01 愛すべき死


男は真っ当に聞こえることを言う。実に正しくて、実に胡散臭い。彼の意図は分かりやすい。しかし、私の見てくれでその意図に気付かないと判断されている。あるいは好奇心か、それが窺える。ここでその厚意を断ったところで無理矢理にでも意図に沿わせようとするだろう。ここは、従順にしておくとするか。いざとなれば逃走の用意がある。私は男に家出の手伝いを依頼した。男は嬉しそうに私の手を取って歩き始めた。さて、彼は何であろうか。感じ取ることのできる気配が時差による惑いでなければ、夜の深き者であることは間違いない。次第に減っていく街灯を見上げ、闇が濃くなっていくことを確認した。男は目的地に到着するまで無言だった。


「この廃倉庫なら、ちょっと居心地は悪いけど隠れるには十分じゃねぇ?」
「そうですね、暗いのが難点ですが、それにこの臭い……」

パッと灯りが点き、淡い光を隅へと伸ばす。灯りは赤みがかっていた。その電灯は、少女の腹の中でその命を燃やしていた。

「これは……」

男は私の自問に意気揚々と解答を寄越す。少女の腹を裂いて中身をすべて取り出し、空になった袋に裸電球を入れたそうだ。そして皮を繋いで封をすれば、異色のランプシェードの完成だ。喉の奥も丁寧に肉を切除し、口内からも灯りが漏れるような仕様になっている。難点は電灯は灯すためのコードが脇腹から伸びてしまうことだ。これが可愛くない、と男は不満げである。皮膚に付着している贅肉や筋肉を限界まで削ぎ落として皮膚本来の薄さがこの灯りを提供しているのか。私は一歩近付いてまじまじとその作品を眺めた。

「へぇ、大体のこどもは怯えて一歩下がるのに、きみは一歩寄るんだな」

その手の刃物を見て、なるほど、下がればあれで口封じをされていたのだろうと理解する。男が他の作品を紹介しようと吊り下げられた少女の身体に手を触れると、ぶつんと支えになっていた首元の縄が千切れた。人間ではなくなり死骸となったそれは、ぐしゃりと紙切れのように小さくまとめられた。手足は折りたたまれ、臓器をなくした上半身は背骨だけが皮膚を突き破って天井を向いている。伸びきった首は項垂れ、落ちた後も作品のように見応えがあった。せっかく電気が通っていたのに、と共に切断されてしまったコードを惜しむ男を横目に、他の作品に目を向ける。もちろん灯りは男が別に用意した。

額縁の中にびっしりと埋め込まれた幼児の手足やひとりの肉体でつくられたウロボロス、 達磨にされ水に浮かされた稚児、幼女の身で年の変わらぬ幼児を孕まされた子の見える懐妊の図、など、倫理の冒涜に他ならない作品ばかりだった。人の身でこんなものを為せるはずがない、彼は悪鬼羅刹か、はたまた極悪非道か。どちらにも見えぬ、ただの青年としか見えなかった、それでもこの気配はずっと濃くなっている。

「俺のアートは気に入ってくれた?」

首を振り、ただ「おぞましい」と感想を述べた。心からの感想ではないけれど、並みの精神であればこのように思うのが妥当だろう。男の機嫌を損ねただろうと予想していたが、彼は平然と「そっか、でもきみも今からああなるんだぜ」とナイフを振ってみせた。抵抗するか、逃走するか、……しかしこのような類の人間は脅えてもらったほうが逃げやすいかもしれない。踵を返す様を見せつけると、男はすぐに私を転ばせた。うつ伏せに倒れこんでもなお身をよじる。肩を掴まれ、表を向かされた。男の眼には明確な狂気が宿っている。この状況が愉しいのか、幼子を虐殺することが彼を喜ばせるのか、あの絶望に満ちた両眼が愛しいのか、瑞々しい血潮が溢れ出す四肢を望むのか。腹にあてがわれた刃先が、いやに冷たかった。

