※捏造








彼女は顔の半分を失っている。訂正しよう。彼女の顔の半分は見えない。


なぜならば、彼女が常にマスクをしているためであった。それは決して風邪ではなく、花粉症ではなく、ましてや大怪我を負っているわけでもなく、ただマスクを顔の一部として扱っているのだ。


マスクがずれようものなら慌てて上げ、取られようものなら慌ててその者を殴り倒した。彼女のマスクを狙う者は、全員が病院送りとなっていた。








ある日、仁王雅治は彼女とふたりきりになる機会が出来た。日直の仕事が彼女とだったのである。立海では残って勉強をする者は設けられた自習室に行かねばならない。防犯を考慮したうえである。そのため、施錠は日直が行わなければならない。


仁王はあえて日誌を書かず、放課後彼女とふたりきりになるよう仕向けた。生徒が次々と下校するなか、彼女は仁王のところへと来た。


「仁王くん、日誌は書いた?」


既に帰る準備を済ませている彼女に申し訳ないが、仁王は真っ白な日誌を彼女の鼻先に突き付けた。特に隠すことなく、彼女は眉間にしわを寄せた。


「すまんのう、忘れとったわ」
「…ふたりで先生のところに行かなきゃいけないんだから、早くして」
「分かっとる分かっとる。すぐに書き上げるきに」


そう言って彼女に自分の前の席の椅子を勧めた。躊躇いなく彼女はそこに座る。クラスメイトは誰ひとりとしていない。絶好のチャンスだ。


仁王は本日の時間割を確認しながら、彼女を見た。彼女はぼんやりと頬杖をついている。


「なあ、お前さんがマスクしとる理由は何じゃ」


世間話をするようにそう尋ねた。ただひとり居残っているクラスメイトの女子は、彼の顔を不快そうに見やる。


「そんなこと、仁王くんには関係ない」
「頑なに隠されると気になるもんじゃ」
「知りたきゃ取ってみれば」
「怪我はしとうないからな」
「じゃあ諦めて」


マスクは彼女が喋る度に少しだけ動いた。それでも彼女の鼻から下を隠したままだ。


「教えてくれんと、日誌を書かんぜよ」
「結構、私が書くから」
「嘘じゃ」
「仁王くんがこんなに面倒なひとだとは」
「直球勝負は苦手ナリ」
「女の子はみんな同じじゃないのよ」
「そんなことは思っとらん」
「そこ、漢字が間違っている。ヤマザキのザキ」
「そうじゃったな」


ぶっきらぼうに消しゴムを渡される。しきりに時計を気にする彼女。そんなに早く帰りたいのかと仁王は少しだけ不機嫌になる。


彼はもう少し一緒にいたいと思っていた。自分らしくないと思いながらも。


「この仁王雅治と一緒におるんぜよ、もう少し嬉しくしたらどうじゃ」
「私ナルシストって苦手なのよ」
「ナルシストじゃないぜよ」
「今の発言がナルシストじゃない。あと、私は仁王くんより柳生くん派」
「今のが一番傷付くのう…」
「冗談よ」
「仁王くん派ってことか」
「残念、本当は真田くん派」
「真田に負けるとは」
「渋い男って好きなのよ」
「そのような甘ったれた考えを持つなど、たるんどる!」
「わあ、そっくり。仁王くんってそんな特技があるんだ」


初めて彼女の目が細められた。まさか真田の真似で喜ぶとは。自分が意外にも繊細だったことにようやく気付く。
すでに泣きそうになりながら、シャープペンシルの芯を磨り減らしていった。自分の心もこの芯の如く磨り減っている。


「お礼に私がマスクをしている理由を教えてあげようか」


その提案に、仁王は素で驚いた。今日の総括の最後の文を書き終えた直後のことだった。ペンケースに戻そうとしていたシャープペンシルが落下する。


「仁王くん、いつも余裕があるけどちゃんと驚くんだ」
「ほ、ほんまか…」
「そんなに驚かなくても」


くすくすと笑いながら彼女は日誌を取り上げた。鞄を肩にかけ、そのまま教室のドアへと歩いていく。








「私、実は口裂け女なの」







べっこう飴がだあいすき。


狐のように細められた目が、彼を射抜いた。


ああ、騙された。


気付いて廊下に出たときには、彼女の背中は小さくなっていた。慌てて荷物を掴み、教室の鍵を閉める。


「ま、待ちんしゃい!」
「仁王くん、ポーカーフェイスが崩れているよ」


いつもの冷静さを失い、彼は必死に彼女の背中を追いかける。


どうにも、乱される。


自分の心をこんなにもかき乱す要因は、きっとそのマスクの下に隠れているはずだ。









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(2013/04/19)