その男と会って、話して、食事をして、そして二度目の邂逅のとき。



「ワルプルギスの夜、って、ご存知かな」



ちょうど公開されていたアニメの題材になっていた伝説について話を持ち出した。何気ない世間話だ。彼もそれを観ていたから話が合うだろうと判断した。彼は「ワルプルギスの夜、ですか」と呟く。私はどこかで読んだ解説を思い起こして「えーっと、ワルプルギスという神様の祝日の前夜祭みたいなもので、魔女が大勢集まって大騒ぎをするんだって。何でもワルプルギスが、えー、何かの神様で……、何だっけな」とひとりごちた。しかし、肝心なところが思い出せない。すると、男は手元のパフェを不愉快そうに混ぜて「疫病と魔法に対する神ですよ」と教えてくれた。おや、



「知っていらっしゃったんだ」
「そのくらいの知識ならあります。しかし、どうしてその話を?」
「今日って四月の三十日だから、そういえばそうだなあって」



ふ、と外を見るとすでに日は暮れかかっている。五月一日の前の晩。ワルプルギスの祭日の前夜。魔女たちが騒ぎ出し、不穏な空気の漂う暮れ。想像すると楽しい。そんなものはないのだけれど。時間帯もちょうどその折ですね、と時計を傾けた男につられて、私も自分の腕時計を見つめた。そろそろ帰らなければならないだろうか、明日も仕事だ。男には申し訳ないけれど、少し挨拶をして席を立つことにした。



その背を、男が引き留める。



「送りますよ」



半分近く残されたパフェも無惨に、彼は伝票を私から引ったくった。手短に支払いを済ませ、さあどうぞと扉を開ける。呆然としたままそのエスコートに従った。ぐらり、視界が揺らぐ。何だろう、立ちくらみだろうか。こめかみを押さえた私にかけた心配する言葉が、何故だか狂気じみたものに聞こえた。


どうしてこんな懐疑的な心理になるんだ、もしかしていきなり夕暮れが夜更けになったから?夕日が月になったから?喫茶店が森林になったから?静かな通りが騒々しい獣道になったから?



「私は、いま何処にいるの?」



男の渇いた笑い声がする。その姿は滑稽な道化のようで、ああ、そういえば、あの解説はかの有名なゲーテの著作で読んだんだったなあ、ファウスト公の生涯に連れ添った悪魔を思い出した。彼もまた、ワルプルギスの夜へと導かれたのだ、その悪魔の手によって。



彼もまた、……そう、私もまた。



「どうして私をここへ連れて来たのか、その理由を訊ねてもいいかな」
「ええ、もちろん。貴女は向いていると言ったのです、私の直感が」
「何に?」
「魔女に」



悪魔的で魔女的で魔道的で魔界的で、魔とよく気が合うのだと、彼は説明した。まだ二度しか会っていないのに、それだけで彼は私が「魔女的」だと見なしたという。現に私はあまりに冷静だ。この異常な現象にも順応しようと目の前の人ならざるものを頼っている。驚いたのだけれど、魂消てはいない。



「ですから、ワルプルギスの夜へとお招きして、貴女を魔女にして差し上げようかと考えまして。いかがです、悪い話ではないでしょう」
「頼んでいないのだけれど」
「しかし、魔女になれば気兼ねなく私のもとへ下ることができますよ」



閉口。ばれていたのか、くやしい。こんな近日のうちに二度も巡り合って、同じ映画を観て、同じ店に立ち寄るなどありえない話だ。その偶然をすべて必然にしたうえで偶然かのように誤魔化したのだから、当然といえば当然だ。得意げに映画の半券を風に乗せる男を見上げ、深いため息を吐いて私の残りの幸せをすべて使い果たした。さて、



「お誘いお受けいたします。魔女にしてくださいませ、旦那さま」



折り目正しく、腰を折る。男は高らかに笑った。「旦那さま」という呼称を気に入った。私が彼の正体を理解したことを示唆するその呼び名に、彼は指を鳴らす。



「さあ!では、ワルプルギスの夜を堪能するといたしましょうか!人を辞職したからには、早々に人生を辞めねばなりませんからね」



お手を拝借、と私の薄い手を取る。その熱のこもった手のひらに、私も興奮の熱でお応えした。











それでは、みなさま、ご喝采。これより第二幕の幕開けです。悪魔と恋に落ちた愚かな娘が魔道に身を落とし、心までも落としてしまう悲劇の始まり、始まり。途中でお席をお立ちにならぬようご注意ください。この幕は、それはもう人生が終わってしまうほど、長い長い第二幕なのですから。



ワルプルギスはもう近い







ワルプルギスって、語感がおもしろいですよね。ワルプルギス〜。

(2015/10/23)