※微裏ではありませんが、自虐自傷ネタなのでR15。




死にたい訳ではないんだ。だって死ぬ事は痛くて苦しいだろう?出来る事ならば痛みを感じる時間はなく、俺はこの世界から離脱したい。それが今の俺の一番の願いだ。


「春樹ー」

ふわり、と太陽の匂いが鼻を霞めた。慈朗だ。背中に衝撃を感じると腹に腕が回される感触。どうやら俺は慈朗に後ろから抱き締められているらしい。

「一緒に部活行くCー」
「ん、ちょっと待ってて」

背中に慈朗の重みを感じつつも鞄に教科書やノートを詰め込む。鞄に荷物を納める時くらい退いてくれないかな…。まぁ慈朗は俺の中の嫌いな人に分類されていないので触れられる事は苦ではない。なので何も言わないけれど。

俺と慈朗は鞄を持って廊下を歩く。廊下には部活へと足を進める生徒が沢山いた。その中ではぐれないように俺と慈朗はピッタリと肩を並べて歩く。

「あれ、春樹、リストバンドもう着けるの?」

俺と慈朗は今日の進級の際にあったクラス替えで初めて同じクラスになった為に隣で着替えるのは初めてだ。隣で着替えると言う事は、当然お互いの着替えが目に入ると言う事で。

「あぁ…俺、リスバンは最初に着ける派なんだよ」

俺がリストバンドをユニホームに着替える前に着けた事を疑問に思ったらしい。確かに制服姿のままでリストバンドを着ける事は他人から見れば不思議な光景だけれど。

俺は必ずユニホームに着替える前にリストバンドを着ける。だってユニホームって半袖だろ?冬の今なら長袖の制服が隠してくれるから。


「声出せ!」

氷帝テニス部の練習はハードである。朝練は勿論毎日あるし、放課後練では走り込みから始まってゲームで終わる。レギュラーの俺達は平部員とは違い練習メニューは倍になっている。本当に辛い。

今はサーブ練習の最中で、ひたすらサーブを打っている。今日は榊監督は不在らしい。俺にとっては監督がいない方がリラックスして練習出来るから都合がいいのだけれど。

「…あ」
「川瀬、どうした?」

俺が声を漏らした事を不審に思ったらしい岳人が振り返る。嫌な感触がじわじわと広がっているのが解る。何でもない、と岳人に一言返すと足早にコートから出た。

嫌だ、気持ち悪い。痛いと言う感覚よりも液体が染み込んで気持ち悪いと言う感触の方が俺の頭を支配している。早く、取り代えたい。それだけを一心に思い部室に急いだ。


「あー…また一つ捨てなきゃ…」

グショグショに濡れたリストバンドを取ると持参していたビニール袋に投げ入れた。また新しいのを買わなくては。予備を持って来ていてよかったて心の中で安堵の息を吐いた。

リストバンドを濡らした液体がただの水ならばこんなに隠れるように部室に来る必要はない。だけど水じゃないから。だから誰にも見られないよう急いで部室に来る必要がある。

「……痛」

今になって漸く痛みを感じた。ジンジンと痛みが広がっていく。こんなんじゃ当分練習に出られないな、と溜め息を吐いた。早く練習に戻らないと跡部に何を言われるか解らない。

「春樹…?」

ガチャリと部室のドアを開い入って来たのは先程までコートの隅で寝ていた慈朗で、何で来たんだという疑問よりも突然の事に驚いた。

その次の瞬間に今の俺はリストバンドを着けていない事に気付いた。完全に慈朗の目線は俺の左手首に集中していて、今更隠せない事に溜め息を一つ吐いた。

「…そ、れ…血?」
「あー…」

見られてしまった、知られてしまった。慈朗の視線は完全に俺の左手首からだらだらと流れ落ちる血に向いている。床には血塗れのリストバンド。完全に言い逃れは出来ない。

「も、しかして…死のうとしてたの…?」

俺が口を開くよりも先に慈朗が言葉を発した。その声はやっぱり震えていて、慈朗の瞳は困惑からなのか解らないけどゆらゆらと揺れていた。

「いや、違うよ」

迷う事はなくはっきりと慈朗の問いかけに答えた。だったら何で、と慈朗が呟いた。どうやら慈朗は俺が死にたいと思っているからこんな事をした、と予想したらしい。残念ながらその予想はハズレだ。

「俺は、世界から消えたいんだ」

死ぬ事には必ず苦痛が伴うだろう?首吊りは圧迫感を、入水は息苦しさを、焼身は焼ける痛みを、薬物は不快感を、銃は恐怖感を、斬死は切り裂かれる痛みを。勿論リストカットは皮膚が切られる痛みを。

今の俺の左手首は脈のある位置よりも上を切っている為に実際の痛みよりは軽いだろう。それなら何故するのか?答えは簡単だ。俺が存在しているのかを確かめる為なんだ。

これを見られたからと言って心配なんて事はして欲しくない。そんなのは俺にとっては迷惑であり、うざったい。いつもみたいな笑顔で何してんだCー、と言って深くは触れないで。じゃないと慈朗を嫌いになりそうで怖いんだ。

「痛く…ない?」

そっと慈朗が俺に歩み寄って来ると俺の左手首にゆっくりと手を伸ばした。その慈朗の動作がスローモーションに見えた。慈朗の手は俺の傷口に触れようとしている。

「、止めろ」

俺の制止の声を聞いて慈朗が火傷したみたいに手を引っ込めた。あぁ、その表情が酷くうざったい。そんな悲しそうな瞳に俺を写すなよ。同情なんて俺には必要ない。

「慈朗には関係ないだろ?出て行けよ」

これ以上は慈朗と一緒にいたくない。でないと俺が俺でなくなりそうだ。早く部室から出て行ってよ。今は誰の顔も見たくなくて慈朗に背を向けた。

「関係、なくないCー…だって俺…春樹が好きだから」

ぽつりと呟くような慈朗の声が耳に届いたのと同時に首に腕が回された。そして、慈朗に抱き着かれていると瞬時に理解した。俺は慈朗に背を向けている為に慈朗の表情は見えない。だけど震える慈朗の腕から泣いている事が解った。

別に俺が世界から消えたい理由は虐められたとか嫌な事があるからなんて大層な理由ではない。俺が15年間生きてきて、ふと俺が生きている理由は何だろうと考えた時に結論は出なかった。それ以来俺は必要とされているのだろうかと疑問に思うようになった。

だけど、やっと俺を必要としてくれる人を見つけたよ。ふわふわの金髪で太陽の匂いのする天使みたいな人を。生きてもいいと言われた気がした。




(小刻みに震える慈朗の体と)
(静かな部室に響く小さな嗚咽)
(好きだと言ってくれた慈朗の言葉に)
(なんだか酷く救われたような気がした)