例えばの話を考えてみよう。目の前には数多の天人が僕を囲んでいるとする。彼等の手には対象の殺害を目的とした鋭利な武器や殺傷能力の高い鈍器。明らかに僕の不利は目に見えている。こんな場面になったとして、果たしてその時の僕にはこの逆境に立ち向かうだけの気力があるのだろうか。答えはノーだ。

「何考えてやがる」
「…晋助」

ふわりと紫煙の香りが鼻を掠めたと思ったら、晋助が船の出入り口に寄りかかって僕を見ていた。先程まで黒い雲に隠れていた月明かりが船の上にいる僕と晋助を照らす。どうやら今晩は上弦の月らしい。

「…どうしたの、晋助」

僕の問いかけに答える事なく、煙管を右手に持ったままの晋助は僕に歩み寄る。晋助がこんな時間に出歩くなんて珍しい。普段の晋助は部屋で書物を読み漁っている時間帯だから。

「何考えてやがった」
「…何って?」
「惚けんなよ」

あぁ先程の問いかけの事か、と一人で納得した。僕の問いかけには答えてくれないのに、自分のには答えろなんて晋助らしい。皮肉なんかではなく、ただ純粋にそう思った。

「…例えばの事、考えてた」

再び船から見える山々に目線を向けて、僕は晋助に告げた。派手な女物の着物を身に纏った彼は僕の隣の船首に腕をかけて同じ様に視線を外に向ける。僕に続きを促す様な言葉を晋助は発しない。そんな事を言わなくても僕が晋助の要求に応えるのは当然の事だから。

「もしも…敵陣に僕だけで、周りには武器や重火器を持った沢山の天人というか敵がいるとする」

ふう、と晋助の口から紫煙が吐き出されて夜風に拐われた。それを横目で一瞥しながらも僕は言葉を紡ぐ。一見隣で紫煙を吹かす彼は聞いていない様にも見えるが、そんな事はどうでもいい。晋助が望むのならば僕はそれに応えるだけなのだから。

「もしそういう状況になったら僕は戦えるんだろうか、って考えてた」
「…それで?テメェの答えは?」

僕に目を向ける事なく、彼は然程も興味がなさそうに問いかけた。僕にしてみれば、晋助が僕の話に対して何かを問いかけた事の方が珍しい。平生の彼ならば聞くだけでそれ以上の詮索はしてこないから。

「僕の答えは"戦わない"だよ」

何の迷いもなく答えた僕に晋助が一瞬だけ目を見開いた様な気がしたのは僕の勘違いだろうか。そんな彼の様子に気づかない振りをして僕は言葉を続けて紡ぐ。

「僕にはその逆境に立ち向かうだけの気力も根気もないからね」

僕の無気力さは晋助も知っているでしょう?、と隣で紫煙を吹かす彼に自嘲気味に問いかけた。自分で言うのもどうかと思うが、僕は無駄な事はしない主義だ。わざわざ逆境に立ち向かうなんて事はしない。ただ僕は運命に身を任せるだけ。

「なら、」

晋助が一言呟いた声が聞こえた数秒後。彼の左手が僕の顎を掴んだ。と言っても格段に強い力ではなく、包み込む様な手の添え方だった。突然の事に僕の思考回路は完全に停止する。

「俺が戦えって言ったら…春樹はどうするよ?」

解りきっている何かを確かめる様に、晋助の右目が愉快そうに笑った。もしも晋助が戦えって僕に言ったなら、足掻いてみせろと命令したならば。僕の答えなんて解りきっている。

「…"戦う"よ。天人だろうが幕府の狗だろうが僕の命が尽きるまで立ち向かってやる」
「…そうだ。それでいい」

いい子だ、とでも言う様に僕の顎を包んでいた晋助の手が僕の頬を緩やかに撫でる。その感触を味わう様に僕は目を細めた。晋助が僕に足掻けと言うのなら晋助の為に足掻いてみせる。晋助の命令なら僕は何だってする。

「オメェは…春樹は死ぬまで俺の狗だもんなァ」

耳元で囁かれた晋助の言葉は酷く甘美で優しかった。僕は晋助の狗。この事実は僕が晋助に拾われた時から何一つ変わってはいない。人斬りとして汚く路上に転がっていた僕を拾ってくれた晋助の為なら僕は何でも犠牲に出来る。例えそれが自分自身だとしても。

「飼い主の命令なら、晋助の為なら僕は何だってしてみせるよ」

晋助が天人を斬って来いと言うのなら、僕は喜んで斬ろう。晋助が真選組が邪魔だと言うのなら、僕が進んで邪魔者を斬り捨てよう。晋助が僕を用無しだと言うのなら、僕は自分自身に刃を突き立てよう。

だって、

「(愛してるから。慕っているから。尊敬しているから。大切に想ってるから、晋助の事を)」

口には出さなかったけれど、心の底で強く想った。僕を拾ってくれた日から僕には晋助だけ。晋助だけが存在していれば僕はそれで良い。自分がどうなろうが周りがどうなろうが、微塵も関係ない。僕の世界には晋助だけが生きていれば良いのだから。

「春樹」

ふわり、と紫煙の香りが強くなったと思ったら晋助が近かった。するり、と晋助の手が僕の前髪に触れて、柔らかな感触を額に感じる。

「…本当にテメェは馬鹿で愛しい哀れな狗だな」
「…晋助の狗なら、それでも僕は幸せだよ」




無気力に生きてみせようか
(僕が運命に足掻くのは)
(晋助の為だけ)