「どうしてほんとう、こんなことになっちゃったかね」
「さて、そのような質問は実に不毛でしょう」


そうだね、と軽く返して箸を持ちなおす。ずるり。裏道沿いにあるさびれた店でラーメンをすする。この店でいちばん美味いとされる味噌ラーメンを。


「先生、過ぎたことに執着するのは女の役目です。男の先生はそのようなことをしなくてよいのです」
「男だから、執着するんだよ」
「なるほど、ではこの場合、わたしは『責任をとってくださいね』と甘えた声で鳴くべきなのでしょうか」
「必要ないよ。きみの鳴く声は昨晩聞き過ぎた」


その冗談を気に入ったのか、青子はわずかに噴き出した。口元に手を当てくすくすと笑う姿も、ひとつの画のように見えるほど美しい。


青子は美しい女性であった。女性というには可憐すぎて、少女というには美麗すぎていた。長く伸びた黒髪は彼女の白い肌を際立たせる。セーラー服の純白さも、彼女の肌の前では廃れて見えた。


まっすぐに伸びた髪を一束すくい上げ、手を放す。はらはらと滑り落ちていく黒を見ていると昨晩のことを思い出した。


青子の陶器のように透き通った柔肌、夜の暗がりのように深い黒髪、林檎のように色づいた赤い頬。


すべてが美しく、すべてに魅了され、すべてを欲した。


「先生、麺がのびてしまいます。なにを見つめているのですか」
「きみを見ているんだよ、青子くん」
「さきほどまで後悔ばかりを口にしていたお方が、もう機嫌を直しました」
「青子くんは機嫌が悪いようだ」
「だって、先生があまりに悔んでいらっしゃるようですから」


ふ、と目を伏せ、長い睫毛を震わせる。


「わたしがお嫌いなのかと」


首を振るのにそう時間はかからなかった。


「まさか、どうして僕がきみを嫌うんだい」
「では、なぜそれほどに悔いるのですか」
「事を急ぎ過ぎたと言っているんだよ。物事には手順があるだろう」
「”先生”のおっしゃることですから、そうなのでしょう」
「またそんなことを言う」


すっかりのびきってしまった麺を喉の奥へと押しこむ。金を置いて、すでに食べ終わっていた彼女の手を引いて外へと出た。外はすっかり宵の淵に立っていた。


「美木杉先生、」


青子は思い出したかのように自分のなまえを呼んだ。腕をまくってばかりいるせいでくしゃくしゃに歪んでしまった袖を遠慮がちに引く。


「わたしがお嫌いではないのでしたら、これからどうしたらよいのですか」


どうやら彼女が「先生」と呼び続けていたのは、教師として手引きをしてほしかったためらしい。ならば、その期待に応えなければならない。
僕は彼女を手放すつもりは毛頭ないし、彼女も僕に手放されるつもりはないはずだ。僕は彼女のすべてを求めたのだから。


サングラスを外そうとしていた手を止め、その手を青子の頬に添える。


「もうすこし、僕の生徒でいてくれるかな。卒業したあとはきみの好きにしたらいい」


愛おしいその頬に手を滑らせ、どこにも止めることなく空へと落とす。僕の手の軌跡を、彼女もまた愛おしげに撫でた。そして、目を細め、やんわりと微笑む。


「……はい、わかりました……先生」


それに、彼女の「先生」と呼ぶくちびるは、嫌いじゃない。









嗚呼、愛おしきアフロディーテよ






(2014/03/18)