土方十四郎という人間は多忙である。若きにして真選組副長になり、到幕を目論む攘夷浪士を取り締まる為に日々寝る間も惜しんで働いている。と言ってもその残業の殆んどは一番隊隊長沖田総悟の器物破損書類に追われているだけなのだが。



「土方さん、お茶です」
「春樹か…悪ィな、其処に置いといてくれ」

俺に振り向く事なく土方さんは言葉を告げる。相変わらず土方さんの視線の先には幾重にも積み重ねられた書類の山。中にはまだ締め切りまで時間がある物もあるだろうが、殆んどが今日付けで提出しないといけない物ばかりだろう。

「また総悟の書類ですか?」
「あァ…アイツには困ったもンだな」

土方さんがガシガシと左手で乱暴に頭を掻き回しながら呆れた様に呟くが、彼の視界に俺は映らない。もう何日も抱き締めてもらってない。自分がここまで女々しいとは思ってはいなかったが、土方さんだから淋しくなるのだと思う。

「…土方さん、」
「あ?」

名前を呼べば言葉を返してくれるが、俺の方へと振り返ってはくれない。土方さんの前には数々の書類。俺は土方さんの背中しか目にする事が出来ず、なんだか無性に泣きたくなった。

「…なんでもないです。邪魔してすみません、失礼しました」

俺はそれだけを一方的に告げると足早に土方さんの部屋を後にした。今は自分の我儘を言っても結局は彼の邪魔にしかならないだろうから。淋しいから抱き締めてください、なんて口が裂けても言えるはずがなかった。




もし俺が土方さんと同い年だったら。もっと素直になって本音や本心を彼に伝える事が出来るのに、と歯痒くて堪らない。たった二歳年下なだけで彼に対してこんなに遠慮がちになってしまう自分が酷く嫌いだった。

「…土方、さん」

ぽつり、と彼の名前を呼んでみても淋しさばかりが募る。彼は副長なのだから忙しい事は仕方がないのだと自分に言い聞かせてみても胸中にある感情は消えてはくれなかった。淋しい。でも抱き締めてほしいなんて我儘は言えない。

「…はぁ」
「溜め息吐くと幸せが逃げまさァ」

不意に聞こえた声に一瞬だけ驚くも、その声の主が総悟と解ると先程と変わらず視線を天井へと戻した。総悟は勝手に俺の部屋に入ると、すとんと俺の頭の隣に腰を下ろす。

「…何しに、来たの」
「用がないと来ちゃいけませんかィ?」

随分と冷たい人ですねィ、と茶化す様な口調で総悟が俺に言葉を紡ぐ。だが今の俺にはそれに言葉を返す様な気力はなかった。たった数ヵ月間土方さんに抱き締めてもらえないだけでここまで気が滅入るなんて、男のくせに情けないと思わざるを得ない。

「これはまた…随分と落ち込んでますねィ」
「…五月蝿い。大体お前が器物破損ばっかりして仕事を増やすから「土方さんの仕事が増えたから会えなくて淋しいんですかィ?」

俺の言葉を遮った総悟の声色には紛れもなく呆れの色が混ざっていた。そんな総悟に苛立つが、彼よりも年上の俺が感情任せに怒ってどうすると自分を叱咤する事で不快な感情を喉の奥に閉じ込める。

「用がないなら出て行けよ。今はお前と遊んでる気分じゃないんだ」

ごろり、と総悟に背を向けた。そうでもしないと自分の感情任せに総悟を怒鳴ってしまいそうだったから。土方さんの仕事を増やしているのは紛れもなく総悟なのだが。

「用ならありまさァ…ほら」
「おまっ…それを先に出せよ」

総悟が懐から取り出したのは一番隊の報告書だった。紙面には締め切り厳守と明記されているが、その日付は昨日を示している。昨日土方さんが総悟を血眼で捜していた理由と土方さんの苦労が解った気がした。

「おっと」
「…何してんだ。その書類をさっさと寄越せ」
「タダで渡すわけにはいきませんぜィ」

書類を片手にした総悟は俺に見せびらかす様に其れをひらひらと動かして見せる。タダで渡すも何も、守るべき締め切りは昨日であり、それを破ったのは総悟なのだ。締め切りを過ぎてしまった以上は早く提出しないと土方さんがより一層困る事になる。

