微かに笑むは冷たいひと


ひとまず手を引き、化物のことを保留にしておく。この女と話を付けてからでも、遅くはなかろう。
化物に逃げる余地を与えないように警戒しつつ女を見る。女はむくりと起き上がり、視線を合わせた。

「泥棒さんですか」
「何者だそれは。私は石田三成だ」

「あれ、あら、わあ」

“どろぼう”という名ではないと、己の名を名乗ると女は何故か嬉しそうに笑んだ。首を傾げてみせる。

「奇遇ですね。わたしも、苗字が石田っていうのですよ」
「私の氏を名乗るというのか」
「違いますよ。ほんとうに苗字が石田なのです。石田三子、正真正銘の両親から授かった名前です」
「貴様のような血縁は知らん」
「まあ、そういう人も居るでしょうけれど」

女、もとい石田三子は何の警戒心もなさそうにふらりふらり頭を揺らしている。
先程の眠っているときのような険しい顔は、一切見受けられない。

「三成さんで良いですか?石田さんと呼ぶのは、自分の名前を呼んでいるみたいで」
「…構わん」
「では、三成さん。どうして此処にいるのですか」

ふと、その微笑に違和感を覚える。
石田三子は笑っているがその眼に何処か真剣なものがあると、感じ取られる。何も考えていないのではないらしい。
警戒心のない者だと思ったが、そうではないようだ。

全てを見越したうえでの、あの笑みであろう。

沈黙の継続は余計に緊張を与えてしまうだろうと思い、口を開いた。

「私が望んで此処に居るわけはない。昨晩床に着き、目を覚ますとこの部屋で貴様を発見した」
「…自分の意思ではない、と。では、誰かが此処に連れてきたということですか」
「貴様ではないのか」

どうせ丸腰なのである。あちらに戦意があると発覚すれば、応対するだけのことだ。
そう考え、取り敢えずは冷静に会話を成立させる。化物への警戒も怠らない。

「わたしは何にも。わたしも昨日寝てから、目を覚ましたら三成さんがいたのですよ」
「やはり、何者かの仕業か」
「そうなりますね」
「貴様、この部屋に見覚えはあるか」
「見覚えがあるも何も、此処は自室ですよ」
「自室、だと」
「はい。つまり、三成さんが何者かによってわたしの部屋に運び込まれたということですね。監禁かなあ」
「おい、自室ならば知っているな。その化物はなんだ」

此処が石田三子の部屋であるならば、見覚えのない物すべてを熟知している筈だ。
恐る恐る寝転がっているその化物を指差す。
石田三子は指の先を見据え、そうしてその化物を手に取った。

「化物って、これのことですか」
「そのように容易く素手で掴むのか」
「手袋とか要りませんよ。この人、そんな化物染みた顔をしていますか?普通の笑顔ですが」
「化物、ではないのか」
「違いますよ、写真です。わたしのお母さんの」
「しゃ、しん…」
「あれ、三成さん写真を知らないのですか」
「知らん。何だ、それは」
「写真を知らない人が居るとは。…ディスイズ、ア、フォト」
「…南蛮語か」
「南蛮?チキン南蛮ですか?」
「ちきんとは何だ」
「あら、あれ?三成さん、何処のお国出身ですか」
「近江だ」
「それ都市名でしょう。そうじゃなくって、国ですよ」
「近江だと言っている」
「…戦国時代みたいな方ですね」
「何を言うか。今は戦国の世だろう」

己の言葉を最後に、石田三子はぴたりと口を噤んだ。
暫時瞼を下ろして腕を組み、それから目を開ける。

「……石田、三成」
「なんだ」
「……天下を取るのはどなたでしょう」
「秀吉様に他あるまい」
「関ヶ原の戦いは何年でしょう」
「関ヶ原で戦があったのか」
「…わあ、あはは、はははは」

突然石田三子は声を上げて笑い出した。化物は腕の中で押しつぶされている。
何故笑っているのか分からず訝しげに石田三子を見ていると、それに気付いた石田三子が顔を上げた。

「ようこそ、未来へ」