たとえばのはなし 六

明らかに焦りを見せ始めたふたりに、佐倉は益々愉快そうに目を細めた。その様子を横目で見、苦渋に満ちた表情を浮かべる。


「ッ、旦那、」
「此処は、引くしかあるまい…」
「あらァ、悲しいわァ。最後までやっておくんなまし。アチキ、頑張りまっせ」
「申し訳御座らん。某らは、御主と刃を交えるには些か準備が足りておらぬようで御座る」
「万全の状態でやりたいってェ?」


肯定の意を示す。それを確認した佐倉は無骨な身体に突き立てられた刀を引き抜いた。


「莫迦を言わんでくださいな」


ぴしり。周囲の空気が凍った。瞳に憎悪が、気配に殺気が滲む。


「言ったで御座んしょ。アタクシは戦人が嫌いで嫌いで、それが在るだけで首を吊って死にてェくらいに嫌いなんです。刀を交えることが好きなわけじゃあありませんのヨ。だから、万全じゃあない身軽な状態で殺せるんなら、そりゃァ楽で堪らねェことだわィ」


勘違いするなと、佐倉は不快そうに告げているように受け取られた。これでは、易々と逃してもらえそうにないと悟る。

術を失ったように思われたが、ふと、猿飛の耳元に矢羽音が届いた。これは、真田忍者隊の矢羽音だ。解読すれば、どうやら真田忍者隊がこの場に到着したようである。
しかし、この様子では最も狙われる確率が高いのは上司であり武人である真田だ。このような強さでは、とてもじゃないが殺すにも逃げるにも労力を多量に遣うであろう。
上司を守るためにも、また明日の戦のためにも、ここは逃げるのが最も賢いのやもしれない。


猿飛は凍りついた空気の中、そっと矢羽音を飛ばす。


「逃げるのですかィ」
「……逃げたいね」
「矢羽音、初めて聞きやしたが確かにちまこくって、認識するのはァ大変だ」
「矢羽音?そんなもの、飛ばしてないよ」
「真田忍者隊が着いたんでしょう。あちらこちらに忍らしい気配がしはります」
「誤魔化すのも無駄って?」
「よくお分かりで」


余程戦馴れをしているのか、戦人嫌いな女の聴覚は研ぎ澄まされているようだ。これは、確かに強い。


「まァ、仕方がありませんなァ。丁度良い頃合ですし、今回は見逃しましょ」


ぼんやりと空を見やりながら、佐倉は零した。地面に座りこみ、団子を広げ始める。


「はい、どうぞ。いつでも逃げてくんなっせ。ワタクシはこの間動きやしませんから」
「忝う御座る。この借りは、必ず」
「そうさね。次、会えるときにでも返してもらいましょ。―――命で」
「それは、お断りだね」


猿飛は苦笑いを漏らし、片手を上げて合図を送った。強い風が吹き、瞬きをした直後にはもう佐倉のみしかいやしなかった。


多量の血痕と、団子の串と、それから―――。


「行きますかィ」


闇色を身に纏った女は、刀を軽く拭いてから鞘に戻す。そうして次の獲物を目指して、歩みを進め始めた。


mokuji