「赤慧、知ってるアルか?」
神楽の紡いだ言葉を聞いた赤慧は、ただ純粋に瞳を輝かせたのだった。
「ぎんとき!ぎんとき!」
「ん、んー…赤慧、頼むから…もう三十分寝かせてくれ」
ゆさゆさと赤慧に肩を揺すられて、銀時は眉間に皺を寄せて瞼を閉じたままそう唸った。彼がうっすらと瞼を開いて枕元に置いてあった時計へと目を向けると、短針は七の数字を指し示している。
「…まだ七時じゃねェか」
まだ銀さん眠いの、と朱色の瞳で自分の方を眺めている少年にそう告げると、銀時は再び布団の中へと潜る。もうじき新八が万事屋へやって来て、恐らく自分は彼に起こされるのだろう。だがそれまでは眠っていたいというのが銀時の素直な考えだった。
「ぎんとき!あのね、たいへんなの」
「んー…銀さんも大変だよ、睡眠時間が足りないって銀さんの脳味噌さんが叫んでる」
「あのね、あのね。いちごぎゅうにゅう、ねあげするんだって!」
がばり、と銀時は勢い良く布団から跳ね起きた。突然の行動に赤慧は目を丸くして驚くばかりである。銀髪の男は朱色の少年の両肩を掴むと、問い質すように揺さぶり始めた。
「赤慧!イチゴ牛乳が値上げするっつーのは本当か!」
「う…え、あ…う、うん」
「何時からだ!何時から値上げするんだ!?」
「え、…あ、あした…?」
「こうしちゃいられねェ!」
ちょっくら銀さん出掛けて来るからな、と銀時は赤慧に告げて颯爽と万事屋を飛び出してしまった。勿論寝間着のままである。漸く両肩を銀時の揺さぶりから解放された赤慧は未だに事態を飲み込めていない様子なのであった。
「おーい、銀さんが帰ったぞ」
銀髪の男、坂田銀時が再び万事屋に戻ったのはそれから一時間程が経った頃であった。彼の両手には近くのコンビニのビニール袋が握られており、その中には多量の商品が詰め込まれている。
「おかえりなさい、銀さん。こんな朝早くから何処に…って、何ですかそれ!」
既に万事屋に来ていた新八が、たった今帰宅した銀時を玄関先まで出迎える。そして銀時の両手に提げられている二つの袋を目にすると、驚いたようにそう叫んだ。その新八の声を聞いた赤慧も玄関先へと足を向ける。
「五月蝿ェよ、ぱっつぁん。イチゴ牛乳に決まってんだろ」
「イチゴ牛乳って…もしかしてそれ全部ですか!?」
「ったりめーだろ」
ほれ、と銀時が新八に向かってビニール袋の中身を見せる。其処には確かにイチゴ牛乳のパックが所狭しと詰め込まれていた。それを見た新八の顔は驚愕に満ちている。そして赤慧の顔も又然り。
「あ…あんたって人は…!」
ぷるぷると何かを堪えるようにして新八は拳を握っている。一方の赤慧は顔を青くさせて黙ったまま袋の中身を凝視していた。
「あんたって人は!見損ないましたよ!」
「五月蝿ェな、朝から大声出すんじゃねーよ」
「誰の所為だと思ってるんだァァァ!いくら自分がイチゴ牛乳好きだからってね、未払いの家賃や僕達の給料よりも有る金をイチゴ牛乳に注ぎ込むだなんて何を考えてるんですか!」
「馬鹿だなァ、新八、知らねーの?」
「……何がですか」
「明日からイチゴ牛乳、値上げするんだぞ」
「……」
目を真ん丸にした新八、相も変わらず顔を真っ青にしている赤慧、上機嫌の銀時。そんな不思議な光景を目にした神楽はただ頭の上にクエスチョンマークを浮かべるだけであった。
「値上げする前に買い占めとかねーとって思ってよォ」
「イチゴ牛乳が値上げって…僕、そんな話初めて聞きましたけど…」
