「ただいまァ」 「おかえりなさい…ってどうしたんですか!?」
俺と俺の背におぶられた神楽を見た新八が慌てたように声を荒げた。手にしていた番傘を閉じて玄関に立て掛けると再び新八が大きく目を見開いた。
「っ玄さん!その格好…!?」
新八が俺の頬や衣服に付着している緑色の液体を見て驚いたように声を発した。それに言葉を返す事なく俺は神楽を玄関前の廊下にゆっくりと下ろしてやる。
「おいおい何だよ、でっかい声出して…」
新八の相次ぐ大声に銀時も来て、俺の格好を見たと同時に彼は言葉を紡ぐ事を止めた。ああ、銀時にはこの緑色の液体が何だか解っているんだろうな、なんて頭の片隅で考えるも決して俺は弁解はしない。俺の行ったことは事実であるからだ。
「…玄、お前…」 「新八。神楽、熱中症みたいだからさ身体冷やしてやってよ」 「え…あ、はい」 「おい、玄」 「あとアイス溶けたかもしれない。ごめんな、新八、銀時」 「いえ、そんなの気にしないでく「玄!」
新八の声を遮って銀時が俺の名前を叫ぶようにして呼んだ。新八が驚いたように目を見開いて俺と銀時を交互に見る。俺が銀時に視線を向けると、彼は酷く険しい顔をしていた。
「…風呂入って来るから。神楽の事、頼んだよ」
新八や銀時が口を開くよりも先に、俺は彼等に背を向けて風呂場へと足を進めた。今の俺は何も聞きたくないし何も尋ねられたくなかった。
「…」
黙々と俺は着物と袴を脱ぐ。腕を動かすと銃弾を掠めた肩口が小さく痛んだが、傷口を見る限りではそこまで深い傷ではなかった。処置する必要がない事に少しだけ安堵した。傷の処置は昔から得意ではないのだ。
ふと鏡で見た自分の身体は相変わらず古傷だらけであった。どれも攘夷戦争で得たものばかりだ。戦争が終わってから斬り合いはしていないので、傷はどれも痕となっている。決して消える事のない傷は何時だって俺に戦争の時を思い出させる。
きゅ、とノズルを回すとシャワーの口から勢いよく水が吹き出した。次第にそれが湯になっていくのを俺はぼんやりと眺める。…神楽、随分と怖がってたな。それもそうか。天人に斬りかかるなんて普通の日常ではなかなか見られる事ではない。況んやその天人の首が飛ぶなんて尚更だ。
「ふー…」
シャワーを浴びると口から吐息が溢れた。頬に付着していた緑色の体液が湯に拐われて、俺の身体を滑りながら排水溝へと流れて行く。頭からシャワーを浴びながら俺は未だに胸の内に燻っている感情に意識を向けた。
「…っくそ、」
あの感情は間違いなく歓喜と興奮だった。天人を斬り殺した事による歓喜と、もっと多くの天人を斬りたいという俺の素直な感情であった。攘夷戦争から何年も経ったはずなのに、天人に対する憎しみはあの頃と何一つ変わっていないという事実が悔しかった。俺たちは負けたという事を受け入れなければいけないはずなのに、それがまだ出来ていないのだ。
「…考えるのを止めろ、今は戦争中じゃないんだ。今は借金を返す事だけに集中しよう」
自分自身にそう言い聞かせてみたものの、俺の胸の中に燻っている感情は消えてはくれなかった。
「…ほんっとに気が利くよなァ」
風呂場から脱衣所に戻ってみれば、洗濯機の上には俺の着替えが用意されていた。どうやら俺がシャワーを浴びていた間に誰かが持って来てくれたらしい。大方新八だろうな、なんて考えつつも俺はその上に置かれているタオルに手を伸ばす。
「銀時、いるんだろ?」
ドアの向こう側にいるであろう彼に対して俺は声を放った。その数秒後、ゆっくりとした動作でドアが開かれ、未だに険しい表情を浮かべている銀時が現れた。
「…よく気づいたな」 「まあね」 「てめェには恥じらいっつーモンがねェのかよ」
銀時が現在の俺の格好を見て呆れたように呟いた。今の俺の格好は腰にタオルを巻き付けただけである。寧ろタオルを巻いているだけでも褒めて欲しいくらいだ。
「んで?何か用?」
