空が青いという不都合 | ナノ








車内は無言だった。何処から手に入れたのか分からない黒塗りの車は江戸の街を静かに走る。運転手は見た事のない男だった。後部座席の運転手側には俺、助手席側には晋助が座り、二人の間に会話はない。時折聞こえる街の喧騒だけが耳に届く。

「…」
「…」

助けてくれた、晋助が俺を。紛れもないその事実だけがはっきりと頭の中で理解出来た。その意図も、今何を考えているのかも、これからどうするつもりなのかも、何も分からない。死ぬはずだった俺を助けて、彼は一体…そうだ俺は死ぬはずだったんだ。俺は人を殺したから。絶対に斬らないと決めていたのに。その事実を再度確認した途端に自分の身体は小さく震えだす。

「…玄?」

晋助が俺の異変に気付いて名前を呼ぶ。

「晋助…どうしよ、おれ、人を…」

両手で自分の身体を抱き締めてみてもそれは収まらない。震える唇で言葉を紡ぐも上手く文章にならなかった。緑色や茶色の天人の体液とは違い、真っ赤な鮮血が俺の瞼の裏に張り付いて離れない。

「人を斬っ…「玄」

晋助の声が俺の言葉を遮った。それと同時に身体が彼の方向に引き寄せられ、彼の匂いが鼻を擽る。

「俺は、決めていたはずなのに…もう、生きている意味もない…松陽先生に合わせる顔がないよ、晋助…」

視界が滲んで、ぼろぼろと双眼から滴が零れる。それは俺の頬を流れ、やがて彼の着物に吸い込まれて消えた。縋る様に晋助の着物を掴み、必死に彼の背中を掻き抱く。爪を立て、額を彼の胸板に押し付け、何度も何度も彼の名前を呼んだ。

「どうして俺は何時も守れない…!どうして俺は…!」

憎い。ただただあの生物が憎かった。

「もう大切なものが、壊れるのを、見たくない…でも俺には、守れない」

彼は何も言わず、俺の成すが儘にしておいてくれた。それでも彼の腕は俺の背中に回され、俺を強く抱き締めてくれていた。その痛みが俺が今生きているという事の証の様に感じる。涙ながらに心情を吐き出す俺は、度重なる尋問のよる身体の痛みも感じなくなる程に感覚が冷たくなっていた。

「…俺はこの世界を壊す」

ぽつり、と晋助が呟いた。それは前から晋助が口にしていた野望だった。

「お前ェは、どうする」
「俺は、…もう壊れるのを見たくない、だから壊そうとするものを、俺は壊したい」

それは確かな俺の心の底に存在する感情だった。それを耳にしたらしい彼は俺の背中に回していた腕に力を込めた様な気がする。何度も嗚咽を溢しながら、俺はただ晋助の着物に涙を吸わせる事しか出来なかった。