ちりん。小さな鈴の音が何処かで鳴っている。またか、と俺は溜め息を一つ吐き出した。耳を澄ませてその音源を探る。ちりん。どうやらその鈴は部屋の押し入れの中から鳴っているらしい。ゆっくりと立ち上がると押し入れの襖へと手をかけた。

「…ない」

やはりと言うべきか。押し入れの中には何も入っていなかった。正確に言うならば其処には鈴のような音を発する物は入っていなかった。何故なら昨日掃除した際にそのような物は処分してしまったからだ。だから入っているわけなかったのに。

「…はあ」

襖を閉じると小さく溜め息を吐き出した。武州から出て来て一年が経った時から、このように鈴の音が聞こえるようになった。どれだけ周囲を探索しても鈴は発見出来ない。数ヵ月前に意を決して医者に看てもらったところ、どうやら俺は病気らしい。しかも治るか解らないなんて言われた。

「春樹」
「…急に入って来ないでよ。馬鹿トシ」
「あァ?俺はちゃんと一声かけたぞ」

鈴の音が聞こえるという幻聴に加えて、最近では音が聞き取りにくくなっていた。つまりは難聴だ。…このままだったらいつかは鈴の音だけしか聞こえなくなるのではないだろうか。そんな一抹の不安が日に日に大きくなっていく。

「…何してんだよ。てか何時までそうしてんだ」

シュボ、とトシが煙草に火を点けた。そして押し入れの前に立ったままの俺を呆れたような表情で見つつ、彼は口から煙を吐き出す。辺りに拡散するトシの煙草の匂いが俺の鼻を掠めた。

「…何か、用?」
「馬鹿かお前。あと十分で会議始まる事忘れてんだろ」
「…あ」

思わず俺の口から溢れた言葉が耳に届いたらしいトシがひくりと片頬を引き吊らせた。それを目にした俺は同じ言葉を再び口から溢してしまった。

「テメェはまた…いい加減に二番隊隊長としての自覚をだな「トシ、トシ」
「あ?」
「会議始まっちゃうよ」
「元はと言えばテメーの所為だろーがァァァ!」

今日も彼は元気である。




「最近は桂を含む穏健派の活動が活発になってきている。この事を良く頭に入れて――――」

ここ数週間のまとめを副長であるトシが報告する。現在この部屋には各隊の隊長と副長のトシと局長の近藤さんのみだ。一番隊隊長の総悟がこの場にいないという事は、どうやら彼はサボりらしい。

「今週の見回りは二番隊だ。隊員にちゃんと報告しておけ」
「うん」

良かった、今度はちゃんと聞こえていたみたいだ、と小さく安堵の溜め息を吐き出した。二番隊は一番隊のように戦闘に特化した隊ではない。基本的にはデスクワークや予算の計画を担当している。だからと言って全く戦闘をしないわけでもないのだが。

ちりん。まただ。今度は背後から聞こえた鈴の音に眉を寄せた。どうせ振り返っても鈴なんてあるはずかないと解りきっていた。座る前に見たが、其処には何もなかったと確認していたのだから。鈴なんてあるはずかないと解っていた。

「それから今週の――――」

淡々と連絡事項を説明していくトシの声だけが響いている会議室の中で、俺の耳だけは鈴の音も届いていた。




「トシ、入るよ」

部屋の主の返事も聞かずに俺は襖を開けると、中には書類と格闘している副長の後ろ姿が見える。やはり何時来てもトシの部屋は煙草の匂いが漂っていた。今では馴れてしまったその匂いの中を進む。

「これ、来月の予算見通し書」
「ったく…返事くらい待って入って来れねェのか」

ふう、と今まで目を通していた書類から顔をあげてトシが俺に向かって小さく呟く。ちりん。ああ、またか。何度も耳を掠めていく鈴の音に内心で悪態を吐き出す。

「…春樹?」
「…何?」
「何そんなに難しい顔してんだよ」
「…トシの気の所為だと思うよ」

そう言葉を濁した俺をトシは怪訝な目で見るが、俺はそれに気づかないふりをする。病の事を言って真選組に必要ないと言われるのが怖くないと言えば嘘になる。だけど近藤さんならばそんな事は言わずに待っていてくれると簡単に想像がつくのだが。それでも俺はこの事を言うのが怖い。

「ねえ、トシ、背中貸して」
「は?ちょっ、春樹…!?」

トシの返事すら聞かずに俺は彼の大きな背中へともたれ掛かった。俺とトシが背中合わせになる。俺の視界からトシは見えないのに、背中に感じる体温に酷く安堵したのは確かだ。ちりん。

「トシ、名前呼んで」
「…お前、本当に可笑しいぞ」

どうかしたのか、とトシが此方を振り向こうとするが俺はそれを許さない。ぐ、と背中に体重をかけるとトシの動きを妨げる。ちりん。鈴が俺の直ぐ後ろで鳴っている。

「トシ、お願い」
「ったく…春樹」
「……もっと、」
「春樹……春樹」
「………うん」

トシの声が鈴の音を掻き消して俺の耳へと届く。背中から聞こえる低いその声に酷く安心する。大丈夫、まだ俺は大丈夫。本当のところ、俺は怖いんだと思う。自分が病気だという事を認めるのが。そして治らないと認めるのが。だから病の事は他人に言いたくなかったのだ。言ってしまうと自分が病気だと認めるみたいだったから。

「…春樹、」
「……っうん」

少しだけ震えた声はトシに聞かれていただろうか。例えそうだとしても相変わらず名前を呼んでくれるトシに酷く救われたような気がした。ちりん。




三千世界に鈴鳴りて