あの子はまるで妹みたいだった。俺より一つ年下のあの子は弟がいた故にか妙に大人びていたけれど、俺の前では何時だってやんちゃだった。俺は一人っ子だったから余計に妹みたいなあの子が可愛くて仕方なかったんだ。ミツバ、と呼べば嬉しそうに振り返るあの子が大切だった。



「春樹さん」
「…総悟か。驚かさないでくれよ」
「俺ァ何もしてませんぜィ。春樹さんが勝手に驚いただけでさァ」
「はいはい。ボーッとしてた俺が悪かったですよ沖田隊長」

茶化す様に総悟を隊長呼びしながらも、俺は半ば強引にぐしゃぐしゃと総悟の頭を撫で回した。頭一つ分程小さい彼からは止めろと制止の声がかかっているが、俺は止める気なんて更々ない。

「…春樹さんのせいで髪の毛ぐちゃぐちゃでさァ」

栗毛色の髪色をした総悟の頭を撫で回す手を漸く離してからの彼の第一声はそれだった。確かに総悟の言う通り、俺が好き勝手に撫で回した総悟の髪の毛は鳥の巣の様にぐしゃぐしゃになってしまっている。

「悪い悪い。ほら、直してやるから機嫌戻せって」

じとりとした目で俺を見つめる総悟の頭を、先程の様に好き勝手に撫で回すのではなく優しく撫でてやる。時々手櫛で髪の毛を解いてやると総悟は心地好さそうに目を細めた。こういう所もミツバに似ていると思う。ミツバも手櫛で髪を鋤いてやると目を細めたっけ。

「…春樹さん、姉上の事考えてやす?」

突然彼の口から発せられた言葉に驚いて、俺は慌てて意識を過去から今へと戻した。俺の目の前には俺を不思議そうに見つめる総悟の瞳。

「…いや、少し、ね」
「ほんっとに春樹さんは嘘がつけない人ですねィ」

総悟が俺を見て馬鹿にする様に溜め息を一つだけ吐き出した。別に嘘がつけないんじゃなくて、ただ俺は嘘をつきたくないだけだ。嘘をついて救われる人物は嘘をついた本人だけなのだから。自分だけが救われる様な嘘なんて俺は要らない。

「春樹さん…姉上は、本当に幸せだったんですかねィ」
「……総悟」
「今でも考えるんです、姉上の為に俺は何かしてあげれたんだろうかって」

こんな事姉上に聞かれたら怒られちゃいますかね、と何処か悲しそうに総悟が俺に笑いかけた。俺の手はそんな総悟の頬にゆっくりと伸びて、彼に出来るだけ優しく触れる。

「…ミツバは、総悟の事を誇りに思ってたよ。小さい時からミツバと一緒だけど、いっつも『総ちゃんがね』とか『総ちゃんが』とか言ってたからさ…総悟が自分の決めた道を浮気せずに歩いて生きてくれるだけで充分だったんじゃないの?」

勿論今も、と付け加えると総悟の眉毛が泣きそうなくらいの八の字に下がった。瞼を閉じれば思い出す。ミツバが楽しそうに、嬉しそうに総悟の事を語る姿を。そして頬を染めて十四郎の事を話す姿も。全部、鮮明に覚えてる。

「…春樹さん、ありがとうごぜィやす」

春樹さんは嘘つきませんから信じれまさァ、と照れ臭そうに笑う総悟に俺も微笑み返す。俺の妹みたいなあの子の大切な弟。コイツを護るなら俺は何だってする、ミツバに頼まれたからではない。これは己の意志だ。

「テメーら、仕事サボってんじゃねェよ」
「げっ土方さん」
「オイ総悟、今俺の顔見て『げっ』って言っただろ」
「言ってませんぜィ。全く土方さんは自意識過剰で困りまさァ」
「上等だ刀を抜けェェェ!」
「はいはい。総悟も十四郎を茶化さない、十四郎もムキにならない」

勢い任せに刀を抜こうとする十四郎を宥め、総悟のやんちゃを注意するのは武州の頃から俺の役目だ。とは言っても、武州にいた頃は総悟のやんちゃもここまで酷くはなかったのだが。

