思い切って霧隠上司に相談してみたものの確信的な成果は得られなかった。否、そう思いたくないだけだ。どうしてもそうはしたくないだけにすぎない。他人に回答を求めておきながらそれを否定するなど、ただの我侭だ。



私は、ハンスは、どうしようもなく傲慢にして臆病だ。





♂♀






午後からの任務だったためか、帰途に着くころには日はほとんど沈みかけていた。夕暮れの橙色もとうに消え失せ、深い藍が空を覆っている。


「そろそろ聖騎士補佐官も解任だな」


ぽつん、と藤本神父がこぼした。世間話の間に挟まれた重い話題だった。

「もう腕はよろしいのですか」

どこかに私的な感情が混じらないように細心の注意を払って、そう返答する。寂しい、残念だ、もっと。そんな乙女チックな感傷を浮き上がらせないように。私は少女漫画の主人公ではない。パンをくわえるなどという行儀の悪さを見知らぬ転校生に見せつけることもなければ、意中の相手に本心を伝えることもない。

「ああ、もっと早くに終わってもよかったくらいだ」

その腕には包帯すら巻かれていなかった。ガーゼすら当てられていなかった。傷はふさがっていて、四つの大きな痣が藤本神父の屈強そうな腕に沁みついている。その痣以外にも、藤本神父の腕には多数の傷跡が残っていた。

「っ、すみま、むグ」
「謝るんじゃねェ」
「…………、ありがとうございました」
「おまえは謝るか礼言うかしかできねェのか」
「私に言えることは、これしか……」
「違うだろ」

思わぬ否定に、耳を疑う。自分にはそれ以外の言葉を藤本神父に送る資格がない。あらゆる任務に支障を生みだし、それどころか私生活にまで影響が及ぶものだ。その要因がすべて私にあるのだから、謝罪のほかに何を言えばいいのだろう。


「俺に、何か言うべきことがあるんじゃないのか」


言うべき、こと?


何だろうか。勝手に借りたエロ本の話だろうか。しかしあれは用を済ませた後にきちんと元の菓子箱にいれてクローゼットの二段目の引き出しに並べた。それとも任務の依頼主を口説いていたことをフェレス卿に告げ口した話か?あれも確かに多少説教はあったものの、私の過去の恥ずかしいエピソードを公開されたから喧嘩両成敗で終焉を迎えたはずだ。幼女にアッパーをくらわされた挙句一発K.O.になった話など、二度と思い出したくもない。

……今日の下着の色か。

相も変わらず下着含め衣類の供給者はフェレス卿という恥ずかしい事実があるのだが、あの人は断っても送り続けてくるのだからお手上げである。謙虚な私には、紳士も闊歩するにもかかわらず威風堂々と破廉恥極まりない女性用下着を店先に並べるようなランジェリーショップは早すぎる。まずは3枚980円から。1000円札をそっと霧隠上司に差し出すと、嘲笑と共に小心者という称号をいただいた。失ったものは財布の中身と私の矜持くらいである。それで下着の購入を依頼できるのだから軽いものだ。


「ちなみに下着の色は水色です」
「ちげえよ!」


外れたらしい。


「ほかに藤本神父に言うべきことなど、ありませんが」
「そうじゃないだろ。お前、ずっと何かもやもやしてんじゃねえか。俺に何か言いたいことがあるんだろ」
「えええ、なんのことですかあ」


口先だけでは強がっても身体は正直なものだから恨めしい。視界がぐるぐる回ってどうしようもない。私はいま自然に笑えているのだろうか。きっとそんなことはないのだろう。藤本神父の表情が叱られ泣きそうになっているかわいそうな子どもを見るそれになりかけているのだから。


「何を言っても受け止めてやるから、ほら、言ってみろ」
「ほ、ほんと、に、なにも、」


微かに触れたコートのポケットの中で、くしゃりと紙片が鳴いた。


「っ、あ……」


それは先ほど霧隠上司が綴った、陳腐な愛の告白の音だった。私の、抱え続けていた気持ちの、音だった。


こんな紙きれ一枚で伝えられてしまうほど単純で、しかし喉の奥からは一向に出てこようとはしないほど複雑な、もろく熱い感情。俺が一度も叶えられなかった……本気にならなかったもの、私が全く知らなかったもの。


何もない。言いたいことなんて、言うべきことなんて何もない。そう言うつもりだった。私はこの想いを抱きしめたまま、伝えてしまわないままに生きていくつもりだった。女としても……男としても。


だけど、



「藤本、神父……、」



どうしても知りたいのだ。だって、このままでは、私は生きていけなくなってしまう。



「どうした?」



教えてほしい、このどうしようもない喉の熱さの意味を、震える声音の理由を、飛び出してしまいそうなほどに速い鼓動を治める方法を。





「私の、私の名前を、呼んでいただけませんか……?」





貴方の求める、私の名前を。