ぐじゅり。斬り落とされていた天人の腕を踏むとそんな音が鳴った。既に天人の体液に身体中が濡れてしまっている所為なのか、これ以上着流しが汚れる事は気にならなかった。現在の俺の関心の向かい先は、晋助ただ一人である。彼は血に濡れた刀を鞘に納める事もせずに、肉の塊となった天人を冷めた目で見下していた。
「人数、思ったよりも多かったね」
刀を鞘に納めながら独り言の様に呟いたけれど、晋助は何の言葉も返さない。ただ、冷たく無機質の様な右目の視界に先程まで斬り合っていた生体を映していた。遠くでまた子の銃声音が聞こえる。どうやら向こうではまだ戦っているらしい。
「行かないの?」
「…知らねェ」
ひゅ、と刀に付着した血を振り払うと漸く彼は刀を納めた。知らない、とは彼らしい。例え自分の進む道に仲間の幾つも死体が転がろうが、彼は目を向ける事すらしないのだろう。その死体が俺であっても。
「そう。じゃあ、俺は行くから」
俺は晋助みたいにはなれない。仲間を犠牲にして得た復讐なんて、何の意味があるのだろうか。だが晋助を非難する事も否定する事も俺はしない。俺は晋助に絶対的服従を誓っているから。つまり、俺が晋助を裏切るなんて事は決してない。
「春樹」
低い彼の声が、俺の鼓膜を震わせる。ゆっくりと俺が振り返ると、獲物を射る様な瞳で彼が俺を見つめていた。彼の右の瞳に渇望の色が微かに見え隠れしているのが微かだが解る。
「抱かせろ」
「……此処、戦場なんだけど」
ぐるり、と辺りを見回せば数多の天人の死体が転がっている。このような場所でもストレートに物を言う彼の性格には毎回脱帽するしかない。
「誰が今っつったんだよ。船に帰ったら、だ」
ああ、なるほど。と納得の言葉を口に出すよりも先に、俺の唇は晋助のそれによって塞がれた。ぐっと強引に腰を引き寄せられて、お互いの身体が密着する。俺の着流しと晋助の着物とに付着している天人の体液が酷く心地悪かった。
「…不味ィ」
唇を離した後。べろり、と俺の頬についていた天人の血液を舐めた晋助が、不快そうに眉を寄せながら呟いた。何とも言えない感情が俺の中を支配して、思うままに彼の唇に自ずから唇を重ねた。そのまま彼の薄い唇の間へと舌を滑り込ませる。
「随分と大胆だなァ。俺を誘ってんのか?」
唇を離すと、愉快そうに喉を震わせて笑う晋助と瞳が合う。その声に何の言葉も返さず、俺は晋助の首筋に噛みつく様に歯をたてた。
「他の奴の血なんて、舐めないでよ」
彼の着物の衿から覗く首筋に一つ赤い印をつけると、半ば無意識にそう呟いていた。我ながらなんと醜い独占欲だ、と嘲笑するを得ない。彼はこんな俺に呆れるだろうか。
「テメェ…痕つけやがったな?」
頭の上から幾分か不機嫌そうな晋助の声が俺の耳に届いた。彼の首筋から顔を離すと、其処にはやはり不機嫌そうな高杉晋助がいた。
「…つけちゃ駄目だった?」
「見える所につけんじゃねェよ」
来島が煩ェんだ、と付け足す様に呟いた晋助は、直ぐに意地の悪い笑みを浮かべた。
「…船に帰ったら楽しみにしとくんだな」
「………え」
それはもう、面白い遊びを思いついたみたいに、楽しそうに笑う晋助に俺は背筋が凍る様な寒気を感じた。そんな俺を置いて、彼は歩み出す。
「ちょっ、晋助、本気なの…!?」
「あァ」
「無理!声響いちゃったらどうすんの!」
「春樹が声抑えれば良いだけだろ」
「んなっ!」
「なんなら腰が立たなくなるまでしてやらァ」
「!?」
そんな言い合いも、何だか楽しかった。多分それは相手が晋助だからなんだと思う。愉快そうに笑う晋助から目が離せなくなった事は彼には秘密。
「春樹」
「ん?」
「テメェに着いた血だからだ。他の奴に着いた血を舐める趣味なんてねェよ」
前を見つめたまま、そう呟く晋助の意図は解らなかった。だけど晋助の言っている事が先程の俺の愚かな独占欲の話だと解ると、なんだか幸せだと思える。晋助が俺の事を気にかけてくれたなんて嬉しかった。周囲を死体に囲まれたこんな場所でも彼の言葉一つで嬉しくなれるのだから、俺はどうしようもないくらい晋助に心奪われているらしい。
暁の断綴