空が青いという不都合 | ナノ








そっと触れた彼の唇は温かかった。その熱に頭が痺れてしまった様に思考回路が停止する。一番最初の時の様に荒々しい口付けではないそれは、相も変わらず酷く俺を困惑させるものだった。

「…痛むか」

ゆっくりと唇が離された後、眼前の彼はそう呟いた。躊躇いがちに伸ばされた晋助の右手は俺の首元へと向かう。包帯で幾重にも巻かれた鎖骨や肩口に彼が触れた。

「ううん、平気」

小さく頭を振る。麻酔が効いているのだろうか。小さな痛みは確かに存在するが、不思議とそれは酷くなかった。

「見せてみろ」
「え、な…うわっ」

ぐい、と彼が俺の病衣を掴んで上方へと勢い良く引き上げた。抵抗する間もなく晋助の手によって俺は上半身を露わにさせられてしまう。至る所に巻かれた包帯と数多く貼られた綿紗が自分の目に映る。

「…こんなに酷かったんだ」

自分の身体の事なのに、何処か他人事の様に思えてしまう自分が酷く怖かった。腹部の傷よりも、新選組に撃ち抜かれた右脚の方が更に厳重な処置が為されているのだろう。そんな事をぼんやりと考えながら俺は晋助を見遣る。

「…」

特に何かを口にするでもなく、彼は黙ったまま俺の病衣を元に戻した。何も言わない彼が変に恐ろしい。このくらいの傷なら攘夷戦争の頃に何度も経験していたはずなのに、久々の痛みは俺を酷く臆病にした。

「怖かった、な」

ぽつり、と呟いた俺の言葉は部屋に小さく響いた。恐怖から解放されて安堵したわけではない。晋助に向かって怖かっただの恐ろしかっただの泣きつくつもりも更々なかった。ただ、昨日の晩御飯は煮付けだったよとでも思い出して言葉にするかの様に、その声は口から零れていたのだった。昔なら痛みなんてそれほど怖いとさえ思わなかったのに。自分が傷を負う事よりも一匹でも多くの天人を殺す事を選んでいたはずなのに。こんなに俺は弱くなっていてしまったのか、と内心落胆していた。

「…晋助も昔の俺の方が強かったと思う?」
「さあな。強い弱いの話よりも、昔のお前ェはただ無鉄砲の復讐馬鹿だっただけだろ」
「晋助だって憎かったくせに、天人が」
「俺はお前ェと違って考え無しに敵陣のど真ん中に突っ込んだりしねェよ」
「確かに俺は考えなんて特になかったけど、」

無鉄砲だとか馬鹿だとか言わなくても良いじゃないか、と反論してみるも晋助に対しては無意味だった。もっと強くなりたい。今よりも昔よりも。ふ、と晋助に目を向けると、彼は真剣な眼差しで俺を見つめていた。その瞳が真っ直ぐに俺を映していたからなのか、先程口付けを交わされたなのか、それは分からないけれど、何故か俺の心臓は早鐘のように打たれていた。顔が熱い。変に意識してしまって晋助の顔が真面に見れない。何なんだ、この戸惑いは。

「…何面白い顔してやがる」

変なものを見るかの様に晋助は眉間に皺を寄せた。何でもない、とぶっきらぼうに言葉を返すと、俺は再度寝台に横になり布団を被る。顔は未だに熱を持っていて、正面から彼の顔を見る事が出来ない。

「……」

そんな俺の行動に彼は何も言う事なく、優しい手つきで俺の髪の毛に触れる。そしてそのまま何も言葉を発する事なく病室から去ってしまった。扉の閉まる音が静かな空間に響く。彼の足音が遠くで聞こえる様になるまで、俺は布団から顔を出す事は出来なかった。

もっと強くなりたい。そう願う俺はまるであの戦争の時に戻ってしまった様だった。ただ直向きに強さを求め、相手を排斥する為には手段を選ばない。憎いという感情のままに行動し、その感情によって空いてしまった何かを埋めるために只管何かを求める。その術を知らない俺は更に負の感情に身を委ねるしか方法がない。

「…もっと、強くなりたい」

瞼を閉じれば、目の前で頭を吹き飛ばされた女の子の姿が浮かぶ。それと同時に屈託ない笑顔を浮かべる朱色の少女。強くなりたい、憎い存在を淘汰したい。そう考える度に彼女の笑顔がそれを邪魔する。頭の中から神楽の事を振り払う様に深呼吸を一つ。窓の外は驚くくらい平和で。俺のやろうとしている事が本当に正しいのか疑問に感じてしまった。




平行する矛盾