世界平和という夢想に取り憑かれた極悪非道人になら、殺されてもいいのかもしれない。自分の命が世界を平和へと導く礎となる。そのように考えれば、この死は意義あるもので、この生は意義ないものだったのだ。そんな風に自分の命の重さを知ることができる。だから、この死は必然だ。―――青子はそう思いながら面前の銃口を眺めていた。




シリアルキラーという現実に目を塞いだ聖人君子になら、理解されてもいいのかもしれない。自分の殺人が世界を平和へと導く礎となる。そのように考えれば、この殺人は意義あるもので、この倫理は意義ないものだったのだ。そんな風に自分の殺人の重さを知ることができる。だから、この殺人は必然だ。―――切嗣はそう思いながら面前の包丁を見つめていた。




青子は聖人君子、切嗣はシリアルキラーとして世間では知れ渡っている。彼女の不道徳は肯定され、彼の不道徳は否定されている。しかし、結局のところふたりの行為はどちらも人殺しという不道徳だった。……だが、だれもそれを知らない。自らの解釈と見解を誤ったものだと知らぬまま、好き勝手に讃美と侮蔑を繰り返していた。

さらに残念なことに青子は聖人君子ではないし、切嗣もまたシリアルキラーではない。しかしだれにその弁明ができようか。結局は怪訝な顔をされるばかりで、聞き入れることなどない。
それをいいことに青子は聖人君子という夢想を受け入れ、シリアルキラーという現実に蓋をした。利害の一致ゆえに起こった皮肉だ。
その一方で切嗣はシリアルキラーという現実を受け入れようとも、また拒絶しようともしなかった。ただそれを、その評価を、黙殺していた。そして世界平和という夢想を追いかけるほかしなかった。


ふたりはかぎりなく近く、かぎりなく遠い存在だった。


「はじめましてだというのにひどいのねえ、いきなり銃口を向けてくるなんて。」
「君こそ、その包丁を下ろしたらどうだい。」
「お断りだよ。」
「だったら僕だってお断りだ。」
「ふ、ふふ、まさかこうして逢えるとはねえ。まったくの対なるふたつが、たったいま出逢った。偶然と偶然が重なって、必然となった。ほんとうにうれしいねえ、わたしは。」
「僕もうれしいよ。やっと君という詐欺師を殺せる。」


白と黒のように対極であるふたりは、同じ笑みを口元に見せていた。その瞳に孕む殺意も、まったく同じものである。切嗣はわずかな指先の震えを視認した。ああ、脅えている、この僕が。彼の笑みが自嘲のものへと変わったとき、青子の笑みもまた変化した。―――狂気そのものへ。ようやく、ようやく、あの大量殺人鬼と対面することができた。その偶然――またを必然というそれに、彼女は狂喜で身体を痺れさせる。


「わたしはねえ、衛宮切嗣、わたしはねえ、人を殺すことがたのしいんだ。特にいままでたくさん人を殺してきた殺人鬼を殺すことがたのしいんだ。殺人に囚われた鬼が人によって殺される。まるでいままでの行いの報いであるかのように感じるんだよ。その表情が、その台詞が、大好物なんだ。」


それこそまさに、青子が聖人君子と囁かれる所以だった。彼女が殺人の対象とするのは、きまって凶悪殺人を実行した犯人だけである。それもそのはず、彼女は人殺しを殺すことがたのしいのだから。逃走を続ける殺人鬼が無惨な死を遂げ、その表情を贖罪と恐怖で歪ませて手錠をかけられる。まさに遺族が望んだ通りの結末になる。ゆえに、それはおもしろおかしくメディアには取り上げられるのだ、―――犯罪者を駆逐するこの者は、まさしく聖人君子である、と。


「悪趣味だな。そんな君が世間で讃美されているなんて、ひどい話だ。」
「そうだよねえ、世間の人々は実にひどい、非道い。だってシリアルキラーと謳われるきみこそまさしく、世界平和を企む聖人君子なのだからねえ。」


包丁を切嗣の首筋にぐっと近付け、ほくそ笑む青子。
切嗣の誤解は、致し方のないものだった。彼はだれよりもやさしく、だれよりもまっすぐに、だれよりも非道に……世界の永久の安息を望んでいる。その執着とも呼べる願望は、自身の手を血で染め上げることで成されると信じ込ませてしまった。ゆえに、彼はこの世の平穏に仇為す存在を、容赦なく淘汰し始めた。それにより起こる犠牲に苦しみながらも、迷うことだけはしなかった。一方を救えば、一方は救えない。両方求めるのは欲張りで不可能だ。それが現実の世界平和なのだと、切嗣は疑わなかった。―――それしか、ないのだと。


「わたしはねえ、衛宮切嗣になら殺されてもいいと思っていたよ。」
「へえ、それは光栄だ。僕は君が本当に『聖人君子』だったのなら生かしてもいいと思っていたよ。」
「しかし行いは聖人君子そのものだ。」
「僕は自分の愉悦のために人を殺すような人間とは相容れないんだ。」
「だろうねえ。」


さて、どうしようか。ふたりの意見が一致した。このまま殺し合いをするのかどうか、そういった問いだ。


切嗣は青子を殺すことで起こり得る利害を考える。彼女を野放しにしておくことで、世に蔓延る殺人鬼を絶滅へ誘うことができる。しかし、彼女は人々が恐るべきシリアルキラーだ。快楽殺人鬼は世界平和から対極に位置する存在だ。たとえ利点があろうともこうして垣間見た以上この機会を逃してはならない。殺す、べきだ。


青子もまた切嗣に殺されることで起こり得る利害を考えていた。彼から殺されることで、こんな自分の命でも世界平和への引き金の一部になれる。しかし、彼は人々が恐れている聖人君子だ。大量殺人鬼は最も殺したいと思っている存在だ。たとえ世界のためになろうともこうして垣間見た以上この機会を逃してはならない。殺す、べきだ。






―――殺す、目の前の殺人鬼を。





そうして、トリガーは引かれ、包丁は突き立てられた。







せせらぎと赤







乾いた音を立てて、包丁はコンクリートの上に落ちた。








躊躇いのあった者が、その骸を晒すこととなる。

(2014/11/21)