「あーあ、土方さんの顔見たら気分悪くなったんで医務室行って来まさァ」
「テメェェェ!はっきり言ってんじゃねェか!」

そんじゃさいなら、と片手をひらひらと振りながら総悟は踵を返した。堂々と公務を怠ける総悟の姿には別の意味で感服するばかりだ。やはりミツバと近藤さんが甘やかし過ぎたのだろうか。

「春樹も仕事に戻れ」
「えー。俺もうちょっと思い出に浸っていたいんだけどなァー」
「馬鹿野郎。思い出に浸る時間があるなら今を生きやがれ」
「格好良く言っても俺は戻らないからね」
「……」

溜め息を吐くと同時に十四郎は煙草の煙を肺から吐き出した。俺と十四郎の間に何とも言えない沈黙が続く。とは言っても武州の頃から俺と十四郎は互いに口数も多い方ではない。俺達にすれば今の状態が普通なのだが。

「…総悟が、」
「あ?」
「総悟が考えてたよ。自分はミツバの為に何かしてやれたのかって」
「……」

バツの悪そうな顔をしている十四郎は煙草の白煙を吸い込んで吐き出した。十四郎は過去を振り返る事など滅多にしない。十四郎のそんな考え方が俺はあまり肯定的ではない、ミツバの事を妹の様に思っている俺は。

「春樹」

俺が十四郎に何か話しかけるより先に、十四郎は俺の名前を発した。彼は俺の名前を呼んだだけだが、俺には十四郎の言わんとしている事が解っていた。

「…解ったよ。さて、と。副長さんがお怒りになる前に仕事に戻ろうかね」

十四郎が次に何か言葉を発するよりも先に、俺は先程まで座っていた縁側から腰を上げた。そしてそのまま自分の仕事の持ち場に戻ろうとして、立ち止まった。

「…十四郎。今を生きるのは十四郎の勝手だが、たまにはミツバの事を思い出してやってくれよ」

先程の総悟の様に片手をひらひらと振りながら俺は十四郎から離れる様に足を進めた。好きな奴に思い出される方がミツバも喜ぶだろうから。勝手に兄貴面している俺なんかが思い出すよりずっと。



総悟率いる一番隊が攘夷浪士から襲撃されたという知らせを聞いたのは、その日の晩の事だった。珍しく十四郎が俺の部屋に慌ただしく入って来たと思ったら、彼の口から出たのは一番隊が不意討ちに遇ったという事実。

「詳細は車の中で説明する!車回してくるから早く準備して表に出てろ!」

お前の隊の奴は近藤さんと山崎が収集をかけている、と付け加えた様に告げられながらも俺は壁に立て掛けておいた自身の刀に手を伸ばした。刀を掴んだ自分の手が微かに震えているのを見て、強く歯を噛み締める。

「十四郎、何で…総悟達は別件で張り込んでいるはずじゃあ…」
「その仕事中に襲撃されたんだ!本来張り込んでた奴らと斬り合いになったが、別の攘夷浪士の党派に邪魔された!流石の一番隊でも二つの党派の攘夷浪士から攻められたら最悪の事態を想定するしかねェだろ!」

車を運転しながらも十四郎は捲し立てる様な怒鳴る様な口調で俺に説明をする。十四郎も焦っていると解ってはいるが、もっと速く運転してくれと怒鳴りそうになるのを堪える。

「…春樹、言っておくが隊長として責任ある行動をしろよ」
「責任ある行動?…総悟達が斬られるかもしれないってのに落ち着いていろってお前は俺に言うのかよ!?」
「そうは言ってねェだろ!ただお前は三番隊隊長なんだから隊士の事を頭に入れとけっつってんだよ!」

お互いに焦っているせいなのか、どうしても怒鳴り気味た声色で叫んでしまう。解ってる。十四郎だって今すぐにでも現場に駆けつけて一番隊を護りたいと思っている事くらい。だけどどうしても自分の想いばかりが先走ってしまう。

「頼む…十四郎…早く、早く総悟の所へ…」
「…言われなくても解ってる」
「総悟が…総悟がミツバと同じ場所に行っちゃう…」
「……」

十四郎は何も言わずに、俺に視線を向ける事なくアクセルを踏んでいる足に力を込めた。俺の大切な人が大切な子のいる場所へ行ってしまう。もし神がいるのなら、

「…あの子まで、総悟まで連れていかないでくれ…!」




あの子まで連れていかないで
(これ以上、総悟まで)
(失いたくないんだ)