じゃり、と一人の浪士の足元の砂が音をたてた。それを合図にするようにして、男達が一斉に俺へと斬りかかる。武器なんぞ持っていない俺はそれをただ避けるのみであった。
「っと…」 「ちょろちょろと逃げおって!」
そりゃ逃げるでしょ、斬られたら死んじゃうからね、なんて俺は頭の中で言葉を吐き出す。視線だけを動かして後ろにいる神楽の様子を盗み見るが、少女は未だにぐったりと地面に座り込んでいた。もしかして熱中症ではないだろうか。これだけ日差しの強い日だ、そうなったとしても不思議ではない。
「ちょっとごめんよ」 「がっ…!」
斬りかかってきた一人の浪士の利き腕を掴むと、俺は男の鳩尾を膝で蹴り上げた。怯んだ男の手から俺は素早く刀を拝借し、丸腰になった浪士を蹴り飛ばした。
「奴を斬り殺せ!」 「俺はまだ死なねーよ、どっせェェェい!!」
俺に向かって次から次へと刀を振り下ろしてくる浪士達の脇腹や首筋を狙って俺は刀を振るう。次々と地面に倒れる浪士達の身体から血は流れていない。そもそも俺は彼等を傷つける気は更々ないのだ。
「峰打ちだと…!貴様、俺達を嘗めているのか!?」 「違うっての。あんた達が勝手に斬りかかって来ただけだろ。大体さ、」 「ぐァ…っ!」 「同じ志を持ってる奴を殺せるわけねーだろ」
ぐらり、と最後の一人であったリーダー格の浪士の身体が傾いて地面に倒れた。六人の攘夷浪士が地に転がっているが、これと言って命に別状はないだろう。寧ろ打撲だけに済ませた俺を褒めて欲しいくらいだ。
「神楽!大丈夫か!?」
手にしていた刀を足元に落とすと、俺は慌てて神楽の元に駆け寄る。神楽の顔を覗き込んでみるも顔色は俺の予想通り悪かった。
「傘…私、あれがないと太陽の下を歩けないネ…」 「ちょっと待ってろ!」
浪士に飛ばされてしまった神楽の傘を手に取ると、俺は急いで少女の元へと戻る。神楽の言った事は現時点の俺では正直理解出来なかったが、それよりも今は神楽を病院に連れて行く事の方が優先だった。
「…まあ、なんて汚い」 「あら、本当ね」
意識が完全に神楽の事に囚われていた所為で、背後から聞こえた声に酷く驚いた。反射的に振り返ると其処には人間ではない生き物。ずっと俺が憎んできた奴等がいた。
「あ…まん、と…」
俺の口から溢れた声は少しだけ掠れていた。狐のような形をした二つの天人は、未だに地に臥せっている攘夷浪士達を汚物を見るような瞳で見下ろしている。
「どうして人間ってこんなに汚くて下等なのかしら。掃除をしなくちゃね」 「ぎゃあ!」
乾いた音が響いて、一人の浪士が悲鳴を上げた。じわりじわりと土に広がっていく赤い液体が、彼の身に何が起こったのかを表している。天人の手には硝煙を上げている黒い物体が握られていた。
「ほら、こっちにもいるぞ」 「本当ね。綺麗にしなくちゃ、」 「っ止めろ!!」
かちり、と天人の手にある拳銃の引き金がゆっくり引かれた。それを聞いたと同時に俺は走り出す。地面に落としていた刀を走りながら拾うと天人に向かって行く。
「あああぁぁああぁあ!」
刀の刃の部分を、拳銃を持っている天人に向けて思い切り振り下ろした。躊躇いはない。俺の頭の中は目の前の天人への憎しみで溢れていた。
「ひっ…人間風情が!」
刃が天人へ届くよりも先に、天人が俺に向かって発砲した。引き金は既に引いてあった所為か、俺は咄嗟に発砲された鉛玉を完全に避ける事は出来なかった。身体を反らした事で胸への直撃はなかったが、銃弾は俺の左肩を掠める。だが振り下ろしている俺の刀の勢いは衰える事はなかった。
「汚ェのは、てめーら天人だろーが!」 「っ」
ごとり、と不気味な音をたてて天人の首が地面に落ちた。その数秒後にその断面から勢いよく天人の体液が吹き出す。人間とは違って緑色のそれは、近くにいた俺の顔や肩へと飛び散った。
