「そっくりというか、同一人物にしか見えませんが」

ずれたボクサーパンツを元に戻してズボンの紐を結んでいると、フェレス卿が観察的な眼差しでこちらを見ていた。フェレス卿の言葉に、藤本神父も俺を上から下まで見た。男女関係なく、こうして舐めるように見られるのは大変不愉快である。ふむ、と藤本神父が声を漏らした。

「でもトムよりも女っぽいし、胸もあるぜ?」
「アタシはほんとに女か確かめようとしただけだ」
「襲おうとしたんじゃないのか?」
「そんなわけないだろうが!」
「それで、どうなんです?」

フェレス卿は結論を急かした。三人の視線を一点に集めているため、居心地が悪い。しばらく返答を迷った挙句、ようやく口を開いた。

「俺は、確かにトム・ハンスです。目を覚ますと何故か女になっていまして、俺にもよく意味が分かっていません」
「今日の任務についてもこいつは知っていた。ほぼ100パーセント、こいつはトム・ハンスだ」

俺の言葉を補佐するように霧隠上司が台詞を続けてくださる。俺の不安を汲み取ったのか、霧隠上司は俺に「心配すんな」と笑った。男前である。

「ふむ、では、何故女性に」
「それが問題なんだよな」

真剣に悩んでくれるふたりの上司を無視して、ひとりのボンクラ聖騎士はにまにまと卑しい笑みを浮かべながら俺に迫ってきた。なんとなく嫌な予感はする。
藤本神父は俺の肩に腕を回し、耳元に口を寄せた。

「トム、下半身のあれ、ついてんのか」

直球勝負でなかったことだけ、褒めてやりたい気分である。

「……ついていません」
「確認したのか」
「していませんが、ある感じはしません」
「どれ、俺が確かめてやろうか」
「藤本神父、それはセクハラです」
「つっても、お前元男だろ?そんくらい何ともねえだろうが」
「現在は女です。それに藤本神父とは裸の付き合いではありません」
「じゃあ、今から裸の付き合いにしてやろう」
「やめてください。胸に手を伸ば、」


ぞっとした。藤本神父が揉ん、触った途端、悪寒が走った。霧隠上司に触られているときはちっとも不快でなく、むしろ悦に似た感情を抱いていたというのに。この感覚は、なんであろうか。
俺が顔面蒼白になっているのも気にせず、藤本神父はただひたに右手を動かし続けている。この男は、ほんとうに聖職者なのであろうか。

「でっけえなぁ」
「藤本神父!」
「なに赤面してんだァ?はははッ、心まで女になったか?」

魔神のごとくである。どうやら俺の顔色は青から赤に変わったらしく、確かに頬の辺りの温度が上昇していた。悪寒は徐々に快感に変わりつつあった。言わずとも、判る。このままでは俺は処女を消失する。まだ童貞も捨てていないというのに。

「やめてください、お願いします」
「いいなァ、これ。女になって良かったな」
「た、たすけて、くだ、さ、」

「やめろクソ神父!」

がつん。霧隠上司の拳が藤本神父の脳天に落とされた。藤本神父は痛そうに呻いて、俺から離れる。そのすきに急いで霧隠上司の後ろに回った。助かった。その一心である。

「ってェなー」
「こんな公共の場で卑猥なことすンなエロ親父!」
「じゃあ持って帰ってやるよ」
「藤本、今は勤務中です」
「元が男だって思うとなぁ、遠慮いらねェかなと思ったんだよ」
「トム、涙目だぞ」

霧隠上司の言葉に藤本神父は頭を撫でながらこちらを見た。本気で怯えているのを悟ったのか、「まずい」と判りやすく冷や汗を流す。ただの謝罪程度で、俺の心は癒されるはずがなかった。凌辱物は大好きなAVランキング第二位であったが、この一件でランキング圏外となった。いくらAV女優とはいえ、こんな恐ろしい思いをするものは見られない。ちなみに、第一位は学園物である。

「悪かったって」
「もう藤本神父には近付きません。俺にも近付かないでください。霧隠上司、助けていただいてありがとうございます」
「気にしなくていいよ。ったく、」

俺が女になったからか分からないが、霧隠上司は男だったときよりもずっと優しく笑った。頭を撫でてくれた。顔が熱を持つのが伝わってきたのでうつむいておく。

今の容姿ではレズかと言われかねないが、俺はまだ男としての脳みそを持っている。女になってすぐに切り替えられるはずがあるまい。それよりも、男から女になる人間のほうが珍しいのだ。こんなのはエスエフである。

