空が青いという不都合 | ナノ








その一瞬が心地良かったのは確かだった。




「……朝、?」

薄らと瞼を開くと、窓からは陽の光が真っ直ぐに差し込んでいた。太陽の高さから判断するに、時間帯はどうやら正午を過ぎているらしい。こんな時間まで自分が寝てしまうなんて珍しい、そんな事を考えながらもゆっくりと身体を起こすと、ぼうっとした頭で記憶を辿る。

「…晋助」

ぽつり、と呟いた彼の名前は誰の耳にも届く事はなく、空気に溶けた。辺りを見回しても彼の姿はなく、まるで昨日の出来事が夢の様だった。荒々しい彼も、見た事のない表情を浮かべた彼も、優しく俺の頬に触れた彼も、紛れもなくあれは高杉晋助だった。久しぶりに再会したとは言え、晋助と何年も一緒にいたのに俺は彼の事を何も知らないんだと思い知らされた。そっ、と自分の唇に指先で触れてみるも、そこに彼の熱はもうない。あんな優しい口付けをするなんて卑怯だ、と悪態を吐く俺の顔が赤く染まっている事に自分では気付く由もなかった。



「…なんでこんな事になってるの」

はあ、と大袈裟に吐き出した溜息。場所は鍛錬場。目の前には木刀を構えた武市さん。周囲には観客という名の野次馬。武市さんの隣に立っているまた子ちゃんは意気揚々とした表情で俺を見ている。

「文句言うなッス!」

再度溜息を吐き出した俺に向かってまた子ちゃんが怒鳴る。前から思っていたけれど、この子って俺の事を良く思っていないのだろう。その理由は俺には分からないし、分かろうともしないのだけれど。

「久坂さんも鬼兵隊の一員なら稽古ぐらいしろッス!ね、武市先輩」
「私に振らないでください」

彼女の隣に立っている武市さんも俺と同じように溜息を吐き出した。どうやら彼もまた子ちゃんに無理矢理付き合わされているらしい。こんなつもりではなかったのに、と溜息交じりに呟いても後の祭りである。時間的には昼食だが、俺にとっては朝食を食べようと思って鍛錬場の前を通ったが運の尽き。丁度鍛錬場から出て来たまた子ちゃんとばったり会ってしまった俺は彼女に鍛錬場へと引っ張られてしまったのである。

「大体私ではなく、また子さんがすれば良いじゃないですか」
「私は刀使わないッスもん」
「はあ…すみませんがそういう事らしいです、久坂さん」

やれやれと武市さんが首を振る。また子ちゃんの魂胆は大体分かっていた。鬼兵隊に入ってからというもの、俺は一度も鍛錬に参加はしていないし、するつもりもなかった。俺は晋助みたいにこの世界を変えようだとか壊そうだとか考えた事はなかったし、そもそも俺が鬼兵隊に入ったのは晋助と一緒にいる為だったのだから。だがまた子ちゃんにとってはそれが気に食わないのだろう。彼女は俺が鬼兵隊にいる理由など知るはずもないのだから。

「成り行きでこうなってしまったとは言え、私も貴方の実力には興味がありましてね」
「へえ、武市さんにも関心を持たれるなんて嬉しいなあ」
「棒読みですよ、久坂さん」

そんな会話を武市さんと交わしていると、隊士から木刀を手渡された。受け取るか受け取らないか、一瞬悩んだが早く食事を済ませたい思いもあり、結局はそれを受け取ったのだった。俺が木刀を手にした事を確認すると、また子ちゃんは武市さんの後ろに下がる。先程まで賑やかだった鍛錬場が一瞬で鎮まる。武市さんが木刀を構えた後、俺も彼と同様に全神経を集中させる。みしり、と誰かの足の下で床が鳴った。それを合図とするかの様に武市さんが俺に向かって駆け出す。

「…っ、」

重い。彼の刃を受け止めた感想はそれだった。上から押さえつけられる形で武市さんの木刀を受け止めているが、このままでは下にいる俺が不利になる事は目に見えている。一文字にしていた木刀を斜めにする事で、俺は彼の刃を左側へと流す。そうして体勢の崩れた武市さんから距離を取ると、再び木刀を構え直す。ああ、この感覚、久しぶりだ。無意識に口元が緩む。

だんっ、と武市さんが床を蹴った。再び俺と武市さんの竹刀が衝突し合う。武市さんの二段三段の技を後方へと下がりながら全て受け流す。防衛の体勢ばかり取る俺に痺れを切らしたらしい武市さんが大きく竹刀を振り下ろした。それを今まで通り受け流すのではなく身体ごと避けると、彼の木刀の切っ先は地面へと向けられる。この隙を逃す事なく、俺は身体を縦に捻ると、そのまま彼の首に足を掛け、そのままの体勢で地面に思い切り投げた。衝撃に小さく呻く武市さんに構う事なく、俺は身体を密着させたまま彼の後ろに回り込む。そして手にしていた木刀を彼の喉元に突き立てた。

「はあ…参りました、私の負けです」

溜息混じりに武市さんが両手を小さく掲げる。それを確認した俺は漸く彼の上から退いたのだった。信じられない、とでも言いたそうな表情でまた子ちゃんが俺と武市さんを見ている。木刀を一人の隊士に返却すると、俺はまた子ちゃんの方へと足を進めた。

「何か俺に文句があるなら、こんな周囲の人を巻き込んで回りくどい事をせずに今度からは直接俺に言いにおいで」

分かった?、と念を押す様に彼女の顔を覗けば、頬の紅潮した彼女は強い眼差しで俺を睨み返す。ぐ、と唇を噛み締める彼女の頭に手を乗せると少しだけ強く撫で回した。これでまた子ちゃんも懲りただろう。厄介事に巻き込まれたのばかり思っていたが、どうやら俺にとっては満更でもなかったらしい。久しぶりの刀の交り合いに内心興奮したのは確かだった。




とこしえの微熱