銃弾の装填、三秒。構えなおし、一秒。遅い。遅すぎる。どう考えたって遅い。何をしているのだろうか俺は。口から悔恨の罵声が漏れる。そんなことをしても意味がないのはよく理解しているのに。 「ああ、くそ」 コートの裏から小型爆弾を取り出し、蛇が次々とあふれ出てきている岩の隙間に投げた。地へ着いた衝撃で爆発する。この爆破でその隙間は塞げたはずだ。 身体が重い。最初はこの豊胸に感謝していたが、今ではただのお荷物だ。女性はいつもこんなものを揺らしながら戦っていたのか。全く、天晴。今なら巨乳好きの男共にビンタをして「目を覚ませ。貴様は何も分かっちゃあいない」と言うだろう。 心配するな。不安を感じるな。落ち着け。冗談が言える程度には余裕があるだろう。 呼吸を整え、再び蛇の大群に身を投じた。 「無茶をするなエリィ!おまえ、まだそのからっ、本調子じゃないんだろ!」 霧隠上司の切迫した声が聞こえる。俺の心配をしてくれるのはありがたいが、この数を相手にしているのだ。俺のおこぼれを拾う余裕があるはずない。 「ご心配なさらずとも私は大丈夫ですので、霧隠上司はご自分の仕事をなさってください!」 「ばかやろうッ、っ、」 ギン、と刀と牙が擦れ合う音が響いた。 大技のひとつやふたつ、習得していればもっと楽なのだが。そういうわけにもいかないか、と俺は聖水のボトルを空に放ち、銃弾を撃ち込んで散布させた。雑魚はこれで排除できるため、定期的に行っていけば数も減るだろう。見たところ、これ以上蛇の援軍が来る様子は見受けられない。あの蛟が従えている蛇はこの巣窟の中で全部と推測される。 はた、と藤本神父の方へと視線を移した。フィオナのあの硬い鱗が所々傷をこさえ、赤黒い液体があふれ出ている。どうやら戦況はこちらが優勢のようだ。よし、この調子だ。 バチン。 フィオナの、碧い瞳と、俺の瞳が、合わさった。 ―――たすけて、トム。 「ッ、は、」 気のせいだ。気のせいだ。あいつが俺の正体を知っているはずがない。俺は現在エリィ・ハンスで、トム・ハンスではない。だから、あいつが気づくはずなどないんだ。 ―――トム、お願い、私達、友達だったじゃない。 「違う、俺は、私は、トムじゃ、ない」 いや、トムだ。確かに俺はトムだ。いまトムではないだけで、 「私は、エリィ・ハンスだ…!」 やみくもに引き金を引いた。脳内に響くあの女の声を打ち消すために、銃声に耳を澄ませる。大丈夫だ、大丈夫。何度もその言葉を復唱した。 俺の心理状態が乱れていることに気付いたのか、フィオナがニィと笑った気がした。 刹那、足に何かが絡みつき、俺の体勢を崩させた。その何かは言うまでもなく、蛇である。持ち直すこともできず、そのまま冷たい石の床に尻もちをつく。まずい、このままでは、蛇に咬まれてしまう。 「ちッ、やめ、ろ、」 急いで銃口を蛇に向けた。引き金を引く。体は、吹き飛んだ。体だけ、吹き飛んだ。 頭は、残っている。 針のような歯が突き刺さったまま、頭は俺の脚に食らいついていた。そこを発信源に熱が全身を駆け巡る。少し遅れて痛みがやってきた。 脳内が真っ白になった。 <あらァ、どうやらお荷物を持ってきたようねえ> 背後で、やつの、フィオナの声がした。最早銃弾は間に合わない。久しぶりに死を間近に感じた。 「エリィ!!」 最期に聞こえたのは、藤本神父の焦燥しきった声だった。 私の脳みそが死を察して走馬灯が流れようとした途端、何かが弾け飛んだ。びしゃり。鼻の頭に何かぬるりとしたものがかかった。気持ち悪いな。 <ギャァアアア> フィオナの断末魔が聞こえる。これは、断末魔なのか? そうだった。脚を蛇に咬まれているんだった。私は慌てて蛇の頭を引き剥がす。傷口を確認したが血はそこまで流れていなかった。すぐに治療をすれば、間に合う、はずだ。自信はない。 「おい、エリィ!大丈夫か!」 「あ、え、藤本、神父…」 「いい、座ってろ。蛇に咬まれたようだな」 あれ、そういえば、藤本神父は何故ここに?フィオナは、どうなったのだろう。 私がそんな顔をしているのに気づいたらしく、藤本神父は軽く笑って見せた。 「さっきの声を聞かなかったのか?立花フィオナならお前の後ろでくたばってるぞ」 「えっ、まさ、か、」 恐る恐る振り返ったら、 「ひっ」 瞳孔の開いた眼が目の前にあった。軽く下がって全体像を黙視する。それはやはりフィオナの頭部だった。切断面は私と真逆を向いている。助かった、グロテスクな部分はモザイクがかかってしまう。脳内の話だ。 「それ、じゃあ、霧隠上司の方を!」 「心配要らないぞ、もう終わっているからな」 刀を大げさに振りつつ霧隠上司もこちらにやって来た。彼女の背景を眺めても、確かにくたばった蛇の死体ばかりが目に飛び込んでくる。ほんとうに、終わったのか。 「もしかして、任務は終わったんですか」 「もしかしなくてもそうだ。よっしゃー、呑みに行くぞー」 「なんかぼんやりしているな、ほんとうに大丈夫なのか?」 「わ、私は大丈夫です。脚も痛くありません。それより、ほんとうに、」 「だーかーら、終わったっつってんだろ?アタシの言うことが信用できないのか」 「上司の仰ることは信用できます、よ」 「なんだその自信のない感じは」 冗談を言えるくらいには、頭が冷静になってきた。