「最っ低!」

バチン、と痛々しい音が蒼空に響いて左頬に刺すような鋭い痛みが襲いかかった。俺を平手打ちした女子は涙を流しながら俺を睨んでいる。あぁ、可哀想な子。俺なんかの踏み台に選ばれちゃって。本当に可哀想。

「好きじゃないってどういう事なの!?付き合って一週間も経ってないじゃない!どうして!?」

悲痛な表情で俺の目の前にいる子はぽろぽろと涙を流しながら半ば叫ぶように俺に問いかける。三年の中でも可愛い部類に分類されるこの子は、やはり泣き顔まで可愛いかった。

「何が駄目なの!?何で!?私は、川瀬君が本気で好きなのに…!」

泣き叫ぶような表情から一変して彼女は崩れ込んだ。蒼空に響くのは嗚咽混じりに俺を責める声ばかり。痛々しい声を聞きながらも俺はぼんやりと泣き続ける彼女を見つめた。

最初に付き合おうと言い出したのは紛れもなく俺だ。この子が俺に好意を抱いている事は何となく解っていた。だからこそ、この子を選んだ。俺の為に犠牲になってほしくて。

「…ねぇ、っ別れたく…ない、よぉ…」

涙で濡れた目で俺を見つめる彼女がすがり付くように俺を瞳に写す。叩かれた左頬の痛みだけが熱くて俺の思考回路を鈍らせていく。

「…ごめん、無理。別れよ」

彼女の涙で濡れた瞳が世界の色を失ったみたいな瞳に変わった。あぁ、本当に可哀想な子。そして俺は本当に最低な奴だと改めて実感せざるを得ない。




「…最低っスね、春樹先輩」

泣き崩れた彼女が屋上から立ち去った三秒後、貯水タンクの裏から現れた赤也が俺に言葉を吐き捨てた。急に赤也が現れて驚いたりはしない。だって最初から赤也がいると気づいていたんだから。

「五月蝿ぇよ、俺の趣味にケチつけんな」

何が俺の趣味だ、と心中で自嘲した。あの可愛い子なんて最初から好きじゃなかったし、微塵の興味もなかった。あの子が俺に好意を抱いていたから利用させてもらっただけの事で。

「…ねぇ、赤也、」

名前を呼んで振り返った赤也の肩をフェンスに押し付けた。ガシャン、とフェンスと赤也が接触した音が俺達以外に誰もいない屋上に響く。俺と赤也の唇の距離は残り数センチメートル。

「付き合ってよ、俺と」

触れ合いそうになる唇の距離で呟いた。交じり合う赤也の視線と俺の視線。俺が先程の言葉を発した瞬間、俺を見ていた赤也の視線が俺を睨み付ける視線へと変わった。

「その遊び人な性格、直した方がいいんじゃないっスか?」
「俺、真面目なんだけどな」
「…信用出来ませんよ、そんな言葉」

フェンスに押し付けられた体勢から逃れようと赤也が身を捩るけれど、俺はそれを許さない。赤也の肩を掴んでいる両手に力を込めて更にフェンスに押し付けた。

「ちょ、春樹せんぱ「本気だよ」

赤也の言葉を遮ると、彼の耳元に唇を寄せて囁いた。耳が弱い事なんて十分に知ってる。案の定、赤也は俺の囁きとほぼ同時に体を小さく震わせた。

「っ…だから、信用出来ないって…!てか、俺は男で…!」
「じゃあ、どうすれば信用してくれんの?」
「んっ…そんなの、知らな…っ」

俺を突き放そうと赤也が俺の肩を押し返すが、その手に力はなくて。どうやら本気で耳が弱いらしい。赤也のこういう所も好きなんだよな、と俺は心中で呟いた。赤也が性別の事を口に出したのは気付かないふり。

今も昔も俺が本当に好きな人間は赤也だけだ。ならば何故他の子と付き合ったりするのか。答えは簡単だ。最低だと思われようとも、そうすれば赤也は一度くらいは俺を見るだろう。つまり、

「ねぇ、赤也。もっと俺を見てよ」

もっと意識して俺を見て。俺を一瞥するだけでは満足しない。俺を見て、そしてあわよくば恋をして。そんな事の為に他人を利用する事を考えている俺は歪んでいるのかもしれない。だけど、俺は、

「好きなんだ、赤也」




あの声で呼んでよ、
(そして俺に恋をして)
(その為なら俺は最低な男にすらなってみせる)