01 愛すべき死





不老の化物として、彼女は人類から遠ざけられていた。世界は彼女のような異形を淘汰することなく、神は彼女のような異端を除去することなく、共に受け入れ黙認されていた。ゆえに人々と彼女はそのような不合理に眉をひそめた。
そうして、すべてが噂となり逸話となり物語となり都市伝説となり、……歴史となるまで時間が経過した頃、彼女は久方ぶりに生家を離れていた。


訪れた場所は、日本国、冬木。


観光目的で足を踏み入れた場所に、よもや防ぎようのない災厄が迫っていようとは、彼女も、また冬木の民草も予想していなかった。



○○○




さて、不老の化物とはいえ必要なものは山ほどある。身は清潔に保っておかなければ不快であるし、腹も食物で満たさなければ虫が高らかに鳴く。老いという忌む者の多い要素がないからといって、生活様式が大幅に変化することはない。ただの人間と同様に栄養を摂取して排泄して、睡眠をとって適度に運動する。そこにいくら年月を経ても身体の成長がないという差異がある程度のことだ。その差異が、あまりに大きいのだけれども。

そのような境遇ゆえに、彼女もまたこの地での生活拠点を探さねばならなかった。何年もホテル住まいとは行くまい。観光目的の滞在ではあるが、他の人間とは訳が違う。彼女の観光は一日二日ではない。その不老を活かして、その地をゆっくりと隅から隅まで堪能する。地元の者よりもその土地を詳しくなった頃に、ようやっと重い腰を上げて次の観光地へと赴くのである。

住居を買わなければ、それも周囲の人気が少ない不便な住居を。そう思い立って家探しに逍遥するには、冬木への到着時間が遅過ぎた。空港に降り立つ頃には夕陽は山向こうへと身を隠し、夜の帳が容赦なく下りていた。濁った空模様に、彼女の表情も曇る。仕方なしに今日はホテルへと宿泊すると決定して、少ない荷物を引き始めた。

キャリーバッグというものは実に便利なものである。どんなに重い荷物も背に負う必要がなく、腕力のみに頼って運ぶことが出来る。素晴らしきかな、文明の利器。今回冬木を観光地としたのは、そういった理由がある。冬木すなわち日本国は、文明の利器を数多く発展させた文明王国だ。所狭しと建ち並ぶビルティングがそれを物語っている。如何せん、不老の身であると時代齟齬が発生しやすい。それでは自分の身の上を自ら語っているようなものだ。これでも他と共存するための努力を惜しまないのである。そこで、そろそろ進展が目覚ましくなる頃合いだろうと見計らって日本国に降り立つとした。冬木を選んだのは最早その日の運勢だ。広げた地図を的として投げたダーツの矢先が、冬木を示していたのだから。

ガラゴロと唸るキャリーバッグを引きずりながら街灯の少ない路地裏をふらつく。野宿という選択肢も良いかもしれない。そのための用意もある。逃げ疲れたし、喋り疲れた。ここの人間は温かいがどうにも喧しい。寒空の下毛布でも広げようかと足を止めたとき、またも彼女に声をかける者がいた。


「きみ、こんなところで何をしているのかな?」


またこの台詞だ。いい加減聞き飽きたと、うんざりしていた。渋々振り返り、曖昧に受け答えをする。聞こえてくる単語は大体今まで声をかけてきた人間と似たようなものだ。どうやら彼女が訪れるほんの少し前から如何せんともし難し事件が立て続けに起こっているらしい。ゆえに彼女は先ほどからナンパをただひたに受け続けているのである。

そのような情報を今まで話しかけてきた男たちから入手したことは、ある意味では僥倖といえよう。しかし、その対価に不愉快を募らせては本末転倒である。彼女は観光を目的にここを訪れたのだから。そろそろ逃げ時を見つけようかと、脱出経路を確認していた矢先であった。


「あれ、もしかしてリュウコ?」


最短脱出経路の暗がりから、ひとつ、声があった。闇に光る瞳はこちらを見据え、スニーカーの音を微かに立てている。その口ぶりから察するに、自分をこの「ナンパ」から救おうとしているのだろう。彼女は藁にもすがる思いで、その「藁」にしがみついた。


「そう、リュウコだよ、おにいちゃん」
「やっぱり、こんなところで何しているんだよ。あぶないから出歩くなって言ってただろ」
「うん、でもおにいちゃんに会いたくて出てきたら道に迷っちゃって、ごめんなさい」


その会話はまさしく兄妹のそれである。初対面であるところのふたりは、まるで示し合わせを済ませたかのように流暢に、滔々と談話をしてみせた。お互いの顔も認識できぬほど暗い路地裏で、愉快に兄妹を演じてみせる彼女は実に滑稽だ。その様に圧倒されていた男……警察官はようやく我に返って口を挟んだ。


「ええっと、きみは……この子のおにいさんのなのかい?」
「はい、そうです。妹がご迷惑をおかけしたみたいで……すんません」
「いや、ならいいんだ。ほら、さいきんよくないだろう?おにいさんが迎えに来てくれたのなら安心だ。きみも気を付けなきゃいけないぞ」


はい、と力強く肯いて彼女の手は隣に立つ男の手へと伸びる。それを判って、男も彼女の手を掴んだ。ぎゅっと、離すまいと握りしめる。


「お世話さまでした」
「ご苦労さまです」
「きみたちも早く帰るんだよ」


笑顔で見送ると、安心した警察官はそそくさと路地裏から出て行った。彼の背中がすっかり小さくなって、見えなくなってから彼女は男の顔を見上げた。


「どういうつもりか存じませんが、助けていただきありがとうございます」
「しっかりしてるなあ!でも、どうしてこんな夜更けに……もしかして家出とか?」
「そのようなものです」
「俺が言うのもなんだけど、ほんと不用心だよね」
「ここがこんなに物騒だと知らなかっただけです。用心は、それなりに」
「夜中にひとりで出歩いている時点で不用心だろ」
「その点は否めません」


くすくすと笑う男の顔は、彼女にはやはり見えなかった。唯一の灯りともいえる錆びれた蛍光灯は彼の背後でその短い命を光らせており、男の面に影を作るばかりだ。声色からして弱冠で、しかし善人とも悪人とも見つからぬ口調は経験を感じさせる。彼女の警戒心は片時も揺るがなかった。男は続ける。


「で、提案なんだけど、俺が家出先まで送ってあげようか?」
「…………何故でしょうか」
「何故ってそりゃ、また警察に話しかけられるの厭だろ?俺だって、真夜中に女の子ひとりをこのまま『バイバイ』って帰すわけにはいかねえし」
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