先生は事をなす前に必ず珈琲を入れる。自分で挽いた豆をコーヒーメーカーの中にいれて、一人分の水をいれて、それからスイッチを押す。そうして出来上がった珈琲を冷めないうちにお気に入りのマグの中に注いでおく。そのままマグをコーヒーメーカーのわきに置いて、シングルベッドにからだを載せる。
その手間を終えたうえで、私たちはからだを寄せ合っていた。
いつものように珈琲をいれてからの事を済ませ、呼吸が整わないうちに先生は腰を上げた。そのころにはズボンを履き終え、ベルトをカチャカチャと言わせていた。
お気に入りの青色マグの中には珈琲が八分目まで注がれてあり、すでに湯気など止んでしまっている。それもそうだ。事のはじめに熱々で注いだものは、終わりのころにはすっかり冷めてしまう。
そんなぬるい珈琲を先生は口にふくんで、コクンと飲み込んだ。満足げな表情で息を吐く。一度マグを置いて、首を回した。
「先生、ぬるい珈琲はおいしい?」
私にはとうてい理解ができない。熱くも冷たくもない珈琲なんて、濃さも中途半端でちっともおいしくない。でも、先生は決まってぬるい珈琲を飲む。面倒なら済ませたあとにいれればいいのに。
「終わったあとの珈琲はおいしいですよ」
「でも、それ、ぬるいじゃない」
「ぬるいくらいがちょうどいいんです」
もう一口飲んで、先生はワイシャツを手に取った。着替えてしまうつもりだ。珈琲は、まだ三分の一ほど残っている。
私は先生にこれを飲んでよいか尋ねた。すると意外そうな表情をして了承してくれた。私がこんなことを訊くのは、今回が初めてだからだ。
コーヒーメーカーの周りを見渡しても、砂糖やミルクなどといった気の利いたものはない。先生はいつもブラックで飲んでいた。ぬるい珈琲をブラックで、ますます理解できない。
しかたなしに手を加えないで一口飲んでみた。するりと喉を通る黒い液体は、微妙な温度を保っていた。
「まずい」
その一言に尽きる。私はこれ以上飲むのを諦めて、お口直しの水を求めに冷蔵庫へ向かおうとした。しかし、いつのまにか脇腹をホールドしていた先生によって、それは叶わなかった。
「こどもには、まだ早いんでしょうね」
揶揄するような台詞。それから、一瞬だけの触れるだけのキスが、くちびるに落とされた。
「先生と同い年なんだけど」
「そうだったかな」
「大人ぶっちゃって。ヤな先生ね、奥村雪男先生は」
口を尖らせながら呟くと、先生はくつりと一笑する。渇いた笑いを潤すように、習慣の珈琲を飲み干した。
コーヒーメーカー
(2013/04/01)