空が青いという不都合 | ナノ








「…だれ、」

俺の口から出たのはそんな言葉だった。薄暗いこの場所の灯りは蝋燭の火だけ。隙間風に吹かれてゆらゆらと揺れる炎は彼等の背後に在り、逆光の所為でこちら側からは彼等の顔はぼんやりとしか見えない。

「真選組副長、土方だ」

淡々と目の前の男が名乗る。しんせんぐみ、と呟いてみるも今の俺には何も思い出せなかった。何で俺はこんなところに居るのだろうか。それも捕らえられた形で。ぼんやりとした頭でそんな事を考えていると、身体の至る部分が痛む事に気付いた。

「…っ痛、」
「お前が随分と暴れるものだからこちらも手加減し損なったぜ…ったく何人怪我したと思ってんだ」

うんざりした様な表情を浮かべて目の前の男が吐き捨てた。痛みに襲われている身体の中でも特に右脚は焼ける様に疼く。視線を向けると汚れた袴の間から見えた俺の脚には乱雑に包帯が巻かれていた。

「ああ、動きを止める為に脚を撃ち抜かせてもらったぜ、悪いな」

土方という男はそう言ったものの、一抹も悪いと思っていない声色で俺に言葉を放った。どうやら弾は貫通しており、銃弾が体の中に残っている事はなさそうだった。これくらいなら数か月もすれば完治するだろう。前もこんな怪我をしてそれくらいで治ったのだから。…前って何時の事だったっけ。何かを思い出そうとしてもぼんやりと霧のかかったような頭の中では何も思い出す事が出来なかった。

「で、本題だ」

吸っていた煙草を足元に投げ捨てて、土方が俺に向かって冷たい声色で口を開いた。じり、と右足で煙草を踏み潰す彼の瞳は酷く暗かった。

「幾つか聞きてェ事がある。なあに、正直に答えれば苦痛も少なくて済むだろうよ」

ああ、これから尋問されるのか。それだけは混乱した頭の中でも判断出来た。




連れて来られたのは不気味な器具の並ぶ部屋だった。所謂拷問専用の場所だろう。いくつかの器具には過去に使用された形跡が残されていた。何度洗ってもその血は簡単に落ちなかったのだろう。両脇を黒い服を着た男達に掴まれ、この部屋の中心に運ばされた俺はその場に跪かされた。目の前には鉄の棒を持った土方。

「手始めに聞くが、お前の名前は?」
「…………、ぐっ」

がつん、と俺の右腕に鉄の棒が叩き付けられる。鈍い痛みが俺を襲った。

「…っ久坂、玄」
「久坂、ね」

聞かない名前だな、と土方が独り言の様に呟く。部屋の隅に居る男の内の一人は何やら事細かに書物に記している。どうやらこの尋問の記録係の様だ。部屋の扉の前には別の男が一人。こちらは見張り係らしい。俺の両腕には枷がきつく填められており、簡単に取れそうもない。両腕が使えないこの状況で、此処から出られる可能性は限りなく低い。

「じゃあ次、動機を聞こうか」
「…動機?」

この男が何の事を言っているのか分からない。いや、そもそも真選組とは江戸の治安を守る特殊警察だったはずだ。その機関で尋問を受けているという事は、俺は何か問題を起こしてしまったのだろうか。いや、俺が思い出せないだけできっとそうなのだろう。

「う、あああ…!」

ぐり、と銃弾が撃ち抜いであろう右脚を鉄の棒によって押し付けられる。痛みに悶えるも其処から棒を退けてもらえる事はなかった。

「ぐ、…覚えて、ない……ああ!」
「あんまり時間かけたくないんだ、さっさと吐け」
「う…本当なんだってば…」
「何人も殺しておいて『覚えてないです』じゃ済まされねェぞ」
「…殺した、?」

じゃあ俺の衣類に付着している汚れは血痕なのだろうか。人の血痕にしては違う色の物も多々付着しているがこれは、天人のなのだろうか。ずきん、と頭が痛む。ぼんやりとしていた頭の中が次第にはっきりとし始める。

「…俺は、人を殺したのか…?」
「ああ?…お前、五人も殺した事すら覚えてないと言い張るのか?」

がつん、と俺の頬が殴られた。今度は鉄の棒ではない。土方の右手拳だった。衝撃に耐え切れなかった所為で俺の身体は勢いのまま後ろに倒された。

「…そうか、ころしたのか」

石造りの天井をぼんやりと眺めながらぽつりと呟いた。そうだ、確かに俺は何人も殺した。

あの時、あの天人は女の子の頭を撃ち抜いたのだ。鮮血が空気中を舞って、時が止まった様に往来していた人々は歩みを止めていた。ぐらり、と女の子だったものの身体が地面に倒れたと同時に人々は悲鳴を上げた。きっとそれが契機だったのだろう。何を思うよりも先に、俺はその天人に掴み掛かっていた。刀なんて持っていなかった俺は、天人の持っていた拳銃を奪い、何の躊躇いもなくその醜い頭に銃身を当てて、トリガーを引いた。天人の頭部が爆ぜて、その液体が俺を汚した。それから先はただ目につく天人を片っ端から殺した。使っていた拳銃は道中で捨て、新しく手にしていた刀は通行人の腰に携えられていたものを拝借した。往来に居た天人をひたすら斬り殺し、気の向くままに街を突き進んだ。人間には興味なかった。そうこうしている内に騒ぎを聞きつけたらしい警官隊が俺を包囲し、俺を止める為に刀を抜いて立ち向かってきた。だが俺が今こうして真選組の尋問を受けているという事は結局俺は捕まってしまったらしい。

「そうか、俺は五人も殺したのか」

そう呟くと乾いた笑いが込み上げてきた。あれ程までに人間は斬らないと決めていたはずなのに、簡単に崩された決意なんて聞いて呆れる。俺が守りたいものは何だったのか。俺の笑いに苛ついたらしい土方が俺の胸倉を掴む。

「まあ時間は沢山あるんだ」
「……」
「ゆっくりと聞かせてもらうぜ?」

ああ、俺は何の為に生きていたのだろう。大切な決意を失った今、俺はこれからどうすれば良いのだろう。誰か教えてくれよ。なあ、晋助。




そうやってまた一つ思い出を失う