がしがしとタオルで髪の毛の水分を奪いながら銀時に問いかけた。腕を動かした所為なのか、銃弾を掠めた左肩が痛んで其処からじわりと血が滲む。
「…斬ったのか」 「何が?」 「惚けんじゃねーよ。アレ、血だろ」
天人の、と付け加えた銀時を俺は見つめた。俺の瞳は無感情で酷く冷たい色をしていただろう。だがそんな事で怯む銀時ではない事くらい俺は承知している。
「怪我までしてるじゃねェか」 「っ…!」
す、と銀時が俺の肩の傷口に触れた。また塞がっていない其処は彼に軽く触れられただけで鋭く痛む。やはり処置をする必要があるのか、と俺は内心がっかりした。
「…神楽は?」 「あァ、ちょっくら休んでるよ。暫くすれば元通りになんだろ」 「そうか、良かった…。……神楽にはキツいもん見せちゃったな…」 「玄の事だ、何かあったんだろ」
天人には逆らうなという暗黙の了解があるこの星で、銀時の言葉は酷く優しく聞こえた。生乾きの俺の頭に銀時は手を乗せてぽんぽんと優しく撫でる。昔から何も変わらないその行為に少しだけ俺の涙腺が緩んだ事は彼には内緒である。
「…撃ったんだ」 「玄をか?それとも神楽か?」
銀時の言葉にふるふると俺は首を横に降った。
「攘夷浪士を…アイツ等が汚いって…俺達からすればアイツ等の方がずっと汚いのに、」
先程の光景を思い出して、俺は唇を噛み締める。それと同時に沸々と胸の内に憤怒の感情が沸き上がった。天人なんて俺が斬り殺してやる。俺が奴等をこの星から追い出してしまいたい。此処はアイツ等の物ではないのだ。まるで蟻が砂糖に群がるみたいに次々と沸きやがって。
「玄、落ち着け。瞳孔開いてんぞ」 「……解ってる」
右手首を銀時に捕まれて、俺は考えるのを止めた。解ってる、ちゃんと解っているのだ。俺達はあの戦争に負けたのだと。受け入れなければならない事なのに、受け入れたくはない。天人が、憎い。
「銀時…悪いけど一人にしてくれ。お前に八つ当たりしたくないんだ」 「…ったくよォ。なんでテメーは一人で抱え込むんだ」 「っ」
気がついたら、俺は銀時の腕の中にいた。俺の額に触れる銀時の肩口、背中に回された彼の腕、視界に映る見慣れた着流し。どの要素も俺が彼に抱き締められていると認識させるには充分だった。
「少しくらい頼れよ」
銀時の口から絞り出されたようなその言葉に、俺は何も答える事が出来なかった。俺の肩にあるまだ塞がっていない傷口に触れないようにして抱き締めてくれている銀時に、やっぱり変わらないなと俺は思うだけだった。
月までの距離を測るのだ
「銀ちゃん」
先程まで眠っていたはずの神楽に何の前置きもなく名前を呼ばれた銀時は酷く驚いた。真夏の太陽に照らされて体調を崩した夜兎の少女の様子を見に来ただけなのだが、どうやら起こしてしまったみたいだと銀時は内心で自分に向かって舌打ちをした。
「んだよ。体調悪いなら寝てろって」 「銀ちゃん……玄は…?」 「…アイツなら散歩だ」
神楽の口から彼の名前が出た子とに銀時はぎくりとした。そして数分前に「頭を冷やしてくる」と一方的に告げて万事屋から出て行った男の事を話すと神楽は小さく息を吐き出す。
「玄、凄く怒ってたネ」 「…虫の居所でも悪かったんだろ」 「玄が…『汚いのは天人だろ』って怒鳴ってたヨ…」 「神楽、もう寝ろ」 「銀ちゃん、…玄は天人が嫌いア「いいから寝ろっつてんだろーが」
半ば無意識的に銀時は神楽の言葉を遮っていた。納得しきっていない表情を浮かべている神楽を見て見ぬふりをしながらも銀時はこの場にいない男の事を考えていた。玄は間違いなく天人を憎んでいる。神楽はこの事を知らない。そして彼は神楽が夜兎という天人である事を知らない。
「…どーっすかなァ」
ぽつり、と呟かれた銀時の言葉に神楽は不思議そうに小首を傾げるだけだった。
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