佐藤さんはいつもふらっと現れてはふらっと消える。そういうひとだ。たまに血をつけたシャツを抱えていたりきっちりとスーツを着こなしていたりする。どんなに土砂降りでも格好だけはきれいにして現れる。そういう、ひとだ。


「うん、知っているよ」


目の色を窺わせない糸のような眼で佐藤さんは頷いた。どうやらわたしの話を聞いてはいたみたいだ。返答がずっと遅いからゲームに熱中して聞いていないのかと思っていた。


「彼、まだ学生なんですね。かわいそうに」
「早いうちに世間の恐ろしさを知っておいたほうが、後々よいことがあるものだ」
「それは実体験ですか?」


イエスともノーとも受け取ることのできる笑みが返ってきた。珈琲を飲みながらテレビを見つめる。ひとりの少年の顔写真が限界まで引き伸ばされ、お茶の間へと届けられていた。テロップにはいつ見ても「永井圭」と「亜人」のことばが流れている。チャンネルを変えてみる。左上から順序正しくリモコンのボタンを押しても、ニュースキャスターは同じことしか言っていなかった。つまらない。諦めて映画を中心に放送している有料チャンネルへと変えた。


佐藤さんが私を呼んだので、首をゆっくりと動かす。


目の前に銃口があった。それは蛍光灯に照らされて鈍く光っており、そして空虚だった。


「まあ、なんとなく、いつかこういう日が来ると思っていました」


テレビではメロドラマが放送されていた。しあわせそうな男女がキスをして、終幕を告げるように暗転していく。真暗になった画面にエンドロールが流れ始めた。BGMとして甘い声をした男が愛を語っている。その旋律はどこか聴いたことがあって、サビに差し掛かったところで2年前に全国ロードショーとなった有名な映画だと思い出した。


「用事が出来たんだ」
「佐藤さんが活発に行動しなければならないような?」
「そうだな。少なくとも、きみにこうして銃を向けなければいけないくらいに」


佐藤さんの笑みが深まった。時計に目をやった彼を見て、もう時間がないのだと悟る。「残念です」と素直に今の感想を述べると、「抵抗しないのかい」なんて期待するかのような返事をされた。わたしにそんな気概があるなんてちっとも思っていないくせに。わたしは目を伏せる。


「あした、佐藤さんが好きだと言っていた珈琲の豆が届くんです。お金は払っているので受け取っていただけますか」
「へえ、それじゃあ僕は死体と一夜過ごさなければいけないな」
「厭ですか?」


また、そうやって曖昧にする。


エンドロールが終わってCMの流れ始めたテレビの電源を消した。服のシワを伸ばし、椅子に深く腰掛ける。さながら、電気椅子のように。


「痛いのは、やめてくださいね」
「もちろん。痛みなんて感じる暇はない」
「それは実体験ですか?」


今度は肯定してくれた。わたしは安心してまぶたを下ろす。少しだけ怖い。それでも不思議と落ち着いていられる。走馬灯は流れなくてがっかりしているが。


「さようなら」
「ああ、さようなら」


短い別れのことばの後、銃声と鳥の羽ばたきが耳の奥で響き渡った。


























「ばか」


空になったダンボール箱と胡乱に開けた証拠となるぐしゃぐしゃになったガムテープと、一杯の冷えた珈琲と。


向かいの席の飲み終わって何も入っていないカップに、わたしはどうしようもなく涙がこぼれた。




白んだ翌朝






「亜人」がわたしのツボにどーんと来たのです。佐藤さんがわたしのストライクゾーンにずーんと来たのです。それがいけないのです。

(2014/05/18)