※「美味なる探究」のつづき
※グロテスク・カニバリズム表現有








それは佐藤さんから救出されてすぐのことだった。佐藤さんはいつものように胡散臭い……薄っぺらな笑みを浮かべて、「紹介したい子がいるんだ」と言った。まるで見合い先でも告げるような台詞に思わず飲んでいた水を噴き出してしまう。動揺する俺を他所に、佐藤さんは携帯電話で手短にその相手を呼び出した。俺に紹介する佐藤さんの知り合いということは、亜人か、あるいはその活動に協力する人間だろう。「子」という口振りからして女か?否、子どもかもしれない……。


「佐藤さん、この方かい?」


勝手な推測を進めていて、扉の開く音に少しも気づかなかった。忍び足で俺に近寄ってきたのは、俺の半分ほどの身長の、女、だった。あどけない表情はどこか少女らしさを感じさせるが、薄く笑う口元は女性らしい色気を帯びている。年齢がまったく見当がつかない。俺はただ無言でその女を見下ろしていた。


「田中くん、彼女が青子くんだよ」


お互い相手を観察するように眺めていると、見かねた佐藤さんが女の名を紹介した。青子、というのか。青子と紹介された女は、目を細めて手を差し出す。俺の指先がその手に触れたと同時に、ぐいと手が引き寄せられた。そのまま上下に激しく振られる。情けないことに呆気にとられて振りほどけなかった。


「初めまして、君も亜人なんだってね、つまり私も亜人だということだ。亜人だと気づいたのも彼、佐藤さんが私を殺してくれたおかげなんだよ。聞こえは良くないけれども、まあ、そのおかげで私は不死だと気づくことができたのだから僥倖さ!ううん、それにしても君、ええっと、田中さんと云うんだね、田中さんは細身だなあ。佐藤さんも中々に細身だし、なに、亜人はストレスでも溜まっているのかい?他の人間から敬遠されることを気にしているのかな?なあに、気にすることはないよ、他人と違うことは誇るべきことだからね、共に胸を張って生きていこうよ。しかし食べないことは良くない、断食など以ての外!しっかりと食事を摂り、そして摂りすぎることが大事だ。是非是非に脂質を摂取し、カロリーを摂取し、太りたまえ!肥えたまえ!ねえ、さすれば君たちほど完璧な食材はないのだから」


もはや息継ぎをする余地さえ残されていなかった。なにを言っているのか理解ができない。が、こいつの頭が「普通」でないことは、明瞭なことだった。嬉々として語った後、俺の手をもう用の済んだゴミのように振り払う。戸惑いを伝える当てを捜し、佐藤さんへと辿り着いた。


「な、なんすか、こいつ」
「ごめんね、彼女はお喋りすぎるところがあって、ほんとうに喧しくてかなわないんだ。一応亜人だし、行く先々で力にはなってくれそうだから連れて来たものの、ずっとこの調子で困る」
「大丈夫なのか……」


あの佐藤さんに困ると言わせるほどのやつとは思えない、……と思ったが実にその可能性が高いように感じた。このものの数分で、だ。佐藤さんのことばにも特に気にする様子は見せず、相変わらず俺をニヤニヤと見つめている。その表情に身を引きながら、女のことばを脳内で反芻した。
ん、あれ、食材って……?


俺の顔が分かり易かったのだろう。佐藤さんが「ああ、」と呟いた。


「彼女はカニバリズムという厄介な病気にかかっているんだ」
「病気じゃない!趣味だ!趣向だ!愛好だ!」
「カニバリズム、って、」
「食人だよ」


食人、?








「人間を食べるんだ」








人間を、食べる。人間の肉を、食べる。と、いうことだ。たしかにあいつは「さすれば君たちほど完璧な食材はないのだから」と言った。「君たちほど完璧な食材」、つまり亜人ほど完璧な食材はない、……それもそのはずだ。亜人は死ぬことがない。彼女の望むがままにいつまででも、どこまででも、肉を与えることができる。それが公に明らかになったとしても、殺人にはならないわけだ。だって彼女は「殺してはいないのだから」。しかし、人を食べるなど、倫理的に問題しかないだろう。そもそも俺たちは倫理を述べられる立場にはないのだが、それにしたって人間を食べるなど……、ああ、もしや彼女は人間という存在を逸脱してしまったことからそのような「狂気」に触れてしまったのだろうか。それならば、致し方のないことなのかもしれない。


「それって、亜人の特性かなんかなのか?」
「私は己が亜人だと知る以前より人間を食べていたよ。ああ、いいんだ!もとより他人に理解してもらおうなどとは思っていない。奇人とも狂人とも、はたまた鬼人とも言われ慣れている。しかし、私のこの行為は誰にも止められやしない。咎められやしない。私のような殺人鬼を指弾して、何故他の殺人鬼には閉口するのか理由が明解ではないだろう?私の行為は殺人と何ら変わりない。殺人の後にひとつ蛇足をしているだけじゃあないか。むしろその殺人に純然たる意義と名誉を与えているんだ!他の殺人鬼は私怨や無縁や競演で殺人を働く。そのほうが実に愚かにして莫迦だと思わないかい?それに殺されたほうもそんなことで人生に幕を下ろしてしまったのか、と思って恨み辛みが募るだろう。しかし私は違う。彼らを殺したのは私の腹という墓に埋まるための過程に過ぎない。私は君らを骨の髄まで愛し、慈しみ、哀しみ、憤り、そして食すのだ」


俺が自分の見解の違いに落胆するよりも先に彼女の論舌は始まった。彼女なりの詭弁は用意されていたようだ。一訊けば十を答えるこの機転には頭が上がらない。


「ああ!この崇高にして酔狂な趣味が、趣向が、愛好が、理解されないことをどんなに嘆いたものか!」


とても嘆いているようには見えない。


「何はともあれ、私は亜人だ。人間を食べる亜人だ。君たちと、つまり佐藤さんと行動する理由は、他の亜人とコミュニティを形成するためだというほかにはない。ゆえに単純明快だろう。私はそこに付属する堕落も倫落も凋落もすべて許容しよう。私は寛大にして自由なのさ。また私にとって人間はブレイクファストであり、ランチであり、ディナーであるからね、彼らに対してできる行いのレパートリーは他人よりもずっと多いよ」


そして、彼女は一呼吸置いた。


二度目の、手が差し伸べられる。


「私の紹介は以上だ。改めてよろしく、田中さん」


これほどまでに抵抗したい握手は生来初めてのことだ。何故二度も手を交わさなければならないのか、という質問は許されないようだ。俺はなんとか表情筋を駆使して不器用な笑顔をつくった。


「よ、よろしくな」


ザッツオール!少女はイギリス訛りの英語でそう叫んだ。





まばたきひとつ。





目の前では俺の腕が舞い、俺の血液が散り、腹部では肉切り包丁が深々と刺さっている。

少女は笑っていた。白い歯を見せて、楽しげに笑っていた。

ズ、と包丁が縦に動く気配を察した直後に、俺の視界はブラックアウトする。

「青子くん、いきなり殺すのはいくら亜人でも嫌われるよ。ちゃんと許可を取らないと」

真っ暗な中で、佐藤さんの声が聴こえてきた。

それに答えて、あの女の笑い声が響く。

「格好の珍味が調理台でぺちゃくちゃ喋っていたら鬱陶しいじゃないか」
「ぺちゃくちゃ喋っていたのは君だろ」







あー、俺、亜人でよかった。




美味なる困窮






はたして罪の意識とは。

(2014/08/13)