こんこん、と木の扉をノックする。時間は深夜二時を回った頃だろうか。この時間では船員の大部分が眠ってしまっているだろう。よい、と中から特徴的な言葉使いの返事が聞こえてきた事を確認した後、俺はその扉を開いた。
「マルコ、」
「なんだ、春樹じゃないか」
こんな時間にどうした、とマルコは机に向かっていた身体を俺の方へと向け直した。掛けていた眼鏡の細縁が薄暗い灯りにきらりと反射する。一歩彼の部屋に足を踏み込めば、馴れ親しんだマルコの香水の香りが鼻を掠めた。
「ん…ちょっと寝られなくて」
「珍しいねい」
何時もなら布団に入るだけで寝ちまうのに、と俺をからかうようにマルコは小さく笑った。そんなマルコに小さく言い返しつつ、俺は彼の元まで歩み寄る。机には沢山の書類が置かれており、マルコの仕事量には相変わらず驚かされる。
「これ、明日までの?」
「いや、まだ先だ」
とん、と書類を机で揃えるとマルコは小さく息を吐き出した。マルコがエースみたいに期限直前になって書類を提出するなんて事は決してない。今までそうだったんだから。一番隊の隊長としてという責任感もあるのであろうが、きっとマルコのそういう性格なのだ。
「もう、良いの?」
机の端に積まれている書類の山はまだ存在していて。それなのに眼鏡を外して仕事を終えようとするマルコにそう尋ねた。
「良いんだ、ちょうど終わりにしようと思っていたところだよい」
小さく俺を見て笑うマルコは嘘吐きだ。俺に気を遣ったくせに。そんな表情の俺に向かって、気にするなと言わんばかりにマルコの手が俺へと伸びる。椅子に座ったままのマルコと、立っている俺。必然的にマルコが俺の腹に抱き着くような体制になった。ふわり、とマルコの匂いが強くなる。
「怖い夢でも見たのかよい」
「ううん、違うけど…なんか、上手く言えない」
そうか、と小さく呟いたマルコの背中に手を回す。子供じゃあるまいし夜寝られないなんて情けない。そんな事を考えつつも俺は目を瞑る。マルコが抱き締めてくれている腹があったかい。
「さて、寝るか。春樹も一緒に寝るだろい」
「ん」
ゆっくりと俺の腹からマルコが離れる。お世辞にも寝心地が良いとは言えないベッドに俺が移動した事をマルコは確認して、彼は部屋をぼんやりと照らしているランプの火を消した。途端に闇と静寂に包まれる部屋。ぎしり、とベッドが軋んでマルコの匂いが強くなった。
「寝れそうかい?」
「…ん、たぶん」
そうか、と言いつつ彼は俺を抱き寄せた。小さなベッドに男が二人。寝苦しい事この上ないがそれでも俺はこの苦しさが好きだった。背中には壁、正面にはマルコ。そっと彼の胸板に擦り寄ると俺を抱き締めている腕に少しだけ力が込められる。あ、なんだか寝られそうかも。
「マルコ、」
「ん」
「寝れるかも…」
「よい」
ちゅ、と小さいリップ音と共に額に暖かくて柔らかい感触。くすぐったさに少しだけシーツを足で掻く。春樹、とマルコの低い声で名前を呼ばれる頃には、俺の意識はもうまどろみの世界の中だった。
シーツの花畑で迷子