どうやらフィオナは倒され、彼女の使役する蛇も駆除され、任務は無事に終了したようだ。 こんなにもあっけなく終わるものなのか。 いや、あっけなく感じるのは間違えなく自分のせいだ。 両手を駆使して立ち上がり、ふたりに向き直る。ふたりは不思議そうに私を見ていた。 すう、と息を吸い込み、それから頭を深く下げる。 「霧隠上司、藤本神父、申し訳ありませんでした。今回の任務は私が引き起こしたものでありながら、役に立つことができませんでした。ほんとうに、申し訳ありませんでした」 心からの、謝罪だった。 すべて事実だ。私は今回の任務でお荷物でしかなかった。フィオナの、言うとおりだ。 この原因を女になったからだとか、そんな幼稚なもので片づけることなどできない。明らかに焦りから起こったミスが山ほどある。いつもよりも数倍冷静になっていなかった。 だから、私は自責を感じる必要がある。 「ほんッと、そのとおりだよ」 霧隠上司から突き放されるように、嘲られるように、そんな言葉が返ってきた。 「ったくよ、お前のせいで随分と面倒なことしたもんだぜ」 藤本神父から失望されたように、罵られるように、そんな言葉が返ってきた。 「は、…」 私の喉から驚愕したように、戸惑いを表すように、そんな声が漏れた。 「は、じゃねえよ。エリィ、解っているのか?全ての原因はお前なんだぞ」 「自分は不調を理由にしてか全然動けてないしな」 「いくらなんでもひどすぎだぜ。もうそんななら、祓魔師やめちまえよ。お前には向いてねえ」 「それがいいかもなあ。責任、取ったらいいじゃんか」 「ちょ、ちょっと、待って、ください」 「なんだよ、俺たち間違っていることでも言っているか?」 「エリィのこと思って言ってることなんだぞ。上司の言うことは信用できるんだろ」 「お荷物は実戦のときに道連れを引き起こすんだよ」 「お前のためだけじゃなくて、祓魔師全員のことを思って言ってんだ。お前みたいなお荷物は、要らない」 「っ、あ、そ、んな…、」 藤本神父に、霧隠上司に、そんなことを言われたら、私は、どうしたら、 「私は、どうした、ら、」 「エリィ目を覚ませ!!お前が見ているのは全部幻覚だ!!」 どこかから、声が聞こえた。その声は霧隠上司の声をしていた。でも、目の前の霧隠上司は何もしゃべっていない。相変わらず私を非難する眼差しを送っている。 「げん、かく…?」 「獅郎!!」 今度の霧隠上司の声は、悲痛な叫び声だった。びしゃり。鼻の頭に何かぬるりとしたものがかかった。 「え、……」 霧が晴れる。ふたりが消えてひとりになる。そのひとりとなった人は、大きな背中をしていた。 「藤本、神父、……?」 「エリィ、蛟は幻覚を見せるって言っただろうが」 藤本神父の右手には大型のライフルが握られていて、左手は、―――、見えない。彼の先では大きな眼が揺れている。あれ、この鼻の先の血は、この鉄の香りは、 「俺の腕は美味しいかよ、蛇女」 <アァ、> 「最後の晩餐が聖騎士様の左腕でよかったな」 銃声が響き渡った。 何発も、何発も、蛇の口内へと撃ち込まれていく。 ライフル銃の弾が切れたと同時に引き金は解放された。力なく蛇の頭部が地に落ちる。真っ赤な液体がそこいら一体にまき散らされる。足元までその血液が届き、靴底を濡らした。 「っ、あァいってえなくそ!」 藤本神父の声でようやく意識をはっきりとさせた。もしかしなくても、俺は幻覚を見せられていたのか?さっきのふたりは、フィオナのつくりだした幻覚だというのか? それじゃあ、目の前で白目をむいているフィオナは本物で、左腕をフィオナに咬まれた藤本神父も本物だっていうのか? 「獅郎!!」 俺が理解するよりも先に霧隠上司が飛び込んできた。彼女の姿も傷だらけだった。 「なんであんな無茶を、」 「あー?当たり前だろ、女を護らねえ男がどこにいるんだよ」 「こんなところで格好つけている場合か!」 「それにその女がおっぱいでかくて色っぽかったらなおさらなァ!」 「どスケベ親父!」 「俺よりエリィに構ってやってくれ」 「ああそうだった!おい、エリィ、大丈夫か?」 「まだ幻覚見ているとか言うんじゃねえぞ」 ぐるりと瞳を回す。藤本神父の左腕は動いておらず、先ほどからぶらりと垂れ下っているだけだった。霧隠上司もいくらか蛇に咬まれたのか、顔色が悪いし出血も多い。 この中でほぼ無傷に近いのは、俺だけ、だった。 「も、申し訳ありません、でした。ほんとうに、すみません。お、俺の、せいで、ふたりとも、そんな、俺、」 「お、おい、大丈夫かよ、エリィ……」 「落ち着け、こんな傷なんともねえって」 「だって、藤本神父の左腕、ちっとも動いて、それに、霧隠上司の顔色も悪いですし、俺が幻覚なんか見てたから、言われてたのに、」 「エリィ、」 「俺のせいで起こったのに、俺がいちばん役立たずで、お荷物で、」 俺は、何を、していたんだろう。この任務で失った面目を取り戻そうと、勝手に自責ばかりに焦って、名誉挽回するどころか余計に怪我をさせて、―――お荷物以外の何物でも、なかった。 「ほんとうに、申し訳ありません、でした」 がくりと項垂れた挙句、俺は意識を失った。 |