※主人公人外


気づいたらこの場所が家だった。薄汚れて寂れた建物と建物の間の小さな空間。気づいたらそこにいて、いつの間にかそこで生きていた。所詮俺は捨てられた猫らしい。

黒色の毛と灰色の毛に包まれている体は痩せていて。包んでくれている毛皮さえも薄汚れている。まともに何かを食べたのは何日前の出来事だろうか。何かを食べた、とは言ってもそこら辺に捨てられていた生ゴミだったけれど。


「(…あぁ、今日も来た)」

寂れて薄汚れたこの場所に相応しくない笑い声と賑やかな足音が廃墟に響いた。毎週三回は近所の子供がここにやって来ては面白半分で俺を追いかけ回すのだ。俺は建物の穴の空いた壁から建物内に侵入すると息を潜めた。

「あれー?今日はおらんなぁ」
「ほんまやー。つまらんわー」
「どっか隠れてるんとちゃうん?」

ガサゴソと子供達が辺りを漁る音がして、俺はより一層息を潜めた。もしも子供に見つかったのならば俺の命が危ない。子供という生き物は容赦がない。つまり手加減を知らない生き物である。

「あ、おった」

壁の穴から俺を覗き見るのはここに来た四人の子供の内の一人で。しまった、と思うよりも先に子供達が集まって来ると、俺に向けての一斉攻撃が始まった。

「そっち行ったでぇ!」
「はよう、はよう!」
「ぎゃはははー!」

耳をつんざくような子供達の笑い声と空中をびゅんびゅんと飛び交う小石。次々と小石が投げられては俺の痩せた体に当たる。あまりの痛さに耐えられなくて逃げるが子供達は俺を追いかけ回す。

昨日から何も食べていない体では元気な子供達から逃げる事さえ困難で。とにかく走って普段は行かないような場所まで逃げて来たけれど、俺の後ろには相変わらず子供達が騒ぎながら走っている。

「(あー、もう。本当にしつこい)」

少しだけ走る速さを上げると古い工場の倉庫らしき場所に入り込んだ。そのまま滑り込むように段ボールと段ボールの間に痩せこけたこの身を隠す。

「あれー?どこいったん?」
「タケちゃんのせいでにげられたー」
「おれのせいにすんなや、ケイちゃんのあほー」
「あほちゃうしー」

俺に逃げられた事で子供達の好奇心が薄れたらしく、四人の子供達は来た道を戻って行く。よかった、これで一安心だ、と溜め息を一つこっそりと吐いた。

子供達が去って暫くした後に漸く段ボールの隙間から出ると体を伸ばした。小石をぶつけられた部分が痛かったけれど生きているから気にしない事にしよう。さて、我が家に帰ろうか。

「(…あれ?…どうやって来たっけ?)」

あまりにも子供達から逃げる事に必死で帰り道をきちんと記憶していなかった事に漸く気づいた。歩いている内に自然と思い出すだろう、なんて考えが甘かった。




「(…完全に迷った!)」

朧気な記憶を頼りにした事は事態を更に悪化させた。見た事もない街並みの風景が俺の目の前に広がっていて、見た事もない四角い箱が凄い速さで往来している。これでもかと言わんばかりに空は曇っていて、今の俺の心境のようだった。

どうしよう、と不意に不安に襲われた。別にあの寂れた建物と建物の間がきちんとした家というわけではない。だけど見知らぬ土地に俺はただ困惑するばかりだ。

「(…腹減った、な)」

空腹時に子供に追いかけ回されて余計に腹が減ったのは事実で。路頭に迷っていると空からは弱々しく雨粒が降り注ぎ始めた。道を行き来していた人々は急ぎ足で駆けて行くが、俺は行く宛なんてない。

取り敢えず近くの建物の陰に入り込むと体をぶるぶると震わせて水気を飛ばした。毛皮の水分を飛ばす事は出来ても、雨に濡れた体は湿っていて気持ちが悪い。

「…ちっ、ちっ、ちっ」

鼠を連想させる音に振り返ると人がいた。もじゃもじゃの真っ黒な髪と高い身長に少しだけ怯えつつも睨み返す。それ以上俺に近づくと攻撃してやる、という意味を込めて雨に湿った毛を逆立てた。

「腹減っとると?」

そう言ってもじゃもじゃ髪の毛が鞄から取り出したのは小さなパンで。もじゃもじゃはそれを小さく千切ると俺に差し出した。

所詮先程の威嚇も生理的欲求の空腹には勝てなくて。警戒しつつもじゃもじゃに近づくと差し出されたパンに口をつけた。

「遠慮せんでよかよ」

ガツガツと俺は差し出されたパンを喉に通す。生ゴミ以外の物を食べたのはいつ以来だろうか。小さなパンは酷く懐かしくて、とても美味しく感じた。





迷子の猫と弱い雨
(俺を撫でる人間の手は、)
(優しくて、とても温かかった)