「き、貴様っ…人間の分際で何をしたのか解っておるのか!?」 「……ェ」 「汚らわしい虫けら共め!我等に刃を向けるなどあってはならんのだ!」 「…るせェ」 「死を以て償わせてや「五月蝿ェ!!」
悲鳴を上げる隙さえ与えないように、俺は迷いなく刀を横に振り払った。自分の刀が天人の首の肉を裂き、その骨を絶つ感触。久しく感じる事のなかったそれに俺は酷く興奮した。
「…っ…玄…?」
不安そうに呟かれた自分の名前。反射的に声のした方へ振り返ると、其処には困惑の色を表情に浮かべている神楽がいた。
「…か…ぐら…」
今になって漸く自分のした事を認識した。地面には六人の攘夷浪士が気を失って倒れており、自分の足元には二つの天人の首とその胴体が転がっている。自分の頬や肩には奴等の体液が付着していて無性に苛立つ。汚い、と半ば無意識的にそう感じた。
「あ、…あぁ…」
かたかたと小さく震える神楽を見た俺は手にしていた刀をゆっくりと落とす。十代の少女に見せる光景ではなかったな、と俺は脳内で後悔した。刀ではなく神楽の傘を手に取ると、俺はそれを開いて少女に持たせてやる。これがないと太陽の下を歩けないと言っていた事を思い出したのだ。
「…ん、」 「あ…ありが、と…」
傘を差し出すと、躊躇いながらも神楽はそれを受け取ってくれた。その事実に小さく安心すると、俺は攘夷浪士達の元へと足を進める。一人は先程天人に撃たれており、一見命に別状はないみたいだが早く医者に見せてやるべきだろう。
「おい」 「…っ…」 「起きろって」
未だに気絶しているリーダー格の浪士の肩を揺するがなかなか目を覚まそうとしない。少し強めに再度揺するとうっすらと男は瞼を開いた。
「今すぐ他の奴等を連れて此処を立ち去れ。一人は天人に撃たれてるから早く病院に連れて行くんだな」 「っ…お前、は…?」 「俺たちの事は他言無用で頼むよ。まァ警察に話してもアンタ達が先に捕まるだろうからそんな事はしないと思うけどね」
それだけを告げると俺は再び神楽の元へと歩み寄る。銃弾を掠めた肩が小さく痛むが放っておいても問題はないだろう。傷口は勝手に塞がってくれる、時間はかかるけれど。
「神楽…歩ける?」
ふるふる、と眼前の少女は小さく首を横に振った。俺が思っていたよりも神楽の熱中症は酷いみたいである。取り合えず早く万事屋に戻って神楽の身体を涼める事が必要だと判断した俺は、神楽に背を向けると屈み込んだ。
「よし、乗れ」 「…え…?」 「おんぶしてやっから。あァ、天人の血が少々掛かってんのは悪いけど我慢してくれよ」 「い、いいアル…!休んでおけば治るネ」 「馬鹿。早く戻んねーと余計に悪化するかもしれねェだろ」 「…でも、」 「こういう時は黙って甘えとけば良いんだよ。女の子なら尚更だって」
俺が強引に急かすと、神楽は躊躇いつつも俺の背中に身体を預けた。それを確認すると俺は立ち上がる。思っていたよりも神楽はずっと軽かった。それもそうか、神楽は女の子だしまだ子供なのだから。一人でそう考えて納得すると、俺は神楽の傘を手に取った。
「…玄、」 「ん?」 「…やっぱり、何でもないアル」
そうか、と少女に言葉を返すと俺は万事屋に向かって足を進めた。神楽の傘が周囲の人の目から俺の肩や頬に付着した天人の血を隠してくれている。早く万事屋に帰って風呂に入ろう。自分の身体や衣服に着いている天人の体液への嫌悪感を隠しながらも、俺は自分の中にふつふつと沸き上がる歓喜と興奮に気づかないふりをした。神楽の手にある袋の中のアイスは溶けてしまっているかもしれない。
祈っていた内容がわからなくなった (俺は何が欲しかったんだっけ?)
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