愛してる、

と俺達はお互いの気持ちを確認し合って部屋の真ん中で唇を合わせたっけ。そんな数ヶ月前のブン太との記憶を懐かしく思い出した。今もブン太とは滅多な事がない限り会えない。所詮神奈川と大阪間での遠距離恋愛なんて、年に右手で数える程しか会えない。そんな事は解ってるはずなのに、


『会いたい』

たった一言のみを打ち込んだメールを二、三秒眺めて直ぐに削除した。こんな事を言ってどうなる?自分にそう言い聞かせては会いたい気持ちに蓋をする。もう何度こんなメールを送ろうとしたのか覚えていない。何度も何度も会いたい気持ちを伝えたかった。だけどその度に伝えた後のブン太の困った顔が浮かんでは消えるから送れないんだ。俺はブン太を困らせたくない。

カチカチとメールを打つ音が部屋に響く。『ブン太、好きだよ』先程送ろうとした文章を上塗りするように俺は新しい文章を打ち込んでブン太に送信した。数分で返って来るメールの待ち時間が今日はやけに長く感じられる。

『俺も、好き』待っていたはずのブン太からの言葉なのに素直に喜べないのは何故なんだろうか。言葉が欲しいんじゃない。言葉じゃなくて俺は、ブン太に会いたい。会いたいのに会えない。伝えたいのに言えない。悶々とした気持ちを胸中で感じながら俺はベッドに崩れるように倒れ込んだ。

寂しい、会いたい、抱き締めたい、ブン太の体温を感じたい。俺にもっと金銭の余裕があれば彼に会いに行く事が出来るかもしれなのに。ブン太も俺に会えなくて寂しいなんて思ってくれているのだろうか。

『今、家?』

突然のブン太からの問いかけに多少驚きつつもメールを返信する。『そうだけど、なんで?』彼に問いかけたはずの質問は返って来なかった。普段なら数分で返って来るのに今回に限ってはもう三十分も経つ。もしかして眠ってしまったのだろうか。まだ俺の携帯にはメール着信を告げる音楽はない。


ピンポン、と深夜の静寂を破るかの様に家のインターホンが鳴り響いた。こんな夜中に一体誰なのだろうか。訪ねて来た人の非常識な行動に若干腹を立たせながらも俺は玄関に向かった。

「……来ちゃったぜぃ」

玄関を開いて、一番に目にしたのは俺がずっとメールの返信を待っていた人で。ずっとずっと俺が会いたかった人だった。何度も何度も会いたいと願った人。

「ブ、ン太…?」
「ついさっき大阪に着いたんだ。お前を驚かそうと…」

照れくさそうに喋るブン太の言葉は俺が遮った。これは夢ではない、と俺の腕の中にいる彼の体温が物語っている。何度も何度も会いたいと望んでいたブン太が此処にいる。それだけで今まで胸の中にあったはずの鉛みたいな気持ちが何処かに消えていくのを感じた。

「なんで…大阪に…?」
「あれ?聞いてねぇのかよぃ」

玄関先で抱き締め合ったままの俺達は言葉を紡ぐ。今が深夜で本当に良かった。誰の目も気にする事なくブン太を抱き締められるのだから。

「合宿。四天宝寺と立海の」
「…は?」

合宿だって?突然にそんな事を言われても俺の頭は着いて行かない。だって合宿がある一週間前には必ずテニス部のキャプテンである白石が伝えてくれるのに今回は何も言われてないのだから。あの白石が連絡事項を伝え忘れるなんてあるはずがない。

「聞いてねぇの?」
「…おん」

だとすれば立海が四天宝寺と合宿をするという事が間違っているのではないのだろうか。だけど現に立海選手のブン太は紛れもなく此処、つまり大阪にいるのだ。一体何が本当なのだろうか。

俺がブン太を抱き締めながら物思いに耽っていると、ブブブとポケットに入っていた携帯のバイブレーションが鳴り始めた。こんな時間に何だろうと思いつつも携帯を開けば白石からメールが一件届いている。

『明日、立海と合宿する事になっとるさかい。忘れ物せぇへんようにな』

「は?」
「どうしたんだよぃ?」

ブン太の問いかけに答える隙もなく俺は慌てて新規メール作成画面を開いた。宛先人は勿論白石だ。

『ほんまに言うてん?』
『部長の言う事はほんまやで』
『なんでこないに急なん?いつもは一週間前には言うてんのに』
『春樹以外はみんな知っとるで』
『は?』
『だって俺から言うたもん』

ますます白石の言いたい事が解らない。俺以外の人には合宿がある事を告げて、俺には告げないなんてどういう了見なのだろうか。一方のブン太は暇そうにガムを膨らませては割っている。再び白石からメールが届いた。

『びっくりしたやろ?』

白石の言いたい事もしたかった事も漸く解った。つまり白石はブン太達立海との合宿がある事をネタにして俺にドッキリを仕掛けたのだ。これで漸く辻褄が合った。俺にだけ合宿の有無を伝えなかったのは俺を驚かす為だったのだと。

「なんやねん…白石の阿呆」
「そんなに白石の名前ばかり呟かれたら妬くんだけど」
「っか、堪忍な、ブン太」
「…馬鹿」

どうやら本当に彼は妬いてしまった様だ。ブン太の瞳は俺を映そうとはせず暗い夜道を眺めている。確かにブン太が折角俺に会いに来てくれたのに白石の事ばかり考えてしまったのは俺の落ち度だ。彼が拗ねるのも当然なのかもしれない。

「ほんまに堪忍な」
「…」

再度謝ってもブン太からの返事は返って来ない。どうすれば彼は俺を許してくれるのだろうか。考えても考えても答えは浮かばない。

「…、」
「へ?」

ぽつり、ブン太の零した言葉を聞き逃して俺は再度聞き返す。くるり、と俺に振り返ったブン太の顔は夜中でもはっきりと解るくらい赤く染まっていた。久々に見るその照れた表情に心臓が跳ねる。

「だから…っキスしてくれたら許してやるって言ったんだよぃ…!」

キッ、と羞恥に染まったブン太の瞳で睨まれたが逆にそれすらも愛しく感じる。余程気の抜けた表情をしていたらしい俺にブン太が文句を言おうとしていたが、その唇に俺は自分のをそっと重ねた。




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