空が青いという不都合 | ナノ








例の計画の遂行が三日後だという事実を知ったのは、俺が病室で目を覚ました日の晩だった。少し前までの俺ならば、何とかして計画を止めたいと焦っていただろう。だが今の俺は計画遂行の話を耳にしてもそれ程心を乱される事はなかった。それが良い事なのか悪い事なのかは分からないけれど。

寝台から自力で起き上がる事が出来る様になった俺は、松葉杖の力を借りれば多少なりとも動き回る事が可能になっていた。歩く速さは普段の俺を基準にすると酷く遅かったが、それでも寝台に横になっているばかりよりは幾何かマシなものであった。外の空気が吸いたくなって、俺は真っ暗な廊下をぎこちない動きで渡る。ぎい、と錆びた音を響かせて、屋上の扉を開け放つと、少しだけ湿った匂いが鼻を掠める。ああ、雨が降るのかもしれない。そんな事を考えながら俺は屋上に設置してある長椅子に腰掛け様とゆっくりと足を前に出す。

「…晋助?」

電灯に照らされて其処に居たのは紛れもなく俺の知っている人物だった。独りだった俺に家族になってくれると言ってくれた人だった。普段通り紫煙を燻らせては、ゆっくりとした動作で煙を吐き出している。そんな彼の隣に立っているのは人の形をしてはいなかった。人に近い形はしていたけれど、それから漂うのは紛れもなく血の臭いだった。

「…なんで?」

ぽつり、と呟いた俺の声は思ったよりも純粋な疑問を含んだ言葉だった。俺の声が耳に届いたらしい晋助は此方に視線を向ける。

「なんで晋助が天人と一緒に居るの?」

それに対して何か言葉を口にする訳でもなく、その代りだとでも言う様に彼はゆっくりと紫煙を吐き出した。隣の天人がゆっくりとした足取りで俺の方へと歩み、そしてそのまま通り過ぎた。屋上に残されたのは俺と晋助の二人だけ。真っ暗な屋上には設置された電灯の無機質な灯りだけが二人を照らしている。

「晋助は憎くないの?」

何が、とは俺も晋助も口に出さなかった。

「ああ、憎いさ」
「…だったら何で、」
「俺ァはそれよりもこの世界が憎い」

晋助の瞳に宿っている憎悪の感情が姿を現す。

「その為なら天人だって利用する」

ぎらぎらとした眼光で彼が俺を見据える。そうか、俺と晋助では壊したい物が違うのだ。この時に初めて俺はそれに気付いた。

「玄」

晋助が俺の名前を呟く。ゆっくりとした足取りで彼は俺に歩み寄り、そして次第に距離を縮める。先程まで遠かった彼は俺の目の前に立ち、身長差はそれ程ないはずなのに何故か俺には晋助が大きく見えた。

「好きだ」

何度彼に告げられたか分からない言葉だった。相変わらず俺にその気持ちを伝える時の晋助の瞳は優しい。だが次の瞬間、彼の瞳は冷たい色を宿す。

「…これで最後だ」
「……え?」

何の事を言っているのか分からない、と俺は戸惑った声色で言葉を返す。

「俺に着いて来るのか、自分の納得する様に行動するのか、決めろ」

その言葉を発すると、晋助は俺の横を通り過ぎてしまった。背後から錆びた扉の閉まる音が響く。薄暗い屋上に一人。湿った空気の匂いが鼻を掠め、生暖かい風が俺の頬を撫でる。身体の末端から次第に冷たさに襲われる感覚に襲われる。
初めての晋助からの拒絶に俺は初めて独りが怖いと思ってしまったのだった。この感情が、晋助と共に居て独りが当たり前ではなくなったからなのか、一度家族という繋がりを得たからなのか、本当に晋助の事が好きだからなのか、どの理由から発生するものなのかは判断できなかったが、俺が思った事はただ一つ、拒絶だった。

「…や、だ」

置いて行かないで。ぽつり、と呟いてみても、俺の言葉は彼の耳には届かない。俺の考えが至るまでの時間が長すぎたのだろうか。晋助だって俺の為だけに時間を使える程に暇な訳ではないと良く考えれば分かる事なのに。俺の事を手に入れたいと言ってくれた晋助に俺はただ甘えていただけだったのだ。怖い、と思ってしまった。彼に捨てられる事が。この感情はきっと純粋な恋愛感情ではない。もっと醜くて自分勝手な依存という感情かもしれない。それでも俺は自分が独りになってしまう事の方がよっぽど怖かった。誰かの体温を知ってしまった今ではまた独りには戻れない。それが途轍もな怖くて寂しいのだ。

俺のしたい事は何だ。それは胸を張って言える、天人を此処から追い出す事だと。その為に俺がしなければならない事は何だ。小太郎の様に攘夷運動を行う事も一つの方法かもしれない。でも小太郎の生き方を否定する訳ではないけれど、きっと彼の方法は俺には合わない気がした。上に訴えかけるだけではこの国は変わってくれない様な気がする。
だからと言って辰馬みたいに外の事に目を向ける事も俺には出来そうもなかった。心の奥に燻っている感情はそう簡単には消えてくれない。
それならば銀時は?銀時の生き方なら俺は出来るのだろうか。答えはきっとノーだろう。あの戦いを経験した俺は今の現状全てを受け入れて生活するなんて到底出来そうにもなかった。きっと穏やかに暮らせても何時か何処かでその生活が綻んでしまうと簡単に想像できたから。…もし、銀時が傍に居てくれて、俺のこの感情の燻りを受け止めてくれるのならば、もしかしたら俺は今のこの世界を受け入れる事も出来たかもしれない。そんな都合の良い事を考えては自嘲が口元に浮かぶ。今更どんな顔をして彼に受け入れてくれと言えるのだろうか。きっと彼は優しいからそうしてくれるかもしれない。でもそうなったとして、俺は俺を許せないだろう。

それなら晋助の方法はどうなのだろうか。そう考えた時、俺にとっては彼の傍に居る事が一番自分の理想の方法を得られるのではないかと確信した。晋助はこの国を壊すだろう。今は天人と手を組んでるらしいが、目的が達成出来れば彼は簡単に掌を裏返すだろうと想像出来る。それが高杉晋助という人間であると俺は理解しているつもりだった。俺が少しだけ天人と共に手を組む事を我慢すれば、最終的に俺の目的は達成出来るのかもしれない。いや、そうしなければならない。俺が天人に復讐する為には晋助と共に行動するのが一番良いのだろう。
答えを出した俺はぼんやりと夜空を見上げる。薄暗く月明りは弱々しく、雲に隠れて星は一つも見えない。空気を肺に吸い込むと湿ったアスファルトの匂い。もうすぐ雨が降る。まだはっきりと前は見えないけれど俺が今どうするべきなのかは少なくとも決まった。ぐ、と松葉杖を掴む手に力を込める。俺は進まなければならない。小さく息を吐き出すと、俺は踵を返して錆びた扉に手を掛けた。




神様、あんたほんとは居ないんだろ