「川瀬、放課後生徒指導室に来なさい」
俺に淡々と用件を告げたのは学校内でも怖い先生ナンバー1というレッテルを貼られている熊田先生で。生徒指導室と言われた時には目の前が真っ暗になったような気がした。
「今度は何やらかしたんや」
呆れたような表情で白石が俺を見つめてそう問いかけた。俺のやらかしっぷりは恋人であり幼なじみである白石が一番解っていると思う。
「…解らん」
思い当たる沢山の節の中にあるどの出来事なのか、それとも自分で考えている以外の事なのかは解らないが、生徒指導室と熊田先生という組み合わせはこの世で一番恐ろしいものだと思う。
「はぁー…取り敢えず行って来るわ…先に帰っとってもえぇよ」
ガタンと古くさい学校の備品である椅子から意を決して立ち上がると、隣にいる白石にそう告げた。あの熊田先生は話が長い事でも有名だから簡単には帰れないだろう。
「待っとくから、はよ行ってき」
「え、でも…」
「ほら、早く」
時間かかるで?、と俺が声を発するよりも先に言葉を紡がれて白石に背中を軽く押された。せっかく白石が待ってると言ってくれたんだから急いで戻ろう、と無駄に意気込んで動かす足を早めた。
「……失礼しまーす」
そろりと静かに生徒指導室のドアを開けば案の定熊田先生がソファーに座って俺を待っていた。あぁ、怖い。これから怒鳴られるのか、それとも注意だけで終わるのか。心中で後者をひたすら祈った。
「取り敢えず座れ」
「……っす」
取り敢えず、と言う事はこれから長い話があるのだろう。何の話だろうか。受験前の今に髪の色を脱色した話だろうか、それとも財前に負けたくなくてピアスを開け始めた事だろうか、はたまた指定のカッターシャツを着用していない事についてなのか。
「何で呼び出したか解るか?」
「…いや、思い当たる節が多すぎて…」
先程の時間だけで怒られる要素を三つも思い当てた俺はある意味すごいと思う。つい最近の話だと部室の屋根に勝手に上がって怒られた出来事が一番新しい。
「公園で子供を助けたらしいな」
公園で子供を?記憶を読み漁るとつい先日の出来事が頭に浮かんだ。公園の滑り台から下を見下ろしていた子供がいて、手を滑らせたのだろう。支えを失った子供の体は重力に従って地面に落ちていった。偶然俺が通りかかって滑り込んで子供をキャッチしたというわけだ。
「あー…あれっすか」
「その子供の母親が教えてくれたよ。金髪で青いカッターシャツを着てピアスを沢山付けた少年が子供を助けてくれた、って。生憎だが四天宝寺にそんな奴はお前しかいない」
スッゲ!俺の特徴そのまんまじゃん!、なんて事を考えている間に熊田先生はお茶を一口啜って、そして湯飲みを勢いよくテーブルに叩きつけた。
「子供を助けた事は素晴らしい…だが!あれだけ服装や頭髪を直すように言っているのに何故直さん!?何だそのピアスは!?何だその服装は、髪型は!?」
「……っす」
もしかしたら早く終わるかもしれない、なんて考えた途端にこれかよ。そんな悪態を胸中で吐きつつも表面上は熊田先生の話を真面目に聞いているフリをする。ごめん、蔵、まだ時間かかりそうだ。
「話長いっちゅーねん…!」
あれから四十分以上が経って漸く俺は熊田先生の長い説教から解放された。いや、原因は俺にあるんだけど。心中で長い説教に対しての文句を呟きながらも、俺は教室に向かって走っていた。
三年二組の教室に戻って来た時にはもう窓の外は夕焼け色に染まっていて。俺が呼び出されてから一時間が経とうとしていた。
「蔵、ほんまに悪い!…って、あれ?」
ガラリ、と教室のドアを勢いよく開いて教室に入れば俺を待っていたはずの蔵は俺の机に突っ伏している状態で。音を立てないように忍び足で近づけば小さな寝息が聞こえた。一瞬でも倒れたのではないかと心配した俺が妙に恥ずかしい。
「…蔵」
小さく名前を呼んでみたけれど返事の代わりに相変わらずの寝息が返って来るだけだった。いつもはこんな姿なんて見せないのに、と思いつつも蔵の無防備な寝顔を勝手に拝見する。
「…睫毛、長っ」
瞳が閉じられている為に普段よりも長く見える睫毛、襟足から覗く白い項(うなじ)、半開きの唇から覗く咥内。どれも普段は滅多に見れないものばかりで。
「(やば…ムラムラする)」
今みたいな俺の下心に溢れた思考とは正反対の表情で眠っている蔵の髪を左手でゆっくりと撫でた。サラサラと髪の毛が指の間から溢れては落ちる。髪の毛だけじゃなくて、蔵は全部綺麗だ。肌も、瞳も、唇も、何もかも。
俺の知っているて白石蔵ノ介という人間は完璧を求めるあまり、不完全な事が嫌いだ。例え私生活に於いてもそのスタンスが崩れる事は滅多にない。俺にしてみれば、その蔵の頑張りは大きすぎるように思えて仕方がないが、俺が口出し出来る事じゃないので何も言えない。
「…ほんま、よう頑張っとるわ」
三年間俺は蔵と同じクラスだが、蔵が授業中に居眠りをしているだとか、宿題を忘れたとか、そんな失敗を一度も目撃した事がない。やはりそれは蔵が努力している証拠であって。だけどもう少しくらい肩の力を抜いてもいいんじゃないのかと思ってしまう。
「…お前がパンクせぇへんように俺が見張っとかんとな」
蔵が努力し過ぎてパンクしないように、壊れないように、周りの期待に潰されないように、俺が蔵を見張って守ってやる。それは誰も知らない俺の決意で。誓いの意を込めて蔵の唇に自分のを重ねた。
夕闇アリア
(頑張る姿も、無防備な姿も、)
(君だから全部愛しいと思える)