「…ぎ、…ぎんとき…」
銀時と新八の会話を遮るように赤慧が言葉を紡いだ。その声は心なしか小さく震えている。
「新八、赤慧がイチゴ牛乳の値上げを教えてくれたんだ。なァ、赤慧」
「…ぎん、とき…あ、あのね…」
「いやー、値上げする前に買い占め出来て良かった良かった」
大口を開いて破顔する銀時を見た赤慧は終に双眼から大粒の涙を溢した。
「ご…ごめんなさ、い…!」
うわぁぁぁん、と大きな声をあげて唐突に泣き出した赤慧に銀時はただ驚くばかりであった。
「え、ちょっ、赤慧…どうした、」
「ごめん、なさい…!ごめんなさい…!」
「よく解んねェけど落ち着けって!」
ただ泣きじゃくる赤慧を銀時は戸惑いながらも抱き寄せる。銀時が腕の中で大粒の涙を溢している少年の小さな背中を撫でてやると、更に赤慧の口から嗚咽が溢れた。
「ごめ…っなさ…うそ、なの…」
「嘘だァ?」
「っねあげするなんて…うそなの…ごめ、なさい…!」
赤慧の口から必死に紡がれた言葉を、銀時は必死に聞き取る。その結果「イチゴ牛乳が値上げするという話しは嘘」だという事を何とか理解した銀時はただ目を丸くするばかりであった。
「はー…」
「、…ごめんなさっ…ごめんなさい…!」
「取り合えず言いたい事は解ったから。ほら、いい加減に泣き止めって」
ぐい、と銀時が未だに泣き続けている赤慧の涙を強引且つ優しく拭う。涙目の赤慧はしゃくり上げながらも銀時の着流しを掴んだまま離そうとはしなかった。そんな朱色の少年を引き剥がす事はせず、銀時は赤慧が落ち着くまで少年の頭を撫でてやる。
「…なァ、赤慧」
「っ」
銀時が言葉を発すると、彼の腕の中にいる少年の身体が大きく一度だけ震えた。そんなにびっくりしなくても大丈夫だっつーの、と銀時が苦笑い混じりに赤慧に言葉を紡いでやる。
「何で嘘つこうと思ったんだ?」
「っ…うそ、ついてもいいひだって、おしえてもらったから…」
「…誰に?」
「……」
「別にそいつを怒ろうなんて考えちゃいねーさ。ただの純粋な疑問だよ」
「……か、ぐら」
震える唇を開いて赤慧が紡いだ名前に、銀時は「…やっぱりか」と小さく言葉を漏らした。そもそも嘘をつく事なんて赤慧は知らなかったのだ。そんな少年に嘘を吐く事を教えたのは薄々銀時も感づいていた通り、神楽であった。
「…ぎんとき、…ごめんね」
すん、と鼻を啜って赤慧が申し訳なさそうに小さく言葉を呟いた。そんな少年を怒るつもりなんて毛頭もなかった彼は、ただ赤慧の額に彼自身の唇を触れ合わせる。てっきり酷く怒られると思っていたらしい朱色の少年はきょとんとした表情を顔に浮かべていた。そんな少年に小さく微笑みを溢すと、銀時は赤慧からゆっくりと身体を離す。
「じゃあ今日はイチゴ牛乳の日にすっか」
「…おこって、ないの?」
「馬鹿、こんな事で銀さんは怒んねーよ」
ぐしゃぐしゃと赤慧の朱色の髪を銀時が掻き回すと、突然の事に驚いた赤慧が小さく声を漏らした。怒るも何も、嘘をついた事に罪の意識を感じて自ずから謝った赤慧を叱るなんて、銀時には出来なかっただけなのだが。
「ほら、赤慧。早くしねーと神楽が全部飲んじまうぞ」
早く来い、と銀時が片手を差し出すと赤慧はただ嬉しそうに彼へと勢い良く抱き着く。朱色の少年をしっかりと受け止めながら、銀時は赤慧への愛しさに口元を緩ませた。
ワインレッドの嘘に溺れる
(とある四月一日の話)
2012/04/01 happy april fool's day!