「しかし、どうしましょうか。今日の任務はそれなりに重労働ですよ」
「女になったとはいえ、任務を遂行できないほど劣ってはいないつもりです」
「お前が思っている以上に女っつーのは動かしにくい身体してるぜ」
「そうなんですか」

霧隠上司に言われ己の身体を見る。手をニ、三度握ったり腕を振ったりしてみた。やはり、それほど変化がないように思われる。

「いくら女になってしまったとはいえ、任務を辞退することは許されません。ですので、貴女にはそのまま任務に参加していただきます」
「もとよりそのつもりです。しかと遂行させていただきます」
「では、上には私が話を通しておきましょう」

フェレス卿は指をパチンと弾いて正装に着替えた。感謝の言葉を告げながら深々と頭を下げた。名誉騎士とは非常に偉い職なのだ。こうして上層部に話を通せるくらいには。

「だが、なんて話を通すつもりなんだよ。上はそう簡単に信じるか?男から女になったんだぜ?」
「確かに藤本神父の言うとおりです。こんな話を信じるなんて我々くらいでしょう」
「おいトム、そりゃァどういう意味だ?」
「藤本神父は近付かないでください。それ以上近付くと発砲します」
「マジで銃を構えんな。冗談だ」
「俺は本気です」
「くだらない茶番は後にしなさい。そうですね、いとこというのはどうですか?」

いとこ。銃を構えて藤本神父に向けていると、フェレス卿がそんな提案をした。いとこか、なるほど、それはいいかもしれない。

「戸籍が無ェのにか?」
「そこは私がどうにかしておきましょう」
「さすがフェレス卿です。感服いたしました」
「これは“貸し”ですよ」

頬の肉が引きつったので右手で押さえる。そのまま了承したという意のことを告げた。今日は登場してからずっとマトモだったので油断していた。彼はそういう男であった。

「ああ、名前はどうしますか」
「名前、トムではだめですから…、」

何にしようか。

悩むよりも先に、口から単語が滑り落ちた。

「エリィ、エリィ・ハンスに、します」

三人とも目を見張って俺を見ていた。しかし、言った本人である俺が最も驚いていた。何も考えることなく、名前が飛び出した。「エリィ」と。しかし、何故だか俺の中ではその名前がぴったりだと言わんばかりに、脳髄へとそれを無意識に刻み込んでいた。

しばしの沈黙を破り、フェレス卿はくつりと笑った。

「では、そうしましょう。“エリィ”さん、早くコートに着替えて集合してくださいね」

軽やかに指を弾くと、俺の頭上から何かが落ちてくる。女性用の祓魔師コートであった。サイズも、何故だか今の俺の身体にぴったりなように見えた。

「フェレス卿、これは、」
「男物で行くつもりじゃないでしょう」
「彼シャツならぬ彼コートか」
「おっさんは黙ってろ」

「あ、ありがとうございます。この借りは、かならず」
「ええ、楽しみにしておきます。―――アインス・ツヴァイ・ドライ」

そう言ってフェレス卿はここを立ち去ってしまった。なんだか、逆に恐ろしさが込み上げる。フェレス卿がここまで甘いとは、何か裏がありそうな。

「おい、トム……じゃねェな、エリィ」
「は、はい」
「お前も慣れろよ?あと、一人称は、」
「私、で良いですかね」
「おう。じゃあエリィ、さっさと準備して正門前に来い。もう時間がねェ」

霧隠上司が口元に手を当てたので耳を寄せた。その表情は真剣で、早速任務の気分へと切り替えている。

「―――――、」
「……、了解しました」

なるほど、それで先ほど携帯を確認していたのか。俺は深く頷いた。

「よし、獅郎も行くぞ」
「俺はトム、おっと、エリィの着替えを手伝わねェと」
「藤本神父も今日任務があるそうで。そこで運悪くドジすることを祈っておきます」
「なんだよひでェな。仲良くしよう、ひでふッ!」
「この下衆はアタシがどうにかしとくから」
「ありがとうございます」

霧隠上司の手を最後に扉は固く閉じた。

早速着替えるべく女性用祓魔師コートを広げる。ぱさり。何かが落ちた。それを拾い上げる。





おそらく、いちばんの変態はフェレス卿である。





俺は引きつった苦笑いを浮かべながら、手の中の桃色ランジェリーを握り締めた。

案の定、サイズもぴったりであった。