birth-day

自分の出生について語ろうと思う。語るほどのものでもないかもしれないが、語るほどのものだったときの可能性を考慮して語ろうと思い立った。愉快に語ることは出来ないが、ぜひともご清聴願いたい。

さて、私という存在が生じてしまったのは、ひとえに、かの悪魔時の王サマエルに原因があった。これが悪魔でいうところの実名に近い名前なのだけれど、彼は現在メフィスト・フェレスと名乗っているようなのでこちらでもそう呼ぶことにしよう。サマエルことメフィスト・フェレスは、何百年も昔に悪魔の住処である虚無界からこの人間の住処である物質界へと足を運んだ。その際、悪魔は物質界に上手に干渉するために人間の身体へ取り憑く習性があるため、メフィスト・フェレスも何の躊躇いもなく人間の身体を乗っ取ろうとした。そこで問題は発生した。彼が取り憑こうとした男の身体では、メフィスト・フェレスの力は入りきらなかったのだ。悪魔の力量に対して人間という器が小さいと、その力に耐えかねて人間の肉体は崩壊してしまう。ゆえに、このときのメフィスト・フェレスの事例も元来と同様に、人間の肉体が大破するはずだった。

しかしながら、そうはならなかった。
入りきらなかったメフィスト・フェレスの力は、ぽろりと、彼の口からこぼれ落ちた。
それは何とも形容しがたい形をしていて、言うなれば、ただの黒いもやであった。とても悪魔の王の一部とは思えないような、小さく微かなもやであった。


それが、私である。


私はメフィスト・フェレスの一部である。彼が人間に取り憑いた際、余ってしまった彼の力の一部である。初めて黒いもやという実体を手に入れたときは、自我がなかったために細やかな形を形成することが出来なかったのだ。私が誕生してからしばらくして、ゆっくりと自我が生まれ、はっきりとした実体を形成したわけである。
本来ならば多すぎた力が実体を持つなんてことは有り得るわけがなく、ましてや自我を持つなんてことなど言うまでもない。しかし、何故か実体を持ってしまい、自我を持ってしまった。そうなってしまっては、他の悪魔となんら変わりはない。けれども、私はメフィスト・フェレスの一部分であり、それ以上にもそれ以下にもなり得ることはなかった。
メフィスト・フェレスという悪魔は、私からすると、親であり兄弟であり本体であるのだが、正直なところ赤の他人である。そしてそれは彼にとっても同様のことだった。私という存在は、彼からすると、子であり兄弟であり分身であるのだが、それでもやはり赤の他人なのである。

けれども、確かに一部分ではあるので、メフィスト・フェレスは私を側に置いておくほかなかった。私を解放したせいで、己の力を(一部分だろうと)失うことを嫌い、面倒を起こされることを避けたゆえだ。おそらくそれは賢明な判断だろうと思う。私自身は離れようと付き添おうとどちらでも構わなかったので、彼に従うことにした。そうは言っても、もちろん私に選択権など存在しなかった。


(間)


そうして、私はしばらくメフィスト・フェレスの所業を側で見守ることとなった。「見守る」という言い方に語弊があるかもしれないが、当時私は実体のない黒いもやから実体のある黒いもやに成ったばかりの頃だったため、彼のあらゆる所業を見るほかなかったのだ。見る以外のことが出来なかったのだ。しかし、とある人間の一生に連れ添った後、メフィスト・フェレスは私にひとつの提案をした。「人間に憑いてみてはどうか」という提案だった。
私はそれを承諾し、早速己の力量に見合った人間を探してもぐりこんだ。押し込められるように窮屈な感覚に襲われ、最初は吐き気を催したがなんとか人間の中に収まった。その姿を見て、メフィスト・フェレスは満足げに頷いた。彼の提案により、私は人間という見かけを手に入れた。
この姿はたいへん便利で、たいていのことはやってのけることが出来た。それに、女の身体に取り憑いたおかげで優遇されるようにもなった。具体的にどんなことをしたのかは割愛する。あまりにいろいろなことを行ったためにとてもまとめきれない。
メフィスト・フェレスが望んだときには黒いムク犬となることもあった。犬の姿も人間の姿とは違った便利さがあり、私はこの姿も好ましく思っていた。愛玩動物というのは、人間に好かれやすい。彼が望まずとも私は犬の姿で野山を駆け回ることもあった。
しばらく物質界を堪能し、そろそろ虚無界へ帰還する時分だろうと思われた頃、メフィスト・フェレスはとある組織に属することを決定していた。その組織の名は、正十字騎士團といった。
正十字騎士團とは、人間が我々虚無界の住人である悪魔に対抗するために結成した組織である。簡単に言えば、悪魔対策組織だ。我々の立場からすると「敵」にあたる組織に、彼は入ると言った。当初はどういうつもりかまったく理解できなかったが、私が口出しするような事柄ではなかったためにそれに同行した。
メフィスト・フェレスの詭弁はずいぶんと立派なもので、私が意識したときには既に「名誉騎士」とやらの称号を獲得していた。立派な屋敷まで獲得していた。そして、彼はその屋敷に居を構えることを決定した。

そして、私は名を与えられることになったわけである。

居を構えた後も今までと同様に彼の身の周りの世話をするのだが、その役割に名が与えられた。「使用人」や「メイド」というらしい。己の役割に名が与えられると同時に、私自身の名前までも付けられることとなった。

「なにか名前を名乗れ。今までのように名が無くては困るのでな」
「……、しかし、私はなにかをつくることが出来ません。自分の名前といえど、どのようにつくればよいか分かりません」

すなおに不可能な行為だと告げると、メフィスト・フェレスはあからさまに面倒だという表情をした。そして、その場にあった書物を手に取り、パラパラと捲った。中ほどのページで手を止め、視線を二、三度走らせた後、私に言い放った。

「イルゼ、これでいいだろう。おまえは今日からイルゼと名乗れ。いいな」

実に胡乱な作業だった。だが、こうして私の名前は付けられた。

「イルゼ」という名前を。




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