※死ネタ













「ねえ、死にたいって、思ったことある?」


おもむろに、彼女はそんな質問をした。その顔はいつものように疲弊していて、それがいつにもまして気味悪く見えた。
質問の意図を特に考えることなく(考え出すとキリがないからだ)俺は首を振る。彼女は苦笑を浮かべ「だよねえ」と呟く。


「わたしさあ、死にたいって思ったことがないひと、尊敬しているんだ」


だからあんたも尊敬しているよ。手元のプリントに「respect」と書き込む。目線をずらせば、「(1)尊敬する」と印刷されていた。
どうやらその質問はただの気まぐれのようだ。問題に出ていたからなんとなく尋ねただけなのだろう。一問前のつづりを指摘するとつまらなさそうに口を尖らせた。いつもの調子だ。


「宍戸は、いま、たのしい?」
「いまって、」
「この瞬間じゃなくて」
「ああ、楽しいよ」
「そっか、良かった」
「なんでお前がそんなこと心配するんだよ」
「宍戸には楽しくいてほしいの。友達って影響し合うんでしょ。だから、」
「自分みたいになってほしくないってか」
「うん。宍戸は死にたいなんて思っちゃだめだよ」
「お前は思っているのか」
「あはは、そうだよ」


「think」の「k」が枠を飛び越えた。その文字はひどく歪んでいる。それを消しゴムで消すことなく、彼女はシャープペンシルを放棄した。


「もうやめた。飽きちゃった」
「あと十問だろ」
「正確には十三問だよ」
「やれよ」
「うーん、だって、面倒」
「サボったお前が悪い。激ダサだな」
「どうせ激ダサよ。あー、疲れた」


そうして彼女は立ち上がり、窓の枠に座った。とても危険な行動だが、どうせ言ってもやめはしないだろう。ふらりふらりと身体を揺らす彼女を見る。


「なんで死にたいんだ?」
「生きるのって疲れるから」
「死んだほうがマシってか」
「お釈迦さまは生きること自体が苦痛なんだって言った。一切皆苦、すべて苦しみに満ちているんだってよ」


俺を見据えるのをやめて窓の外へ視線をやった。そこからはきっと中庭が見えるはずだ。何を見つけたのか、少しだけ微笑む。


「どうせ死んでも輪廻からは逃れられない、逃れるには苦行をしなさい。そうやって人々に説いたそうよ」
「どこから得たんだその知識」
「高等部の倫理の教科書。でも、死んだあとのことなんて分かりはしないんだから、苦行しても意味ないと思うんだよね」
「何が言いたいんだ?」
「くどくてごめん。つまりね、」


首を回してこちらを向いた。彼女はいつになく、笑みを浮かべていた。すべてを享受し諦念ばかりを悟ったような、そんな笑みを。
嫌な予感がした。背中を冷ややかな汗が伝う。だめだ。やめろ。
声は出なかった。喉が掠れるばかりだった。


「来世のことなんて分からないけれど、わたしはせめて来世は幸せでいてほしいって思う。だから長々と現世に留まっていちゃ、来世のわたしがいまの宍戸に逢えなくなるじゃない?」


せっかく、宍戸はいま幸せなんだから。
いまの宍戸じゃなきゃ、逢っても意味がないの。


「そういうこと。それじゃあ、またね」


彼女の名前を叫んだ。めったに呼ぶことのないその名を。
嬉しそうに手を振って、そうして身体をゆっくり後ろに倒した。長い黒髪は空へと手を伸ばし、四肢は力を抜いて重力に従う。片方の革靴が脱げる。


爪先が見えなくなった直後に、耳を塞ぎたくなるような鈍く醜い音が響き渡った。







彼女のさいごに解いていた十二問の単語にひとつだけ空欄があった。彼女が書けなかった単語は誰でも知っているような、誰もが愛する者に囁くような、そんな単語だった。







愛は語れない





(2012/07/01)