「梅雨の馬鹿野郎ー」
「まだ4月や、あほ」

ペシンと謙也が俺の頭を軽く叩いた。一般的に言えばこの鬱陶しい雨は春雨と呼ばれる雨らしい。意味は春にしとしとと静かに降る雨。(はるさめ)(しゅんう)とも読めるらしい。

春だと言えどもやはり雨は嫌いだ。ジメジメとした湿気に雨のせいで肌寒い空気、何よりコートが使えない。よって練習はほとんど体育館を使っての筋トレ。それくらいでは体なんて温まらないので長袖のジャージは必需品だ。

「ほら、無駄口叩いとらんと動け」

再びペシン、と部長の白石に頭を叩かれて内心では悪態を吐きつつも足を動かす。それにしても寒い。腕なんて鳥肌が立っている。あー気持ち悪い。

「あれ…?財前は?」

ふと筋トレ中の練習風景を見て財前がいない事に気づいた。いつもなら軽口を叩きながらも練習しているのに。体育館を見渡しても財前の姿は何処にもない。

「あ…いえ…解りません」

適当に近くにいた二年生に聞いても財前の行き先は解らないらしい。部長の白石も何も聞いていないらしい。全く、サボるなんていい度胸やないか。探して来る、と白石に伝えると返事を聞く前に体育館を後にした。


「こーいう時は部室からやな」

財前を探そうにも四天宝寺は広い。取り敢えず一番可能性が高い部室に足を進める事にした。もしかしたらまだ着替えているかもしれないから。

「……あ、財前発見」

部室のドアを開くと見慣れた髪型とじゃらじゃらの派手なピアスの着いた耳を発見した。今日は運がいいらしい。白石の口癖を使わせてもらえば、んんーっエクスタシーや。

「…あ、春樹先輩」
「お前、何帰ろうとしてんねん」

今の財前の格好は制服姿でラケットバックを担いでいて、今から帰りますと容姿が物語っていた。部室にラケットを置いていたので取りに来たらしい。

「…いや、今日ジャージ忘れてしもうて」
「待たんかい、馬鹿野郎」

だから寒いので帰りますと告げて俺の横を通り過ぎた財前を、俺は逃がすものかと捕まえる。掴んだのは学ランの襟の部分で必然的に財前は首が締まる事になるが気にしない。

「…すんません、離して下さい」
「離したら逃げるやろ」
「逃げませんから帰らせて下さい」
「アホか」

結局部活に出ぇへんのやないか、と突っ込みを入れつつも俺は手を離さない。ほんまにえぇ度胸しとるわ、財前って。まぁジャージを忘れて寒いだろうが帰す気は更々ない。

「はよ着替えや」
「俺の話聞いてましたか?」

えぇから、と財前を急かすと、半ば諦めたような呆れたような表情で渋々財前は着替え始めた。その間に俺はスクワット等で簡単に体を温める。

「…寒いんすけど」

振り返ればガタガタと震えている半袖姿の財前が俺を恨めしそうに見ていた。そういえば財前は低体温だったっけ、と頭の片隅で思い出した。自分でも何を思ったか解らないけれど、紫色に変色し始めた唇をそっと人差し指で触れる。

「…!」
「…あ。はい、これ」

俺が唇に触れた事に驚いている財前には突っ込まずに、俺は財前に先程まで着用していた長袖のジャージを被せた。あ、またびっくりしてる。財前の驚いた顔なんてなかなかレアだ。

「ほら、練習行くで」

未だに驚いた表情をしていて言葉が出て来ないらしい財前の腕を引くと部室を後にした。部室の外は春雨。肌寒い空気は俺の体温を奪うけれど財前が風邪をひくよりはいいと思った事は内緒で。




春雨
(しんしんと降る雨の中に二人きり)
(鬱陶しいと思っていた雨も一瞬で好きになった)
(この出来事で財前が恋に落ちたのはまた別の話)