「馬鹿総悟。早く渡せって」
「じゃあキスさせてくだせェ」
「は?馬鹿言っ―――…」

言ってんじゃねぇよ、という俺の言葉は総悟の唇によって遮られた。時間が止まった様な感覚に襲われて、何が起こっているのかが解らなくなる。目を見開いたまま動けなくなった俺の唇から総悟の唇が離れた。

「う、わ…!」

ぐい、と強引に腕を総悟に引かれて俺はバランスを崩す。そしてその勢いのまま、俺は総悟の腕の中に閉じ込められた。ぎゅっと背中に回された総悟の手に力が入るのが解る。

「そ、うご…?」
「俺は、アイツが気に入らねェ」

総悟の言う「アイツ」が土方さんを指し示しているという事は直ぐに理解した。それと同時に俺の胸は締め付けられる様に苦しくなる。相変わらず仕事ばかりで、俺に振り返ってくれない土方さんを好きという気持ちを何処か悲しいと思ってしまった。

「ねェ…春樹さん。淋しいなら俺で紛らわせませんかィ?」

まるで悪魔が囁くみたいに、総悟が俺の耳元で楽しそうに呟く。俺と同じくらいの身長である総悟だが、今だけは何だか大きく見えた。さらさら、と総悟の手が俺の髪の上を何度も滑る。

「…っん…!」

するり、と総悟の指先が俺の首筋へと落ちてきた。くすくすと愉快そうに笑う総悟を睨むと、後は一瞬の出来事だった。不意に肩を押された俺は油断も加わっていとも簡単に総悟に押し倒される。

「っ、何す…「淋しいんでしょう?春樹さん」

ぐっ、と先程よりも近くなった距離。お互いの鼻と鼻が至近距離の為に軽く触れ合う。未だに突然の出来事に戸惑う俺に、総悟は続けて言葉を放った。

「なァ、いい加減素直になって認めたらどうでさァ」
「…知ら…ねェよ、」
「嘘つき。何時からアイツに触れられてねェんですかィ?こんなに敏感に反応しちまって」
「んっ…や、…だ…!」

ちゅ、と軽いリップ音を響かせて総悟の唇が俺の首筋から離れた。俺を組み敷いた状態のまま総悟は何処か悲しそうに尚も言葉を紡ぐ。

「…素直に言っちまいなせェ」

きゅっと心臓が縮むみたいな感覚に襲われる。俺に無理矢理口付けた総悟は、優しく俺の髪を撫で続ける。俺には総悟が何を考えているのかが解らなかった。

「…っ俺、…淋しい…!」

その言葉を口にしたら最後。俺の瞳からは涙が溢れる様にぼろぼろと落ちる。本当は言うつもりじゃなかった。言ったら泣いてしまうと解っていたから。涙ながらに嗚咽を溢す俺を総悟は抱き寄せる。

「ほ、んと…は解ってるんだ…!」
「……」
「…土方さん、の仕事が増えたも…総悟のせいじゃ、ないって…!」

土方さんが嘘をついている事も本当は解ってた。上からの仕事だか知らないが公に出来ない仕事が増えた事を俺を含めた他の隊士達に余計な懸念をさせない為に土方さんが「総悟のせいで仕事が増えた」と嘘をついていた事くらい俺には解ってた。

「知ってたんだ…総悟が土方さんの嘘に、付き合ってた事も…!」
「……」
「仕事なら仕方ないんだ…なのに…淋しいって思ってしまう自分が、俺は嫌だ…!」

半ば叫ぶ様にして俺は言葉を総悟にぶつけた。こんな事をしても何も変わらないと解っているのに、一度外れた堰は再び嵌められる術を知らない。

「…春樹さんは悪くねェ」
「…ふ、…っ」
「悪いのは土方さんだ。少しの時間でも春樹さんと会おうとしないで仕事を続けてやがるアイツが悪いんでィ」

それは土方さんが真面目な性格だからだよ、という反論の言葉は俺の喉元で止まった。総悟に抱き締められて、俺は泣きじゃくる様に彼の肩口に顔を埋めて涙を流す。今自分が抱き締められているこの身体が土方さんのものだったらどれだけ良いのだろうか。

「…ほんとに、気に入らねェ奴でさァ」

総悟の呟いた言葉が何処か遠くで聴こえた様な気がした。




違う唇でさえ、
(愛しい貴方を)
(思い出さずにはいられない)