たとえばのはなし 四

橙色の髪をなびかせた男が、黒い着物の女の刀を押さえていた。その手に握られているのは苦無。女はそれを見、その者が忍びであることを認識する。
一度間合いを取り、体勢を整えつつ串を吐き捨てた。


「旦那、あの女はこの日ノ本中を巡って戦場に出ては戦人を殺しているって噂だよ。闇色の着物に腰の刀、奇妙な喋り方…、間違いないね」
「…へェ!兄さん詳しいですわァ」
「甲斐に来たのも、そのためなんでしょ」
「えェ、まァ大体そうさね。近々甲斐で戦が行われるってェ聞いたもんだから、慌てて此処に来たまでに御座います。ねェ、真田幸村殿に猿飛佐助殿?」
「ッ」「名を、」


にたりと女は嗤い、団子を銜える。会話中もずっと食べていたがために周囲に多量の串が落ちている。
刀を構えなおし、女は刃に手を沿えた。


「アチシ、きちんと下調べしておいたんどす。勤勉でしょ?ヒひ。有名なァ武将殿はきちんと知っておかねば、ね」
「……御主、名は何と申される」
「あら、アラ、それを聞いてくだすったのは兄さんだけですわいな。あな嬉し。
 ―――わたくし、佐倉冬嗣と申します。以後、よしなに」
「佐倉、冬嗣…」


女、もとい佐倉冬嗣は心底嬉しそうに頬を染めている。片手をその火照った頬に当て、完全に無防備な状態だ。

今が、絶好の機会だ。夕焼け色の髪の男、猿飛は青年もとい真田を置いて、苦無を構えて駆け出した。一瞬で間合いを詰め、その胸へと苦無を向ける。
佐倉は相も変わらず嗤ったまま、その苦無を握る猿飛の手首を掴んだ。


「っ、はッ、つか、」
「兄さん細っこいわァ。力をこめたら、折れてしまいそ」
「い゛ッ」
「佐助!」


女の白く細い指が猿飛の手首を締め付けた。半月が嗤う爪が皮膚に突き刺さる。とても女の力とは思えぬほど強力な力で、手が震えて苦無を持つ手に力が入らなくなってしまった。

カランと渇いた音を立てて苦無は地面に落下した。


「邪魔ですし、折ってしまいましょ。ね」
「佐助から手を放してくだされッ!」


自分の得意とする武器である二槍は、今は持ち合わせていない。しかし、真田は躊躇うことなく腰の刀を抜いた。


「あらァ、明日の戦前に戦ってくれはりますの。嬉しいわィ」


それでさえも、佐倉は余裕の笑みである。視界の隅で猿飛が大型の手裏剣を構えたのが見え、掴んでいる手首をぐいと引いた。よろめき着いた先は、真田の刀の切っ先。


「だ、旦那!」「ぬッ、う、」


寸での処で刀を止め、猿飛も手裏剣を下ろす。その隙に、真田の臣下らは刀を掲げ佐倉へと駆け出していた。


「覚悟ォ!」
「あンらァ、元気な兄さんだこと」


佐倉は刀をその男に向けたまま、動かさない。そんな固定されたもの、容易く避けられると男は左手の方に少しばかり身体を逸らす。


「ばァか、そんな易い話なわけがないざんしょ」
「はッ、き、貴様…!」


そうして回避した手前には、猿飛が落とした苦無が――いつのまに拾ったのか――鈍色に光っている。もう今更、機転も利きやしない。膝を折ってなんとか逃げようとする。


「ワシが何の為に串を落としていたか、兄さんじゃ解らなかったようさねェ」


男だけに聴こえるよう、小声で囁いた。佐倉の足が少しだけ動く。足元の串が先だけ踏まれ、ピン、と軽快に跳ねる。回転しながら、男の目前へとその鋭利な棒の先端が―――。


「ぐァあああアアあぁあアアアアアああああ」
「ヒヒひひひっ、あはははははははッ」


男の悲鳴と女の笑い声が、天高く、貫いた。


mokuji