行った赤也を横目で捉えた。

「…げほ、…!…ぁ゛…っ…」

嗚咽感に耐えきれずに咳をすれば喉から出た少量の胃液。競り上がって来る嘔吐感が気持ち悪い。

「涼汰…」

雅治は俺の名前を心配そうに呼びながら背中を擦ってくれている。




急いで階段を降りて、急いで廊下を走る。早く、早く、早く。涼汰先輩のクラスを目指して走る。

「赤也!?」

途中で幸村先輩や丸井先輩に会ったけど止まる暇なんてなかった。

「赤也、廊下を走るな!」

真田副部長に怒鳴られても止まらない。むしろ今までよりも早く走る。テニス部の脚力をフルに使って走る。




「赤也、どうしたんだろうな?」
「さぁ、でも急いでるみたいだったね」
「泣きそうな顔してたぞぃ」




呼吸が上手く出来ない。空気を吸ったはずなのに肺に入って来ない。肺の中の息を出したはずなのに出ない。酸素が欲しいと訴える心臓は煩くて。頭にガンガンと心音が鳴り響く。

「涼汰!、…赤也早くしんしゃい」

雅治が名前を呼んでくれるお陰で何とか意識を保っていられる。苦しい。喉がヒリヒリと焼けるようだ。

「仁王先輩、取って来ました!!」

息を切らしながら屋上に戻って来た赤也が俺の隣に見慣れた鞄を置いた。早く薬が欲しいと身体中が悲鳴を上げている。

「くそっ、何処じゃ!?」

ガサガサと雅治が焦りながらも鞄の中から薬を物を探す様子が横目に見える。咳き込み過ぎて胃の中の物が出て来そうだ。

「涼汰先輩、涼汰先輩!」

薬を探している雅治に代わって赤也が名前を呼んでいる声が耳から聞こえる。やべ、そろそろ…。

「涼汰、これか!?」

雅治が手に持っていたのは小さなカプセル状の容器。上体を起こし急いで雅治の手から其れを奪うと容器の蓋を開けて口に添える。勢いよくカプセルから口に気体状の薬を吸った。

「…っはぁ…はっ…はっ…」

ヒューヒューと鳴る喉が煩くて、ガンガンと鳴り響く心音が煩くて、其れを聞こえなくする様に必死に呼吸をする。薬が喉と肺に入って行く。

「…はー、はーっ…はぁ、はぁ…は…」

短くて浅い呼吸から段々と長くて深い呼吸に。漸く口から容器を離して上体を再び地面に倒した。

「…涼汰先輩?」
「わり、ぃ…ちょっ、と寝る…から」

意識は闇に落ちた。最後に左目で見えたのは心配そうで泣きそうな表情の赤也と雅治だった。




(瞳に写る青い空)(泣きそうな赤也と雅治)(バレちゃった、な)(秘密にしていた発作の事)


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