「きみはどういうのがいいかなぁ」

ぷつん、と皮膚の裂ける感触が脳髄にわずかに響く。さて、彼はどういう反応を見せるのだろうか。様々な返答を見てきたけれど、この際難なく逃れることができれば何でもいい、いつもそうしてきた、そうして生きてきた、そうして死んできた。腸が無理矢理引きずり出され、途中で一部が千切れ潰れた。そういえば食事を忘れていたため、胃腸の中はすっかり空になっていた。男もそれに気が付いたらしく、家出少女である虚言と照合できたようである。「きれーだけど、違うんだよなあ」という呟きが内臓の引っ掻き回される音に混じって聞こえてくる。人の腹を裂いておいてその言い草とは、非情な男だ。

「あ、そうだ、心を正しい場所に置くってのはどう?なかなかクールじゃん」

肋骨をまとめて手折り、心臓を不遠慮に摘出する。ぽっかりと空いたその空間に、どうやら脳味噌を容れるつもりのようだ。男は首と胴体を切断するべく大鉈を掲げた。さて、そこを切り離されると面倒だ、そろそろ本領を発揮するとしよう。

不死身としての、本領を。

とりあえず裂かれた腹の皮膚と筋肉を繋ぎ、その後で失った臓器をそれぞれ形成する。器官の修復と同時に骨も元の長さまで伸ばし、ぐちゃぐちゃと嫌な音が響く腹を押さえて上体を起こした。男は、鉈を抱えたまま私を凝視している。

「こういうカラクリを用意しておいた、だから私はあなたに従っただけだ、それで、もう解放してもらえるのかな」

困ったことに衣類が血で汚れてしまった。キャリーバッグは無事だから着替えてからここを去らなければならない。殺されている子どもたちには気の毒だが、警察を呼ぶような手間は遠慮しよう。いつか墓標が立つことを祈って、早々にシャワーを浴びたい、長旅の疲れもまだ癒えていないのだ。

「す、」
「す?」
「ッげぇクールじゃん!」

ぽかん、と口が開く。間抜け面を晒すようだが、男の嬉々とした顔色を見るとそうせざるを得ない。アートの完成を試みることができずに落胆するのではなく、鉈を振り回して興奮している。新鮮な反応だ。

「アンタ、死なねえの?」
「死ねない」
「何しても?」
「生まれてこのかた何をされても死ねなかった」
「やべぇ!超クール!」

クール、という言葉が彼の最大の誉れらしい。私の不死身は彼の気に召したようだが、それは目的ではない。私はここから逃走する必要がある。

「理解してもらえたなら、私は去っても構わないか」
「そんな冷たいこと言わないでさ、せっかく仲良くなったんだぜ、もっとアンタのこと教えてくれよ」
「お断りしたい……少なからず隠れん坊を決め込む者の前で語ることなどない」

カクレンボ?と首を傾ける男の奥で揺らぐ影に、私は目を向ける。

「夜の深き者、深淵を覗く者、宵闇を纏う者、……呼び名はいくらでもあろうに、ここまで呼ばれてはそのヴェールを脱ぐ頃合いでは?もはや私には、御前の潜める意義を見出せない」

あの気配は男からしていた、厳密に言えば男の周囲から。つまり、男当人が「そう」なのではなく、彼につきまとう者が「そう」なのである。私の問いに対して、闇から、低く轟く人ならざるものの呻きが聞こえた。

「これはこれは、死に損ないは甦りに敏感なようで」
「それは甦っているのか?御前には肉が足りないように見える」
「そこまで気付かれるとは!ええ、そうですとも、私には肉がない」

霊魂ばかりの暫定的な蘇生ですよ、と語る男は、その姿をようやく明確なものとした。魚の眼球のように動く眼球と骨の突き出た顔面は印象付けるのに十分な役割を果たしている。人間味がない……人間だった者ゆえではなく、彼は生来より人でなしだったのだろう。この所業を眺めていた様を見る限り、そうに違いない。

「初めまして、ご令嬢、私は……真名は差し支えますので『青ひげ』と名乗らせていただきます」

「青ひげ」とは、どこかで聞いた名だ。あまり記憶しない質なものだから、ぼんやりとした記憶しかない。……思い出した、なるほど、遺体に幼児が多いのはそういうことか。

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